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不破はカローラバンの窓をわずかに開けた。
新鮮な空気が入り込んでくるものの、それでも車内はひどく臭った。
定員五名の車に七名の男たちが乗っていた。四名の少年を全員捕えると、手足を針金で縛って車内に押し込んだ。後ろの荷室にはコールマン髭と坊主頭が手足を縮めて転がっている。男たちの血と汗と体臭がこもっていた。
後部座席には革ジャンの男と土居を座らせた。革ジャンのほうは「痛え、痛え」としきりにうめき、土居は痛烈な打撃を食らって意識を半ば失ったままだ。針金で手足を縛ったときも、抗うそぶりさえ見せなかった。
不破は居合刀を左手で握り、奪い取ったメリケンサックを右手に嵌めて少年たちの動向を監視した。少年たちは震え上がっていた。見張っているのは不破だけでない。助手席の近藤もコルトを握って睨みを利かせていたからだ。ガキだからといって甘やかす気はないと目で伝えていた。
近藤にはふたつの顔がある。妻子に愛情を注ぐ優しい父親である一方、相手を完膚なきまでに叩きのめす非情な極道でもあった。場合によっては、少年たちの息の根も止めるつもりだろう。
「完全に重量オーバーだ。タイヤが破裂するんじゃないかとひやひやしたぜ」
南場が深々と息を吐いた。目的地に着いたのだ。
ドライブは三分もしないうちに終わった。豊島区のファミリーレストランから再び新宿区に戻ったのだ。すぐ近くに土居の住処である戸山のマンモス団地がある。不破や近藤の自宅も目と鼻の先だった。カローラバンは大久保の山手線沿いにある仕切場へと入った。
仕切場とは紙屑や金物といった廃品の取引所だ。四方を板塀と生垣に囲まれており、出入口は頑丈な鉄製の門扉で閉ざされていた。門扉には太い鎖が巻かれ、南京錠で施錠されている。
南場が運転席を降りた。まるで自分の家のように南京錠を外して門扉を開けると、再び運転席に乗りこんで車を敷地内に移動させた。
仕切場の隣には菓子メーカーの大きな工場があり、真新しい鉄筋コンクリート造りの団地や学校が見える。仕切場の敷地内だけは戦後闇市の臭いが漂っていた。
広大な空き地の隅にトタンのバラック小屋があり、その隣には古いテレビや洗濯機といった壊れた電化製品が雨ざらしで積まれてある。その他にも段ボールや古新聞紙の山がいくつもあった。
昼間は国鉄や西武新宿線の電車がひっきりなしに通り過ぎ、バタ屋と呼ばれる廃品回収業者が出入りするが、深夜の今は行き交う電車はない。濃密な闇と静寂に包まれていた。
「誰だ、この野郎」
バラック小屋から声がした。引き戸が勢いよく開かれた。
ガッチリとした身体の中年男が角材を手にして出て来た。仕切場の親方の徳山春男だった。不破の兄貴分である徳山次郎の叔父にあたり、ダボシャツのうえにカストロコートを着込んでいる。
「おれだよ、親っさん」
助手席の近藤が車を降りた。彼が手を掲げると、春男は角材を地面に放り捨てた。
「近藤さんか。こんな夜分にどうしたんです」
「急に来てすまない。少しだけここを借りたいんだが」
「ようがす。わしらは外しますんで」
春男は二つ返事で応じた。
彼は理由を聞かずにバラック小屋に戻ると、大声で住み込みの従業員たちを叩き起こした。春男は眠たそうな従業員たちを引き連れてバラック小屋を出た。
「こいつで一杯飲ってくれ」
近藤が春男に数枚の紙幣を握らせた。
「すいません。いつもどうも」
春男は従業員を連れて住処を出て行った。
岡谷組と仕切場との関係は長い。春男の父親が廃品を回収するバタ屋の元締めをしていたころからのつきあいだ。歌舞伎町からも離れていないため、銃器やその他もろもろの隠し場所として使われ、時には制裁の場としても利用される。
不破がここを訪れるのは四度目だ。新宿東口で勝手にシンナーを売りさばいたよそ者や、組のカネを競馬に使った組員をここに連行してケジメをつけさせた。
近藤が後部座席のドアを開けた。バラック小屋の電灯と車内灯で、男たちの姿が照らされる。
ひどいケガなのはリーダー格の土居ぐらいだった。他の少年たちは打撲や亀裂骨折くらいだが、土居だけは左頬を熟したトマトのように腫れあがらせていた。下の前歯も一本なくなっている。口から大量の血を流し、着ているジャンパーは真っ赤だった。
近藤がコルトを取り出して撃鉄を起こした。静かな口調で少年たちに告げる。
「お前らには死んでもらう」
車内の空気がさらに重くなり、少年たちは顔を死人のように青ざめさせた。
近藤が革ジャンの男のこめかみに銃口を押し当てた。小便の臭いがした。革ジャンの男が派手に失禁していた。
「な、な、なんで……なんですか」
「なんでもクソもない。一億なんて大金ふっかけたんだ。命がけの大勝負になるのはわかっていただろう」
「い、一億!」
少年たちが目を見開いた。初耳だといわんばかりに首を必死に振る。
不破は少年たちの反応を注意深く観察した。
少なくとも手下たちが嘘をついているようには見えなかった。一億円もの大金を得るどころか、美人局でそこらのエロ親父から小金を巻き上げる気しかなかったのだろう。
「とぼけやがって」
不破が身を乗り出した。革ジャンの男の鼻をメリケンサックで殴る。
軽く打ったつもりだったが、男は後部座席から外へと転がり落ちた。男は鼻血を垂れ流しながら、一億なんてとんでもないと訴えた。
近藤が男の肩を革靴で小突いた。
「美人局をしたことは認めるな? 歌舞伎町の『ダイナスティ』で」
「はい、はい」
男は素直に認めた。死刑宣告をされて完全にまいっているようだった。
不破は後ろを振り返った。荷室で窮屈に縮こまっているコールマン髭と坊主頭に、鈍色に光るメリケンサックと居合刀を見せつける。
「じゃあ、やったのはお前ら四人か」
坊主頭とコールマン髭が顔を見合わせた。
この期に及んで喋るのを躊躇していた。不破は奥歯を噛み締めた。きれいさっぱり自白させた近藤と違い、ひどくナメられている気がした。
坊主頭の左手首を狙って居合刀を突き出した。彼の左手首はすでに赤く腫れあがっている。おそらく骨折しているだろう。そこを居合刀で叩いた。坊主頭が盛大な悲鳴を上げた。
コールマン髭の額に居合刀を突きつけた。
「ひとり生き残ってりゃ充分だよな。今からスイカ割りだ。脳みそまき散らしてくたばれ」
「自分らです! 自分ら四人っす。おれらなんも知らなくて。一億なんて本当にわかんねっす。だって、おれは土居君から五万円しか受け取ってなくて」
コールマン髭が一転して早口で答えた。坊主頭を見やった。彼は左手首を抱えながらうずくまっている。坊主頭も慌てて口を開く。
「おれも……五万円だけっす。相手も知りませんでした。段取り組んだのは土居君で、あのラブホテルに格好のカモがいるからって……あそこらへんは本職の人たちの縄張りだから、恐喝やるなんてまずいのに、土居君はやるってきかなくて――」
坊主頭が涙声で打ち明けた。だが、そこで怒声が車内に響き渡った。
土居が意識を取り戻したらしく、坊主頭の告白をかき消すかのように声を張り上げたのだ。
「黙れ、てめえら! ヤー公にちょっとカマされたぐらいで、なにをペラペラ喋ってやがる。それでも“新宿弑逆”のメンバーかよ」
土居は縛められた両手を振り回した。
他の手下たちより手ひどく痛めつけられたというのに、狂犬のように暴れ回る。暴走族のリーダーだけあって鼻っ柱が強い。
土居の両手が不破の肩に当たった。不破の身体にもたれかかると、血の混じった唾を頬に吐きかけてきた。
不破は少年時代を思い出した。東北の田舎で村の悪ガキどもに囲まれたときを。この土居のように必死に抗い、唾液を周囲にまき散らしたが、けっきょく肥溜めに叩きこまれた。
「お前はよく知ってそうだな」
不破は居合刀を助手席に放り投げた。
土居のパンチパーマを鷲掴みにすると、後部座席のドアを開け放った。不破は腕に力をこめて土居を車から引っ張り出す。
土居は口やかましく罵詈雑言を浴びせかけるものの、両足を針金で拘束されているため、革ジャンの男と同じく地面に転がり落ちた。土居の縮れた頭髪がブチブチとちぎれる。
土居の首根っこを掴むと、不破は仕切場を見回した。敷地の隅にフタのないドラム缶が放置されてあった。不破は土居を連れてドラム缶へと歩む。
※本作には「バタ屋」など、現在では不適切とされている用語・表現が使用されていますが、作品の時代性を鑑みてそのままにしております。