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ボウリング場での労働はきつかった。
目が回るほど忙しく、労働時間は長かった。『新宿ブライトボウル』は午前十一時に開店し、翌朝の六時に営業を終える。
不破少年はアルバイトとして採用された。王智文から初出勤の日に告げられた。『ブライトネス』グループの社員としてふさわしい人間かどうかを、働きぶりを見てから判断すると。
昼のシフトに組み込まれたが、人手不足でそのまま朝まで働かされることもあった。
都内のあちこちで新たなボウリング場がオープンし、ライバル店は増える一方だという。だが、『新宿ブライトボウル』は平日でも盛況で、開店前から長蛇の行列ができた。もはや娯楽目的で訪れているのではなく、本格的にその道を極めようとする者やプロ志願者もおり、マイシューズやマイボールを抱えながら険しい顔でやって来る者もいた。
不破少年が任されたのは巡回や清掃業務だ。ようは雑用であって、プレイを終えた客のベンチや汚れたアプローチを掃除して回り、夜中は貸し出し用のシューズの掃除や、ボールのオイル抜きといった作業をする。
すべてが自動の機械式とはいえ、三十五レーンもある大型店だ。ボールリターンやピンセッターの調子が悪く、ボールが詰まったり、ピンがうまく立たなかったりと、トラブルはしょっちゅう発生する。
客を待たせないように対処に追われ、ピンセッターの大型機械に巻き込まれないように注意を払いながら、重いピンを担いでセットし直す。すると今度は別のレーンでなにかしら不具合が起きて、店内を駆けずり回ることになる。
体力には自信があったが、開店時から翌朝まで働き続けると、足がもつれてまともに歩けなくなることもあった。しゃかりきになって働いていると時間の流れが速くなり、新宿中央公園に咲いている桜の花を見て、季節が春になっていたのに初めて気づく有様だった。
新宿にやって来てから三ヶ月の月日が経っていた。
父親の王大偉にはまだ会えていない。台湾に出張していたという王大偉も、とっくに日本に帰国していると思うが、自分の存在が伝わっているかどうかはわからないままだった。
彼の息子たちとも顔を合わせていない。『新宿ブライトボウル』には支配人がいた。王智文はそのボウリング場を運営している『大慶エンターテインメント』の社長であって、ボウリング場の一介のアルバイトに過ぎない不破少年にとっては雲の上の存在なのだ。王一族の城に入ることを許されたものの、身内などとはまったく見なされていないのは明らかだ。
――親父は身内を重んじる。お前のことも耳にしているはずだ。そうは言っても親父は厳しい男だ。たとえ親族であっても怠惰で無能であるなら目もくれない。兄貴たちもそれをよく知っているからこそ、アメリカまで行って必死に勉学に打ちこんで、ともに力を合わせて会社を大きくしてきたんだ。親父に会いたければ、お前も実力を見せつけるといい。
近藤からはそう助言されていた。
彼に拾われたおかげで進むべき道がわかった気がした。ただ息子なのだから会わせろとせがむのは、王一族の一員としてはふさわしいように思えた。
「ダンペイ、悪いけどさ、明日は通しで入ってくんねえか。バイトが風邪で休みたいと電話してきやがった。熱があるんだと」
主任の下川から告げられた。
ダンペイというのは下川からつけられた仇名だ。不破少年が黒のアイパッチを着用している姿が、まるで『あしたのジョー』に登場する丹下段平のようだからだという。
下川は『新宿ブライトボウル』を運営する『大慶エンターテインメント』の正社員だ。従業員の管理や団体客の予約や必要レーンの確保、ボウリング教室の運営といった企画や事務を担当していた。
「わがりました」
不破少年はボウリングシューズをブラシで磨きながら即答した。シューズはフル回転で貸し出されるため、一日で靴底には汚れや埃がつく。
「やっぱ大学生は根性ねえわ。ちょっとの風邪ぐらいで休むなんてよ。案外、デートでもしてんのかもな」
「どうだべが」
壁時計に目をやった。深夜零時を過ぎていた。終電が近づいて客の数が一段落すると、シューズやボールの手入れが中心となってくる。
今日も開店から朝まで働く予定だ。労働を終えたら急いで睡眠を取り、また十七時間通しで勤務しなければならない。体力が持つだろうかと不安になりながらも、人手が足りないのだからと割り切るしかない。
「ちょ、ちょっと待ってください。最近ずっと不破君に任せっぱなしじゃないですか。先週だって三回も通しで入ってるし。過労で倒れたらどうするんですか」
声を上げてくれたのは、一緒にシューズ磨きをやっていた篠原麻里だった。
麻里も『大慶エンターテインメント』の若手社員だ。中山律子や須田開代子のような女子プロボウラーを目指し、長野から上京したのだという。
彼女はきつい仕事を終えた後もボウリング場に残って、ひたすらマイボールを投げては技術向上に努めていた。中山律子と同じように頭髪を短くし、眉を細めに剃っている。中山と同じく首がほっそりと長い美人なため、たびたび客から見間違われていた。
下川は片頬を歪めて笑った。不破少年を指さす。
「麻里ちゃん、なに? こいつに惚れてるの?」
「そういうことじゃありません! 従業員の管理に問題があると言ってるんです。それに不破君は未成年なんですよ」
麻里が眉を吊り上げて主張する。
彼女は曲がったことが嫌いで、上司だろうと客だろうとズバズバと意見をする。
下川が鼻を鳴らして不破少年に言った。
「全然大したことねえよなあ。ダンペイは田舎で野山駆けずり回ってた野生児だぜ。身体は頑丈だしよ。ヘビや昆虫だって食ってたんだろ?」
「そだなもんは食ってねえげんど、主任の言うとおりだべ。体力には自信があっぺし、つらいとは思ってねえっす」
不破少年は麻里に頭を下げた。彼女は心配そうに声をかけてくれた。
「無理しちゃダメだよ。ここは危険な仕事だらけなんだから。ボーっとしてたら、ピンセッターに巻き込まれて死ぬかもしれないんだから」
「お、そうだ。それなら死亡保険には入っておけよ。受取人をおれにしといてくれや」
下川はおもしろい冗談を言えた気になっているのか、ひとりで大笑いしていた。
この上司は嫌なやつだった。年齢は二十代後半くらいで、東京の下町で生まれたのを鼻にかけ、やたらと江戸っ子をきどって地方出身者をバカにする。新宿に集まる人間の多くが田舎からやって来るというのに、地方出身者を一段下に見ていた。
不破少年のように垢ぬけておらず、訛りもきつい人物は格好の餌食だった。こうした男が従業員の管理を担っているのだから、アルバイトやパートがなかなか定着せず、職場は常に人手不足に陥っていた。
「巡回に行ってきます」
麻里が肩を怒らせながら従業員室を出て行った。去り際に不破少年に声をかけていった。
「本当に気をつけてね」
「わがりました」
不破少年は神妙にうなずいてシューズ磨きを続けた。
危険なのは間違いなかった。この三ヶ月だけで事故を山ほど目撃している。もっとも多いのは、ボールリターンで勢いよく押し戻されてきたボールと、ラックに溜まっていたボールの間に指を挟まれてケガをするケースだ。指を骨折する客もいた。
従業員のなかでも、ボールを運んでいる最中に、うっかり手を滑らせて足に落としてしまう者もいた。夕方から深夜にかけては、愚連隊や酔っ払いといったスジの悪い客もやって来る。そして、ヤクザの嫌がらせもあった。
下川が冷やかすように口笛を鳴らした。
「ダンペイ、お前えらくモテるじゃねえか。やっぱ田舎者同士、気でも合うのかねえ」
「はあ」
ここは危険で気も抜けない。性格の悪い上司もいる。
しかし、不破少年にとってはずっとマシな場所だった。下川は嫌なやつとはいえ、投石をしてくるわけでも、肥溜めに突き落とそうとするわけでもない。徒党を組んで袋叩きにもしてはこない。
不破少年は左手でアイパッチにそっと触れた。歩美が就職祝いとしてプレゼントしてくれたものだった。材質はシルクで艶やかな手触りがする。
職場には麻里のように心配してくれる先輩がいて、近藤夫妻のように親身になってくれる人々もいた。
近藤夫妻の住居には二週間もいた。若い夫婦の部屋にいつまでもいられるはずはなく、支配人に頼み込んで下宿屋を見つけてもらった。
そこは国鉄新宿駅南口にある木賃宿を改築したもので、ゴキブリや南京虫が我が物顔で棲みついているような不潔な三畳間だったが、雨露がしのげるだけありがたかった。長時間働いているので、給金も思った以上に多い。もし近藤と出会っていなければ、まともな職にもありつけず、浮浪児として新宿の路上や公園をさまよっていたかもしれない。
未だに父親との面会すら叶わなくとも、寂しさを感じずにやっていけているのは近藤夫妻のおかげだった。
近藤は無口であまり笑わない。触れれば切れるナイフみたいな雰囲気もある。その一方で妻子には優しく、息子にはナイフどころか、溶けかかった板チョコみたいにデレデレに甘くなるのを知っていた。不破少年が下宿屋に移ってからも、なにかと目をかけてくれた。
西大久保の自宅に不破少年を誘い、歩美が夕食や朝食をごちそうしてくれた。母と旅暮らしをしていたときは、もっぱら食事は店屋物ばかりだった。野菜の煮物や具だくさんの味噌汁など、不破少年がこれまで食べられなかった家庭的な料理をふるまってくれた。
不破少年は初めて給金をもらうと、百貨店の玩具売り場で『トムとジェリー』のぬいぐるみを買った。雄也にプレゼントをすると、近藤夫妻は喜んでくれた。
――叔父さんが来てくれたぞ。よかったなあ。
不破少年が訪れると、近藤は雄也にいつも言ってくれた。彼の身内になれたようで嬉しかった。
近藤はあまり過去を話したがらなかったが、酒が入っていつもより多弁になると、自分の母親についてポツリポツリと話してくれた。
――お袋は戦争で夫を亡くして、新興財閥系の化学工場で働いていた。王大偉は戦前、そこで工場長をしていたのさ。怖い女房がいるにもかかわらず、部下のお袋といい仲になっちまったってわけだ。
近藤は昭和十九年生まれの二十六歳だ。母親のことは覚えていないという。彼が生まれた翌年六月の空襲で、母親が焼夷弾の餌食になったからだ。赤ん坊だった彼もひどい火傷を負った。
近藤と一緒に銭湯に入ったときに、彼の人生が波乱に満ちていたと知った。彼自身は無口ではあっても、その肉体は雄弁だったのだ。
近藤の身体に彫り物はなかった。肩から背中にかけて大きな火傷の痕があり、腹や腕にはムカデのような傷跡がいくつもあった。焼夷弾で背中を焼かれて死線をさまよい、母親を失ってからは王大偉の養子となって引き取られた。
王大偉は戦後に闇市成金となって成功し、新宿屈指の富豪となり、現在の娯楽産業の土台を築いた。
だが、近藤は王兄弟のようなエリート街道を歩めなかった。王大偉の正妻である徐慧華のせいだという。近藤の弟分である南場宏と、徳山次郎が不破少年にこっそり教えてくれた。
――慧華さんを恨んではいない。私があの人の立場だったら、きっと同じことをしたと思うから。決して恨んじゃダメよ。
母はよくそう言っていたものだった。
徐慧華は母を新宿から追い出した人だ。南場たちによれば、新宿の王となった王大偉が唯一頭が上がらない人物でもあるという。
王家に引き取られた近藤は、王兄弟と分け隔てなく育てられた。王大偉の三男として家族と同じテーブルで食事をし、兄ふたりと同じ部屋で育ち、熱海にキャデラックで家族旅行もした。ただし、兄たちのように名門私立の学校には通わせてもらえず、地元の公立の小学校に入れられたのだ。
当時の王大偉は『モンマルトル』の経営に失敗し、歌舞伎町にもいち早く進出したものの、開発の遅れもあって映画館の売上も芳しくなく、高額な学費がねん出できないというのが表向きの理由だった。
だが、真の理由は徐慧華の横槍だという。妾の子の近藤にエリート教育を受けさせれば、兄ふたりの存在がかすむほどの実力をつけかねないと。
近藤はそれだけ利発な子供だったらしい。五歳で読み書きソロバンを覚え、『モンマルトル』に出入りするようになると、演者のセリフをそらんじてみせた。父や兄たちのように実業界へと進み、娯楽業界でもトップクラスの企業に成長させたいと、早くも将来の夢を抱いていた。
近藤は公立小学校でも優秀な成績を修めた。並外れた頭脳の持ち主だったらしく、両親が話すビン南語(ビンは門がまえに虫)だけでなく、『モンマルトル』のインテリ俳優たちから英語も教わっていた。ゆくゆくは兄たちと同じく、アメリカの娯楽業界の最前線を知り、世界に通用する経営を学びたいと思っていたのだ。