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昭和五十三年秋




 ワイシャツの第一ボタンが弾け飛んだ。ボタンが畳のうえを転がる。
「しまった」
 不破は思わずうめいた。
 二十歳で買ったとき、サイズはぴったりだった。だが、徐々にボタンがとめづらくなっていった。
 とくに道場に出入りするようになってからは、首周りがよりごつくなっていった。岡谷組の親戚団体のなかに、武闘派の政治団体を抱えるところがあり、柔道や空手経験のある猛者たちが集まる道場が四谷にあった。屈強な現役警察官や大学柔道部のOBなども顔を出すため、彼らに揉んでもらううちに身体全体が大きくなっていき、衣服のサイズがどれも小さくなっていった。とくにワイシャツやスーツは、義理かけのときしか着る機会がないために新調するのを後回しにしていた。
 十五のときに岡谷組の一員となって、部屋住みの修行を三年積んだ。なにかと衣服が傷みやすい稼業だからと、歩美から縫物のやり方を教わってはいた。ケンカでシャツやズボンが破けるのは日常茶飯事で縫物はすっかり得意になっていた。
 腕時計に目をやった。すでに午後二時半を回っており、約束の時間が迫っていた。ボタンを縫いつけている暇まではない。
 紳士服店に飛びこんで新しいワイシャツを買いに行くべきか。午前中に仕事を終わらせて懐はだいぶ温かくなったが、寄り道している時間まではなさそうだった。
 苦肉の策としてグレーのネクタイをきつく締めた。それでもだらしないと見咎められそうな気がした。幹部たちは格好にうるさく、とりわけ近藤の目は厳しかった。
 問題はワイシャツだけではない。ネイビーのスーツジャケットに袖を通した。ワイシャツと同じく二十歳のときに買ったもので、こちらも肩や胸のあたりがきつく、ボタンこそなんとかかけられたが、胸の下には窮屈さを示すような横じわができ、スラックスの生地も尻や太腿にぴったりと貼りつく。不用意に身を屈めようものなら、尻のあたりから破けそうだった。今日のところはこれで乗り切るしかないとしても、明日にでも新調しなければならない。
 不破は置き鏡で髪型や顔を確かめ、新品のアイパッチを着用した。
 最近は見ず知らずのサラリーマンや酔っ払いから、道端でタモリと呼ばれることが多い。テレビやラジオに出ている売れっ子芸人で、アイパッチで片目を隠しているらしい。
 昨日も酔っ払った学生グループが指を差して呼んできたので、そのうちのひとりに頭突きを叩きこんだ。
 学生グループ全員を土下座で謝らせたものの、不破の心は晴れず、己の貫禄不足を痛感させられていた。もし近藤がアイパッチをつけて街を練り歩いたとしても、彼を芸人呼ばわりしてからかう者はいないだろう。
 不破はローファーを手にしながら二階の部屋を出た。内階段を降りる。
 彼の住んでいる木造アパートは日がほとんど入らない。建物内はじめじめといつも寒く、まるで土蔵のなかにいるかのような底冷えがした。
 不破は共同玄関の三和土にローファーを静かに置いた。ローファーはつねに布と靴墨で鏡のように輝くまで磨きぬいていた。組での義理事や王一族の集まりで履くローファーは、自室で大切に保管していた。アパートには手癖の悪い住人がおり、とても玄関の下駄箱にはしまっておけなかった。
 ローファーを履いて共同玄関を出た。新大久保の路地に出ると、チョコレートの甘い香りが鼻に届く。チューインガムで有名な会社の工場がすぐ近くにあり、しょっちゅう菓子の匂いをあたりに振りまいていた。
 岡谷組での部屋住み修行を終えると、新宿付近で部屋を探した。歌舞伎町や近藤の自宅から近いうえ、いつもこのおいしそうな匂いにありつけるという理由でここを選んだ。
 母と粗末なストリップ小屋や事務所の片隅で寝泊まりしたり、男たちと雑魚寝で過ごしたりした部屋住み時代を考えれば、日当たりの悪い四畳半の狭い部屋でも、誰に遠慮することもなく手足を伸ばして過ごせるだけで満たされた気持ちになったものだ。
 おまけにメシにも困らなかった。腹が減ったら歌舞伎町の組事務所に転がりこめばいい。米やミソが豊富に常備されてあり、いつでも銀シャリを腹いっぱい食べられた。近藤の家を頻繁に訪れては、歩美の家庭料理にありついていた。
 王一族も不破を一員として認めてくれた。『ブライトネス』系列の映画館やボウリング場は顔パスで、従業員はなにもいわずに通してくれる。組が与える仕事をきっちりこなしていれば、岡谷組の仲間はもちろん、王一族も身内として扱ってくれていた。
 不破は木造アパートを振り返った。極道の道を選んだのは正しかったと思う。自分は学問だの会社経営だのといったガラではない。鋼のような肉体と野生動物にも負けない気迫で、王一族の守護者になると決めたのだ。
 しかし――。
 最近は焦りを覚えていた。こんなカビ臭い部屋に住み、組事務所や兄夫婦のメシばかりタカっていたのでは、チンピラ以上の何者にもなれない。王一族の守護者どころか、金貸しの下請けでチンケな債務者を追いかけ回してばかりいる日々が続いていた。
 アパートから小走りに南へ向かって職安通りに出た。電車ではもう遅い。流しのタクシーを手を上げて停めた。
 中年運転手に信濃町の病院に向かうように指示した。なるべく早く行くよう頼んだが、運転手はバックミラーで不破の姿を一瞥したきり無言でアクセルを踏んだ。
 心がささくれだった。返事ぐらいしたらどうなのかと問い詰めたいところだ。
 シートにもたれながら考えた。かりに乗ったのが近藤であったなら、この運転手はやはり不遜な態度を取っただろうかと。サイズの合っていないスーツを着た若僧では、舐められても仕方がないと自分に言い聞かせた。
 タクシーは西武新宿駅の傍を通って南に走った。不破は駅ビルを見上げる。ついこの前までは簡素な駅舎で、去年になっていきなり地上二十五階建ての巨大な建築物へと生まれ変わった。駅ビルにはショッピングモールとホテルが入っている。
 変わったのは西武新宿駅だけではなかった。すぐ近くには近藤夫妻が暮らすアパートがあったが、それも三年前に地上八階建てのオフィスビルになった。
 あたりにあった日本家屋の連れ込み宿も、次々にラブホテルへと改築が進んでいる。ネオン輝く西洋風の建築物へと変貌を遂げ、コンクリートだらけの街になっただけでなく、西大久保という地名そのものが消え、歌舞伎町二丁目と町の名前までが変わった。
 歌舞伎町は大久保南部の地域を飲みこみ、エリアを大幅に拡大させた。生活感にあふれた店舗住宅は大きな鉄筋コンクリートのビルへと生まれ変わり、この歓楽街にはより多くの飲食店や娯楽施設が集まり、二十四時間眠ることなくお祭りじみた賑わいを見せている。
 ――この街はもっと大きくなってぐはずだべ。
 八年前、王大偉に言い放った言葉が思い出された。『富貴菜館』の個室で親子の対面を果たしたときだ。
 鼻たれ小僧が直感で物申しただけだったが、予見したとおりになりつつある。歌舞伎町はアジア最大の歓楽街にまで成長したが、その街を作り上げた者たちのほとんどが鬼籍に入っていた。同じく立役者の王大偉もじきにこの世を去ろうとしている。
 タクシーが新宿大ガードの傍を通るさい、不破は西新宿方面に目をやった。天にまで届きそうな超高層ビル群が見える。
 不破がこの街にやって来たとき、あのあたりは建築中の京王プラザホテルだけがポツリと建ち、あとはだだっ広い空き地があるだけで、人々は草野球や鬼ごっこを楽しんでいた。
 それから八年が経ち、今年は新宿野村ビルディングが完成した。何番目かの超高層ビルも新たにそびえ立ち、そしてビルの建設が今後も続くという。不破が思っている以上の速度で街は膨張し続けていた。
 タクシーは国道二〇号線から四谷を経由し、南へ走って信濃町駅近くの大病院に到着した。運転手は最後まで急ぐ様子を見せなかった。ところどころで渋滞に巻きこまれたというのに、抜け道を見つけて走ろうともしない。
 腕時計の針は午後二時五十七分を指していた。ひとます時間内に到着はしたので、運転手に因縁をつけたりはせず、黙って料金を支払ってタクシーを降りた。

 

(つづく)