昭和六十二年
12
新宿署から釈放されたのは、逮捕されてから二十三日目のことだった。
不破はボストンバッグを手にして署の裏口へと向かった。正面玄関は記者が何人も押しかけているという。
パンチパーマの刑事が裏口の鉄扉を開けた。上目遣いで睨みつけてくる。
「近いうちにまた逮捕状持って行くぞ。覚悟しとけ、人殺しのクソヤクザが」
「声が震えてるよ」
不破が鼻で笑うと、刑事に胸倉を掴まれた。彼は同僚たちに制止された。
不破は石国豪に対する傷害罪で逮捕された。救急隊員が近藤を搬送している最中、大量の新宿署員がおっとり刀で駆けつけた。凄惨な現場に慄きながら、血まみれの不破や歩美を署に連行した。
警視庁は岡谷組を叩く好機と捉えた。不破を石国豪殺害の従犯に仕立てようと躍起になり、近藤邸にいた若い衆も軒並み捕まえた。
不破が石国豪を取り押さえ、近藤が拳銃で葬った。石国豪に抵抗されて返り討ちにあった――警視庁が描いた絵図はこんな感じだ。
あぶく銭を稼いで調子に乗るヤクザに、銃刀法違反や殺人の罪をたんと背負わせるつもりでいたようだ。容疑者は社会に巣食うダニだ。多少強引な筋書きでも、検察は黙認するだろうと踏んだらしい。
連日のように長時間にわたって取り調べが行われた。大抵は十二時間にも及び、長い日のときは十六時間にもなった。警視庁捜査四課や新宿署員が交替で取調室に出入りし、あらぬ限りの暴言や罵声を浴びせ、ときには柔道技で痛めつけてきた。
悲しみで憔悴したヤクザなど、徹底して追い込めば都合のいい調書が書けると考えたのだろう。しかし、石国豪がいかに危険人物であるのかがわかってくると、警視庁側の旗色が悪くなった。
不破の手や衣服からも硝煙反応は出ず、凶器の拳銃までが現場から消えていた。防犯カメラの映像を収めたビデオテープはなく、若い衆たちも黙秘を続けた。
沈黙を貫いたのは岡谷組だけではない。弁護士からもたらされた情報によれば、警視庁は血眼になって目撃者捜しを行っているが、岡谷組に不利な証言をしようとする者も見つかっていないという。
近藤が暮らすマンションの居住者は、歌舞伎町の飲食店や金券ショップの経営者、もしくは彼らの情婦などだ。周囲の住民も大抵は歌舞伎町で商売をしており、警察を蛇蝎のごとく嫌っている。事件の鍵を握るパキスタン人グループはなおさらだ。彼らは事件が発覚すると、逃げるように新宿から姿を消した。
不破は銃器を数丁も抱えた石国豪に、徒手空拳で立ち向かったと主張した。あの殺し屋に拳で対抗せざるを得なくなったのは事実だった。
警視庁側は、銃刀法違反で不破を塀のなかにぶちこもうと足掻いたが、その目論見もうまくはいかなかったようだ。岡谷組が若い衆ふたりを新宿署に出頭させたためだ。
若い衆たちは事件に使われた拳銃すべてを持っており、自分たちが拳銃を所持し、不破は素手で近藤邸に向かったと証言した。怒った刑事たちから、不破は殴る蹴るの暴行を受け、肩固めで失神させられもしたが、勾留期限を迎えて釈放となった。
ワイシャツ姿で新宿署の外に出た。朝ということもあるが、空気がひんやりと冷たかった。夏はすでに終わりかけており、秋の気配が忍び寄っていた。
不破は振り返って新宿署のビルを見上げた。昭和四十四年に建てられた鉄筋コンクリートの五階建ての建築物だ。新宿副都心にふさわしい近代的な建物を目指したらしく、当時は初めてエレベーターを有した警察署として話題になったという。署内は冷暖房まで完備されていたため、季節の移ろいを感じられずにいた。
裏口の道路の路肩には国産のセダンが停車していた。セダンから土居と若い衆が降りて出迎えた。彼らの顔に笑みはなかった。不破も放免されたとはいえ、とても笑う気にはなれなかった。
「兄貴……ご苦労さまでした」
「ああ」
不破は若い衆のひとりにボストンバッグを預けた。土居がタバコの箱を差し出す。
不破は手を軽く振ってタバコを拒んだ。身体中がニコチンを求めていたが、近藤の最期がよぎって喫煙をためらわせた。タバコの量を減らしていれば、もっと筋肉をつけていれば、もっと強烈な正拳突きを石国豪の顔面に叩きこんで、あの男の意識を断ち切れたかもしれず、近藤は死なずに済んだかもしれなかったのだ。
「早く行け。グズグズしてると駐禁でパクるぞ」
警察官が野良犬を追い払うように手を振った。やけにそわそわとしており、記者たちに気づかれるのを恐れているようだった。
土居がタバコの箱を道路に叩きつけた。
「長々と閉じ込めておいて、なにほざいてやがんだ!」
「行こう。おれもさっさとブタ箱から遠ざかりたい」
不破はセダンの後部座席に乗った。
土居と若い衆も警察官をひと睨みしてから乗車した。若い衆が運転手となってセダンを走らせる。土居が詫びるように頭を下げた。
「すみません。こんなチンケな出迎えで。もっと大勢でベンツに乗って迎えに来たかったんですが。新宿署から岡谷が、出迎えは控えめにしてくれと、しつこく頼まれてたようで」
新宿署の正面玄関の方角を指さした。
「そんなに集まってんのか」
「すごい数です。どこから聞きつけたんだか。うちの事務所のほうにも、一時はわんさか集まってて。カメラマンたちが場所取りで揉み合ってましたよ。豊田商事の刺殺事件があったってのに、あいつら全然懲りてねえ」
留置場に多くの雑誌や漫画の差し入れがあった。だが、朝から消灯時間まで長時間の取り調べが続き、新聞さえ目を通す気力は湧かなかった。
土居によれば、事件は想像以上に派手派手しく取り上げられたらしい。台湾人の悪党がヤクザ六名を殺傷したのだ。殺害された者のなかには、新宿の顔役というべき大物もいた。石国豪が放った銃弾は近藤の冠動脈を貫き、救急隊員が搬送したときには絶命していた。石国豪も近藤から四十五口径の弾丸を頭に食らって即死した。
世間は刺激に飢えていた。関西の華岡組の内部抗争も収まり、史上最悪のヤクザ抗争もひとまず終了した。今度は首都東京でド派手な抗争が起きたと、メディアが飛びついたようだった。
元凶である石国豪の経歴も、世間を震撼させる極悪ぶりだった。あの男は十代からナイフで暴力沙汰を繰り返し、成人してからは兵役で覚えた殺しの技術を活かし、対立組織の構成員を少なくとも八名は殺害していた。
不破も初めて知ったことだが、その他にも台湾人の実業家や芸能人を誘拐して身代金を得るなど、カタギにも容赦なく牙を剥いていたらしかった。当局の取り締まりによってお尋ね者となると、散弾銃と手りゅう弾で警官隊の包囲を突破し、ふたりの警察官を殉死させていた。
週刊誌のなかには“台湾マフィア対ヤクザ”なる見出しで、石国豪が新宿に潜む台湾人マフィアと図り、岡谷組に戦争を仕掛けたという飛ばし記事まであった。
セダンは新宿署を東へ走って大ガードを潜った。西武新宿線の駅前を北に走った。岡谷組の事務所がある歌舞伎町を通り過ぎた。不破は眉をひそめた。
「どこに行くんだ」
「近藤の家です。岡谷からは、先にしっかり弔ってから事務所に寄れと言付かってます。兄貴は通夜にも葬式にも参列できなかったんですから。姐さんも待ってます」
「そうだったのか……」
不破の胃が重くなった。
真っ先に訪れたかったのは確かだった。だが、戸惑いを覚えずにはいられない。歩美にどんな顔をして会えばいいのか、まったく見当もつかなかった。