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2(承前)


 王大偉は本来なら『ブライトネス』の経営から退き、あとは華僑の団体の名誉職に就いて、悠々自適の引退生活を送るはずだった。だが、政治が彼を必要とした。
 昭和四十七年に田中角栄と中国の周恩来が日中共同声明に調印。中国との国交を正常化する一方で、台湾を統治する中華民国との国交を断絶した。
 中華民国も日本との外交関係断絶を発表したうえ、日本政府に対して激しく非難した。台北市内では激しい抗議デモも起き、台湾在住の日本人の安全までもが懸念されたという。
 王大偉は熱烈な反共主義者でもあった。この事態を深く憂慮し、昭和四十八年には台湾の政治家となり、僑選立法委員を三年間にわたって務めた。立法委員は日本の国会議員に相当するという。
 中国から来た二頭のパンダが熱烈なブームを巻き起こし、日本人の関心が中国へと向くなか、王大偉は日台関係を途切れさせてはなるまいと、民間レベルでの交流を続けるために政界から力を尽くした。
 王大偉本人に言わせれば『ブライトネス』の経営よりも苦難の連続であったという。中国と台湾のふたつの政府のメンツを立てながら、日本と台湾の窓口となる実務機関を作るために奔走した。米国の政治家を動かすため、ワシントンにまで長期の出張をしていた時期もあったほどだ。
 政治家として濃密な三年間を送ったが、同時に激務で身をすり減らした時期でもあった。蒋介石と蒋経国の独裁を支持したことで、民主化を支持する若い華僑から批判され、台湾では国民党の腐敗に怒る学生から生卵を投げつけられたこともあったという。
 三年の任期を終えると政治家から身を引き、都会から離れた土地で静かに余生を送ろうと考えていた。その矢先に心臓発作を起こしたのだ。
 王大偉が不破に向かって手を差し出した。骨と皮だけの小さな手だった。
「父さん」
 不破は慎重に父の手を握った。繊細な工芸品でも扱うように。そうしなければ砕けてしまいそうだった。
 王大偉が首を傾げた。
「見るたびに身体が大きくなるな。背広がいかにもきつそうだ。ワイシャツのボタンもとまらないのか?」
 王大偉が一目で鋭く指摘してきた。
「じつは……」
 不破が破けた尻を王大偉に向けた。
「なんと」
 父は身体を折って笑いだした。王智文や彼の娘たちも気づいて哄笑する。
「すでに傑志から大目玉を食らっているのだろう。私の口からあれこれ言うつもりはないが、礼服はサイズの合ったものを作ってもらえ。もうすぐ必要になるだろうからな」
「礼服は明日にでも仕立ててもらいます。だけど、もうすぐだなんて言わないでください」
「誰も私の葬式だとは言っとらんぞ。縁起でもない」
 王大偉にからかわれて、不破は首をすくめた。近藤や歩美もおかしそうに笑う。
 今日の父は上機嫌でもあった。あるいは異例の事態を前にして、あえて元気に振る舞っているのかもしれない。
 王大偉が不破たちに耳打ちした。
「英輝を守ってやりなさい。慧華がお前たちに歩み寄ったのもそのあたりに事情がありそうだ」
「兄貴を?」
 近藤が眉をひそめた。
 カメラマンが準備ができたと声をあげた。王智文の家族たちがベッドに近寄る。
 別室から王英輝と妻子が出て来た。久しぶりに見る英輝の息子の王心賢は学校の制服の詰襟を着ていた。父親や叔父と同じく日吉の慶應義塾高校へと通っていた。
 学業の成績はずっと優秀であるらしく、すでにアメリカへの留学を念頭に入れ、英語の勉強にも本格的に取り組んでいる。王一族を牽引する次期リーダーとしての道を着実に歩んでいた。
 かつては良家のお坊ちゃんといった姿だったが、高校ではソッカー部のキャプテンを務めている。同校ではサッカーをソッカーと呼び続けている。
 陽光のもとでボールを追い続けたためか、顔は真っ黒に焼けており、頭髪もスポーツ刈りにしていた。すっかり男性的で精悍な顔つきに変わり、背丈も父を越えようとしていた。
 王心賢も徐慧華と近藤たちが一緒にいて目を丸くしたが、すぐに柔らかな笑顔を見せて叔父たちに挨拶をした。
「傑志さん、隆次さん。お久しぶりです」
「しばらくだったな。それにしてもでかくなりやがった」
 不破は王心賢の肩を叩いた。王心賢は不破を見上げた。
「隆次さんも一層大きくなられて。ジャンボ鶴田みたいだ」
「雄也からは藤波辰巳と言われたよ。鍛えることに夢中になりすぎて、兄貴からこっぴどく叱られたところさ」
 不破が尻を見せると、王心賢も背をのけぞらせて大笑いした。尻の破けたスーツを見せるなど恥ずかしくてたまらなかった。しかし、今日は道化に徹してしまおうと腹をくくっていた。
 甥っ子と雑談をしながら、不破と近藤は目で合図をしあった。王大偉の言葉の意味がすぐにわかった。
 王英輝と妻の弥生やよいは、カメラマンの指示どおりにベッドの傍に立った。みんなが不破の尻を見て爆笑するなか、ふたりだけは無表情だった。
 王英輝夫妻はパーティや集会でこれまでも何度か見かけていた。大抵は徐慧華がいなくなってからの二次会や三次会といった場所だった。
 どちらも上流階級としてのたしなみを幼少のころから叩きこまれたらしく、どれだけ酒を飲んでも崩れず、参加者に対して万遍なく挨拶をして回るなど、高い社交性を見せていた。しかし、夫婦同士が会話をするところを一度も見たことがない。
 この夫婦は王心賢という男児に恵まれはしたものの、結婚して一年も経たずに仲は冷え切り、寝室はもちろんのこと、パーティ以外では家族揃っての食事すらしていない。そんな噂を耳にしていた。
 王英輝は徐慧華から厳しいエリート教育を課せられただけでなく、結婚相手まで決められたことに納得していなかったのだとも。
『ブライトネス』の総帥であるかぎり、財閥系不動産の重役の娘を嫁にしておくのは、商売上において旨みがあったらしい。財閥系不動産企業と合弁会社を立ち上げると、多摩や札幌の宅地開発に乗り出していた。合弁会社の社長は弥生の父だった。
 王英輝の体調は父親と同じく思わしくなさそうだった。いつもはポマードでしっかり固めているはずの髪型はわずかに崩れ、ほつれた前髪が頬にまで垂れている。睡眠を満足に取れていないのは明らかで、目の下には大きなクマがあった。ひどく憔悴した様子だ。
 偉大な父親がこの世から去ろうとしているのだ。息子が悲しみに暮れて充分に眠れず、メシも喉を通らなくても不思議ではない。だが、あいにく王英輝はそんな人情家ではなかった。
 王大偉が二年前に心臓発作で倒れて危篤状態に陥ると、彼はすぐに葬儀屋に見積もりを出させ、まだ生きているうちに根回しに取りかかった。
 親台派で知られる元首相経験者に葬儀委員長を頼み、台湾の政治家や財界人、日本国内の華僑の重鎮に連絡を取り、粛々ともしものときに備えた。
 冷静沈着なビジネスマンだという評価を得る一方、父親が存命のうちから葬式の準備を行う非情な息子と、王一族の長老たちから眉をひそめられた。その前年に『ゴッドファーザーPART II』が話題となったため、口さがない社員から“ドン英輝”だの“歌舞伎町のコルレオーネ”だのと陰口を叩かれたが、本人は気にする様子を見せなかった。王大偉の長男が優れた経営者であるという評判は誰もが認めていたからだ。
『ブライトネス』グループの業績は好調だった。ボウリングブームこそ去ったものの、合弁会社による宅地開発も成功し、劇場部門も『宇宙戦艦ヤマト』シリーズや『未知との遭遇』、『スター・ウォーズ』の大ヒットもあり、近頃の歌舞伎町の噴水広場はSF好きの若者であふれかえっている。
 また、今夏に発売された『スペースインベーダー』が娯楽業界の有様を変えつつある。ボウリング場の片隅にあるゲームコーナーに設置すると、客はボウリングそっちのけでこのゲームに飛びついた。
 王智文はこのゲームの革命的な面白さに気づくと、他のゲームを軒並み撤去して、収益性の低かった卓球場やビリヤード場をも潰し、このゲームを大量に買いつけた。
 その目論見は当たった。設置台数を一気に増やすと、さらに多くの若者たちが殺到して取りつかれたように百円玉を投じた。子会社の『大慶エンターテインメント』はボウリングブーム以上の売上をあげたのだ。
 傍目から見れば、我が世の春といった状況だ。だからこそ、王英輝の憔悴が引っかかった。

 

(つづく)