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 不破は靖国通りで子分たちとともにミニバンから降りた。

 若頭の土居と舎弟頭の南場が両脇につき、後ろには若頭補佐の紺野がついた。

 赤々と灯る歌舞伎町一番街のアーチを潜った。道の両側には雑居ビルが隙間なく建ち、焼肉店やラーメン屋、キャバクラ、雀荘、テレクラなどの店舗が競うように派手な看板を掲げていた。その先にはブライトネスビルの巨大な袖看板も見える。

 冷えた夜風が吹きつけてくるが、不破はネクタイを外してワイシャツの上のボタンを外した。この街は新宿のよそのエリアよりも気温が高く感じられる。外したネクタイを子分の紺野に預けた。紺野はネクタイを丁寧に折り畳んでビジネスバッグにしまった。ビジネスバッグは、出張にも使えるのが売りの大容量のショルダータイプだった。

 熟女キャバクラの客引きが、怯んだように後ずさりしてから頭を深々と下げた。岡谷組のトップだけでなく、最高幹部らが勢ぞろいしている姿を見て驚いたようだ。

 不破の脳裏に三十二年前の新宿の風景がよぎった。都電の停留所と路面電車、あらゆる飲食店が集まり、ヒッピー崩れの若者やダボシャツを着た地回りがうろついていた。ゴーゴー喫茶やキャバレーからは、エレキやドラム、管楽器の生演奏が漏れてくる――。

 一番街のとある雑居ビルを通りがかった。そこは昨年秋に悲惨な火災が起きていた。飲食店などの客と従業員計四十四人が死亡したという。

 ギラギラとしたネオンにまみれた通りのなかで、その雑居ビルだけは茶色のネットですっぽり覆われて闇に包まれていた。建物すべての灯が消えており、一階の無料案内所のシャッターは降りて、ビルの出入口は封鎖されていた。不破は雑居ビルの前で立ち止まって手を合わせた。

 不破たちは再び歩んだ。頭上には何台もの防犯カメラが当たり前のように設置され、この街の支配者のごとく睨みを利かせている。街の変容を感じ取りながらブライトネスビルに入る。

 ブライトネスビルは変わっていなかった。歌舞伎町の老舗の娯楽施設として知られ、一階のゲームセンターから音の洪水が押し寄せる。

 二階は不破が襲名披露を行った貸しホール、地下にはメンズサウナが入っている。かつてアルバイトとして働いたボウリング場は三階に移設していた。

 紺野がエレベーターのボタンを押した。エレベーターを待っている間、不破は階床表示灯を見上げた。

「ここできようだいと初めて会った。覚えてるか?」

 南場がうなずいた。

「ほんの少しな。夜遅くに風呂敷を手にした学ランのガキが乗りこんできたってだけだ。家出少年が迷い込むのはよくあることだし、おれは八階で舶来の酒にたらふくありつけると、そっちのほうばかり頭が行ってた」

「八階の『波士敦ボストン』か。懐かしいな。おれも近藤アニキからそこで本物の酒の味を教わった」

 不破は顔をほころばせた。

 ブライトネスビルの最上階にはかつて会員制クラブがあった。新宿の企業経営者や文化人が集うサロンのような場で、希少なスコッチウイスキーやフランスワインを取り揃えていた。

 王英輝が銀座や六本木に劣らぬ一流の社交場にしようと力を入れていたが、歌舞伎町の若く猥雑なエネルギーに押され、品のないヤクザや風俗店経営者、高利貸しなどが幅を利かせるようになり、一九八〇年代前半に店を閉める羽目となった。現在は二十四時間営業のカラオケボックスが入っており、サラリーマンやホステス、終電を逃した若者などで賑わっている。

 南場が冷やかすように言った。

「やけにリラックスしてるじゃないか。これからサウナにでも行くみたいだ。酒が残ってるわけじゃないよな」

「酔っちゃいない。あんたが飲んでくれた」

「おれがいなけりゃ、今頃二代目の肝臓はカチカチだ」

 南場が小さく笑った。リラックスしているのは、なにも不破だけではなさそうだった。

 昨日の出所祝いに続き、不破は今日も忙しく動いた。新宿界隈に根を張るヤクザ団体の組長や最高幹部に挨拶をして回ったのだ。

 関西の華岡組系の組織やライバルだった鞭馬会の事務所も訪れている。どちらとも良好な関係とは言い難く、歌舞伎町の利権をめぐって衝突した経緯があったが、もうそんな時代などではないと口を揃えて語った。

 どの組も友好的に不破を迎えてくれた。そればかりか任海狼を殴殺したことで、不破の熱烈なファンになった親分もいた。長老格の老親分に誘われ、割烹で昼間から酒につきあわされた。昨日も出所祝いでたらふく飲まされていただけに、昼間はきつい二日酔いに襲われていた。

 不破と南場は雑談をしながら子分ふたりに目をやった。子分たちは不破とは対照的だった。

 土居や紺野の顔は蒼白だった。表情をガチガチに強張らせ、肩に力が入っていた。六年前、任海狼のアジトに乗りこんだときよりも悲壮な気配があふれ出している。雄也を死に追いやった黒幕が判明したが、不破たちのよく知る人物だとわかり、複雑な心境にあるようだった。東北幇と戦ったときのような覇気や高揚が感じられない。

 エレベーターのドアが開いて、学生風の男女グループが姿を現した。彼らはアルコールの匂いを振りまきながら談笑していたが、目の前にいるのが怖い顔をしたスジ者だとわかり、一斉に口を閉じてエレベーターから去っていった。

 不破たちが入れ替わるようにしてエレベーターに乗りこんだ。不破と南場が箱の奥へと進み、紺野と土居がドアの近くに立った。紺野が『富貴菜館』がある七階のボタンを指で押した。その指は小刻みに震えていた。

 紺野にも土居と同じく子供がいる。満一歳になったばかりの娘で、名付け親は不破だった。前橋刑務所にいる間に手紙でやり取りしながら名前を考えてやったのだ。

 不破は南場に目を向けた。南場は軽くうなずくと、スーツのポケットから小型の黒い物体を取り出した。形は携帯電話に似ているが、どんな屈強な大男でも倒せる武器だ。六十万ボルトの電撃で相手を感電させるスタンガンだった。

 南場はスタンガンを紺野の背中に押し当てた。けたたましいスパーク音が鳴って紺野が身体を痙攣させた。彼は膝から床へと崩れ落ちた。

 土居が顔を強張らせた。

「オジ貴、あんたなにを――」

 不破が土居の背後から組みついた。

「すまねえな」

 不破は右腕を土居の首に回した。

 彼のスーツの左襟を掴んだ。同時に左腕を土居の脇の下から伸ばして反対側の襟を握る。柔道技のおくり襟絞えりじめだ。

 右手で左襟を引き絞り、左手を下方へと引っ張って、土居の頸部を絞める。

「待って……ください。ダメっす」

 土居は不破の右腕に両手でしがみついた。

 絞め技から逃れるために不破の右腕を引き剥がそうとする。その腕力はかなりのものだ。暴走族の首領だったガキのころとは比較にならない。

 岡谷組に入って出世してからも鍛錬を怠ってはいなかった。彼の手はいつも擦過傷があり、格闘技の稽古で指の皮が剥がれていた。近藤や不破に追いつこうと必死で、六年前は任海狼との決闘にもためらわずに同行してきた。だからこそ、これ以上つきあわせるわけにはいかなかった。

不破オヤジ……」

 土居は落ちまいと抗っていた。額に青筋を浮かび上がらせ、顔を真っ赤にさせながら歯を食い縛っている。

 しかし、それも限界がある。不破が渾身の力を込め続けると、土居の瞳の焦点が合わなくなり、口からヨダレがこぼれだした。完全に落ちたらしく、両手がダラリと力なく下がる。

 南場を見やった。彼は紺野の両腕を素早く結束バンドで拘束していた。紺野は意識があったが、電気ショックをもろに食らって、声すら出せないようだった。床に尻もちをついたまま力なく首を振る。

 エレベーターが七階に着き、不破たちは土居らを残してフロアに降り立った。南場が紺野のビジネスバッグを担ぐ。

 ここには『富貴菜館』と日本料理店があったが、今はどちらも閉店時間をとっくに過ぎていた。看板の灯りは落ち、フロアの廊下の電灯も消されて視界は暗い。

 不破と南場は『富貴菜館』の出入口を潜った。赤い絨毯を踏みしめる。いくつかの調度品は新しい物に替えられていたが、芸術品のような衝立や水墨画が掲げられてある。

 黒いジャケットの店長が一礼して出迎えた。不破は軽く手を上げた。

「夜遅くに済まないな」

「とんでもありません。皆さん、お待ちしてます」

 店長に案内されながら、半分ほど灯が落とされた店内を歩んだ。厨房にはコックがふたり残り、VIP客のために料理をこしらえている。

 個室へとつながるドアの前には、ブライトネス常務の藪がいた。創業者の王大偉から仕えてきた老人で、もうすぐ喜寿を迎えるという。腰が曲がっていたが、それでも眼光は鋭いままだ。

 藪の隣には初めて見る中年男がふたりいた。どちらもスーツ姿で相撲取りのような体格をしていた。面構えもふてぶてしく、不破を目にしても怯む様子は見せない。ブライトネスが抱えている警察OBと思われた。

「久しぶりです。お元気そうだ」

 不破は藪に笑いかけた。彼は硬い表情のままだった。

「お勤めご苦労さまでした」

「ええ」

 不破は個室の扉のドアノブに手をかけた。中年男たちが割って入った。

 不破は笑みを消した。中年男たちの顔を冷ややかに見据える。

「どいてくれないか」

「どきますとも。身体を検めさせてくれればね。厄介なブツを持たせたまま、社長に会わせるわけにはいきませんから」

 藪が南場のビジネスバッグを睨んだ。不破が若い衆を連れていないのを怪しんでいる。

 不破は藪を見下ろした。

「身内のおれを疑うのか?」

「その身内に牙を剥いたのはあなたのほうだ」

 藪が露骨に口を歪めた。ヤクザごときが身内を名乗るなと言いたげだ。

 中年男のひとりが顔をにやつかせた。

「二代目さん、お手手を素直に上げてくれませんかね。社長や尾崎先生を待たせることになる」

「ヨゴレの尾崎もいるのか。そいつはラッキーだった」

「おいコラ、言葉に気いつけろ」

 中年男が巻き舌でうなった。藪が中年男を指さす。

「うちの総務課長代理です。あまり怒らせないほうがいい。柔道で国体にも出場した猛者でしてね。警視庁のマル暴畑を歩んで東京中の極道を痛めつけてきた」

 中年男はスーツの裾を払った。ベルトホルスターに収まった特殊警棒をこれみよがしに見せる。

「身の程を知っておけよ、組長さん。“狂王”なんて呼ばれて、関東ヤクザの間じゃえらくちやほやされてるらしいが、あんまり勘違いしてるとイジメちまうぞ」

「重々承知してるよ。おれもさっさと社長と先生に会いたい」

 南場がビジネスバッグのファスナーを開けた。不破がビジネスバッグのなかに手を入れる。そして武器を取り出した。イスラエル製の短機関銃であるミニウージーだ。

 不破はミニウージーのグリップを握った。コッキングノブをしっかり引きつつ、安全装置のスイッチをフルオートに合わせる。

 総務課長代理の中年男はミニウージーを凝視していた。目の前の事態を認識するのが遅い。彼が奇声を発して組みつこうとしたとき、不破はもう総務課長代理の顎に銃口を向けていた。トリガーを引くと、耳をつんざく発砲音と作動音がし、弾倉に入った二十発分の弾丸をあっという間に吐き出した。毎分九百五十発という連射速度は伊達ではない。

 総務課長代理の頭は粉々に砕けて消失し、天井や壁にも穴が空いた。彼の血液や毛髪のついた皮膚、脳みそが飛散して、不破の視界が真っ赤に染まった。スーツの袖で右目を拭い取る。血と海水が混ざり合ったような生臭さに包まれる。

 藪が床にへたり込んだ。不破を見上げながらなにかを叫んでいる。しかし、発砲音のせいで耳鳴りがし、言葉までは聞きとれなかった。

 もうひとりの中年男が踵を返した。巨体を揺らして逃げる。南場が左脇からリボルバーを抜き、両手でグリップを握ってトリガーをすばやく二度引いた。銃口から一瞬の炎が迸り、中年男が赤絨毯のうえに倒れた。背中に二発の弾丸が命中していた。

 不破はビジネスバッグに再び手を入れた。なかにあるのはミニウージーだけではない。何本もの弾倉と数個の手りゅう弾、数丁の拳銃や匕首、催涙グレネードが入っていた。

 ミニウージーの弾倉を替えて再装填をした。安全装置のスイッチをセミオートに切り替える。フルオートで撃っていてはいくら弾があっても足りなくなる。

 あたりを見渡した。厨房のコックたちも店長も姿を消していた。物陰に隠れたか、逃げたかのどちらかだ。どうでもよかった。用があるのは個室にいる者たちだった。

 不破は右手にミニウージーを握り、左手で藪の首根っこを掴んだ。彼も総務課長代理の血や体液でずぶ濡れだった。耳鳴りが徐々に収まり、藪の言葉がようやく耳に届いた。

「不破隆次、あんた……イカれやがったのか」

「イカれたのは心賢だ。あの雄也を殺した悪党に」

「なんだと……」

「畳のうえでくたばりたかったら、さっさとドアを開けろ」

 藪に個室の扉を開かせた。

 扉の先は広々とした個室だ。中央には十人掛けの巨大な円卓がある。この部屋で王大偉と初めて会った。一族の者たちと何度も盃を交わした。

 奥の上座に王心賢と尾崎がいた。円卓には北京ダックを始めとして、大皿に盛られた料理がいくつも並べられ、ビールと紹興酒のボトルとグラスが用意されてあった。

 ふたりはだいぶ様変わりしていた。王心賢はやけに恰幅がよくなり、ダブルのスーツを着ていた。顔が大きくなったばかりか、眉毛もますます太くなった。顎にも贅肉がついて二重になっている。

 隣の尾崎もかつてはヨレた安物の背広ばかり着用していたが、今はネイビーの三つ揃いを着こなしていた。真っ赤なネクタイを締め、六角形の都章が入った議員バッジを光らせていた。頭髪を真っ黒に染めるなどして、精力的な政治家を演出しているが、ふたりともすっかりうろたえていた。尾崎は携帯電話を耳に当て、王心賢は大きなアタッシェケースを盾代わりに担いでいる。

 不破がふたりに笑いかけた。

「言っただろう。派手にやろうと」

 尾崎が携帯電話を円卓に置いた。無抵抗をアピールするかのように両腕を上げた。

「まだ……間に合う。なかったことにできる。今の私にはそれだけの力があるんだ」

「あんたらしい言い草だな」

 不破は尾崎にミニウージーの銃口を向けた。連続してトリガーを引く。

 セミオートのミニウージーが五発の弾丸を吐き出した。一発目は紹興酒のボトルを砕いたが、あとの四発が尾崎の胸や頬に命中し、そのたびに彼は上半身を弾ませた。やがて両腕をダラリと下げ、椅子から崩れ落ちる。

 不破は短機関銃に目をやった。呆れるほど簡単に人命を奪い取る代物だった。

「ちょっと……ちょっと待ってくれ。叔父さん、どういうことなんだ」

 王心賢が目を見開いた。彼のダブルのスーツに尾崎の血が大量についている。

 不破はミニウージーの銃口を王心賢に向けた。

「おかしなことを訊くじゃないか。身内をられたからには報復する。当たり前のルールだ。お前もこの街で生きてきたのに、忘れちまったというのか?」

「なにがルールだ!」

 王心賢が歯を剥いた。

 彼は勢いよく立ち上がると、アタッシェケースを円卓のうえに叩きつけた。調味料の瓶や大皿が割れ、エビチリや飴色の肉が飛散する。彼はアタッシェケースを開け、不破たちに中身を見せつけた。帯封のついた一万円札の束が隙間なく詰め込まれてある。億単位の現金だ。

「ブライトネスは復活した! おれを金づるにして組を立て直せた。おれたちには杉若がいる。警察とのパイプもある。フロント企業をいくつも作って、汚いカネをいくらでも洗えた。むざむざ破滅に向かうというのか」

「おれは一族の守護者だ」

 不破は袖で顔を拭った。

「ところがだ。一族の血を引いていないよそ者が、身の程もわきまえず王に化けた。そればかりか本物の王になるべき男もった。そんな簒奪者の存在を許してしまった。おれもお前もケジメをつけなきゃならない」

「なにが守護者だ……誰が簒奪者だ!」

 王心賢がビール瓶を投げつけてきた。

 中の液体を撒き散らしながら、ビール瓶は不破の横に逸れ、藪の脚に当たった。さほど威力があったわけではないが、藪は貧血でも起こしたかのようにへたりこんだ。王心賢は己の血の秘密をこの大番頭にも打ち明けていなかったらしい。

 不破は瞬きを繰り返した。一瞬、王心賢が不破自身の姿に見えた。彼に投げかけた言葉はそっくり不破にも跳ね返ってくる。王一族の守護者を名乗る不破もまたよそ者だ。ヤクザとストリッパーの間にできたガキで、一族の血は一滴も流れていない。にもかかわらず、王大偉に息子と認めさせ、腹違いの弟として兄たちに可愛がられ、この優雅な個室に身内として何度となく招かれた。己もまたよそから来た寄生虫に過ぎないというのに、王心賢を断罪する権利があるかのように振る舞っている。

 王心賢が拳を握りしめた。歯をガチガチと鳴らす。

「そんなに……血とやらが大事か」

「自分に言え。その血にこだわったから雄也をったんだろう」

「あいつが羨ましかった。年齢を重ねれば重ねるほど、父親に似ていく。お祖父さんに似ていく。どんどんかけ離れていくおれとは違った」

「泣き言を聞いてる暇はない」

 不破はミニウージーを放り投げた。

 短機関銃が円卓のうえに落下して、アタッシェケースにぶつかった。取り皿が何枚も床に落ちて大皿が砕ける音がした。

 王心賢は当惑したように口を開けた。投げ込まれたミニウージーと不破を交互に見やる。

 不破はミニウージーを顎で指した。

「そいつで打破してみろ、偽者の寄生虫。まだ弾は十発以上入っている」

 南場からリボルバーを受け取った。右手でグリップを握りこみ、右腕を王心賢へと伸ばした。

「おれは偽者じゃない!」

 王心賢は料理で汚れたミニウージーのグリップを握った。狙いを不破に定め、トリガーに人差し指をかける。

 不破が先に撃った。王心賢の胸の中央に命中し、彼の身体が前かがみになって腕が下がる。ミニウージーが弾を一発吐き出すが、床の絨毯に穴を空けるのみだ。藪が悲鳴を上げた。

 王心賢は両膝と頭を床につけた。ダンゴ虫のように身体を丸め、それきり動かない。不破はトドメを刺すため、彼に近づいてリボルバーを後頭部に向けた。

 トリガーは引かなかった。怒りが散っていた。かりに不破が王心賢の立場であったなら、自分も同じ道を選んでいたかもしれなかったのだ。ともに血に怯えながら、血をめぐってあがいてきた。王心賢の背中に手を置いた。心臓の鼓動が感じられない。それさえわかれば充分だった。彼が持っていたミニウージーを手に取った。

 不破は個室のドアに目をやった。外が騒がしい。ガチャガチャと物々しい足音や金属音がした。姿こそ見えてはいないが、かなりの数の武装警官が駆けつけたのだとわかる。

「どうする?」

 南場が訊いてきた。不破は両手で円卓の端を掴んだ。足腰に力をこめて円卓をひっくり返す。

 酒や料理、アタッシェケースが円卓から滑り落ちた。騒々しい音を立てる。武装警官の攻撃に備えて円卓を遮蔽物にした。

「どうするもなにも。あいつらも簒奪者だ。くれてやる物などなにもない。ここはおれたちの街だ」

 南場が満足そうにうなずいた。彼はビジネスバッグのなかを広げている。

 不破はビジネスバッグに手を突っ込み、手りゅう弾をひとつ取り出した。銃器の扱い方は東南アジアでとことん学んだが、こんな爆発物を使うのは初めてだ。

「銃を捨てろ!」

 個室のドアが音を立てて開かれた。ヘルメットに防弾ベストを着た武装警官がなだれ込んでくる。巨大の防弾盾を手にした者を先頭に、短機関銃を構えながら口々に吠える。

「クソ食らえだ」

 不破はピンを抜いた。武装警官への答えとして、彼らに手りゅう弾を投げつけた。

 

 

(つづく)