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 南場がカローラバンの速度を緩めた。
「あともう少しです」
 深夜の明治通りは明るかった。たくさんのタクシーやトラックのヘッドライトが通りを照らしている。
 助手席の不破は窓に目をやった。もう新宿に住んで長いというのに、このあたりにはほとんど縁がない。歌舞伎町から車で北に向かっていた。
 都内有数の文教地区とあって、左側には早稲田大学の巨大な校舎がそびえ立ち、右側は戸山高校と学習院女子短大の敷地が見えた。赤い鋳鉄製の立派な校門に目を奪われる。キャンパスに植えられた木々の枯葉が通りにまで飛んでくる。
 町全体に知性と教養の匂いが漂っており、欲望の街に生きる不破にとってはなんだか居心地が悪い。
 後部座席の近藤に目を向けた。ネクタイこそ外していたが、尾崎をもてなしていたときと同じく、仕立てのいいスーツを着たままで、そのうえから黒のロングコートを羽織っている。
 その一方で、不破は動きやすいトレーニングウェアを着用し、南場も作業服で臨んでいた。どれほど汚れようと擦り切れようと構わない格好だ。
 カーラジオから『君の瞳は10000ボルト』が流れていた。堀内孝雄の野太い声が耳に届く。いかにも秋を感じさせる歌詞ではあったが、今は聞き惚れている場合ではない。目的地が迫ってくるとボリュームを絞った。
 高戸橋交差点を左に曲がった。大小のビルやマンションが立ち並ぶなか、とりわけ大きなオフィスビルの一階にレストランのネオンサインが見えた。猛烈な勢いで成長しているファミリーレストランだ。
 この手のレストランは米国のコーヒーショップを参考にしているらしく、ガラス張りで開放的な雰囲気とおかわり自由のアメリカンコーヒーを売りとしていた。郊外や地方へ行くと、街道沿いでよく見かけたものだ。
 オフィスビルの裏手にレストラン用の駐車場があった。平日の深夜だというのに、駐車スペースの九割が埋まっていた。
 駐車場はオフィスビルの陰に隠れた位置にあり、通りからはほとんど見えない。レストランの灯りやネオンも届かず、濃厚な闇に包まれている。
 レストランの正面玄関の近くには、“ゼッツー”と呼ばれるナナハンのカワサキ750RSとKH400の“ケッチ”、それに250CCのホンダのバイクが並んでいる。絞り込みハンドルや切断マフラーなど、いかにも暴走族らしい改造がなされている。
 不破はバイクに詳しくなかったが、借金のカタとして債権者から取り上げているうちに車種くらいは見分けがつくようになった。
 南場が運転席から降りた。
「偵察に行ってきます」
「おれが行きますよ。下っ端のおれの役目ですよ」
 不破が南場を止めた。南場は不破のアイパッチを顎で指した。
「お前は目立つ。人にはそれぞれ役割があるんだよ。暴れるほうはお前に任せる」
 南場は作業帽をかぶると、小走りになって店へと消えた。
 確かに南場は作業着姿になるとカタギにしか見えない。コーヒー目当てに立ち寄った作業員と化す。記憶力のほうも刑事顔負けで、逃げた債務者を発見するのも得意だった。襲撃犯と思しき連中のツラや特徴も頭に叩きこんでいる。
 車内は近藤とふたりきりになった。不破は脇に置いていた大型封筒を手に取った。悪徳警官の尾崎が持参した容疑者の身上調書だ。都内にいる暴走族の構成員のなかで、年少リングを入れた連中を選び出してくれた。
 もっとも疑わしいのは、やすひこという十九歳の新宿区在住の悪ガキだった。戸山のマンモス団地で育ち、中学のころから地元で番を張り、他人の単車を乗り回していた。傷害と強姦で多摩少年院に入って一年間収容された。
 土居は少年院を出てからは地元の仲間たちとつるんで、『シン宿ジユクシイギヤク』を結成。練馬や杉並のチームとの抗争に明け暮れ、その後も警察の厄介になっていた。パンチパーマの頭に剃り込みまで入れている。十代とは思えないふてぶてしい顔だった。
 このファミリーレストランは豊島区にあるが、土居の住処のマンモス団地からそう離れておらず、連中のたまり場となっているという。
「震えてるな」
 近藤に声をかけられた。書類を持つ手が確かに震えていた。
「興奮してるんです。一族のために身体張れるのかと思うと。世界戦のタイトルマッチみたいで」
「ただの前哨戦だ。入れ込みすぎるな」
 近藤はタバコに火をつけた。リラックスした様子でシートに身を預ける。
 南場が五分もしないうちに店を出て来た。彼の表情は張りつめていた。不破たちに向かって右腕を上げ、四本の指を立てた。土居を含めて四人いるという意味だ。
 近藤がコートを着たまま車を降りた。
「思ったよりも少ないな」
 不破も武器を手にして降車する。
 不破たちは店へと歩んだ。近藤が南場に指示を出した。
見張りシキテンを頼む。連中の仲間や警察サツが来ないか見ててくれ」
「わかりました」
 近藤がゼッツーを無造作に蹴倒した。
 その隣にあったケッチやホンダも巻き込まれ、ドミノのように次々と倒れていく。地面にぶつかるたびに派手な音を立て、金属の擦れる嫌な音がした。ゼッツーのミラーステーがひん曲がり、他のバイクのヘッドライトが砕ける。
「なにやってんだ、コラァ!」
 店の玄関ドアが勢いよく開かれた。
 怒鳴り声は太くなく、いかにもガキっぽい。現れた連中の身体は細い。
 まず現れたのは三人だ。リーゼントにサングラスをした革ジャン。眉をほぼそり落とした坊主頭。ツナギ姿にコールマン髭など、それぞれナメられないよう工夫をこらしている。
 三人の後ろには土居らしきパンチパーマもいた。さすがにワルどもの大将だけあり、ひとりだけ背丈が高く、身体が岩のようにゴツゴツしている。
「どこのもんだ!」「死にてえのか!」
 男たちが近藤に怒声を浴びせながら戦いの準備をした。メリケンサックを手に嵌め、ポケットからモンキーレンチを取り出し、近藤に大股で近寄る。
「名乗るほどのもんじゃないよ」
 近藤が静かに言った。男たちに射るような視線を向ける。
 男たちの怒声が止んだ。本職の幹部らしき男に睨まれて圧倒されたのか、三人は土居に救いを求めるように見やった。
 早くも勝負は決まったようなものだ。不破は背後に隠していた日本刀の鞘を掴んだ。白木の鞘から刀を抜き払うと、銀色の刀身がネオンの光でギラリと輝いた。
「うわあ」
 革ジャンの男が背を向けた。不破は彼を後ろから袈裟斬りにした。男の肩に刀身がめりこむ。男がわめき声をあげて駐車場を転がる。
いてえー!」
 不破が手にしているのは練習用の居合刀だ。刃がついていないので斬れはしない。とはいえ、亜鉛とアルミニウムの合金でできており、重い金属棒には変わりないため、力をこめて叩きつければ充分なダメージを与えられる。
 居合刀は相手の心を挫くのに最適だ。ヤクザが日本刀を握り、強い殺気とともに振り下ろせば、大抵は斬られたと勘違いを起こす。革ジャンの男本人もそう思い込んでいるだろう。
「次はお前らだ」
 不破は男たちに詰め寄った。
 坊主頭が右手にメリケンサックを嵌めていたが、殴りかかってくる様子はなく、ひたすら亀のように身体を丸める。
 居合刀をバットのように横から振り、坊主頭の左手首に刀身を叩きつけた。骨に当たったらしく、ガツンと硬い音が鳴った。
 坊主頭が悲鳴をあげて地面にしゃがみこんだ。左手首をおさえたままうずくまる。
「すんません! すんません、すんません」
 コールマン髭が武器を手放した。
 彼はモンキーレンチを握っていたが、それを捨てて降伏の意を示す。近藤の殺気と不破のハッタリが、ケンカ上等の悪ガキの戦闘意欲を打ち砕いたのだ。
 不破は確信した。襲撃犯はこいつらだと。コールマン髭は洟をたらしながら、なおも「すんません」と念仏のように唱えている。掟破りをした自覚があるのだろう。
「なに芋引いてやがる!」
 土居がコールマン髭の後頭部に鉄拳を見舞った。加減のない殴打でコールマン髭は地面に跪く。
 手下三人が打ちのめされても、土居だけは顔を真っ赤にさせ、敵意むきだしで睨みつけてきた。ボア付きのジャンパーの内側に手を突っこむと、新聞紙で包んだ文化包丁を取り出した。
「ヤー公がなにしてくれてんの! おお?」
 土居が新聞紙をビリビリに破り取った。
 文化包丁を両手で握りしめ、素手の近藤へと向かった。再び塀の中に入るのも辞さない覚悟を感じる。
 刃物を持った相手に素手で対抗するのは愚かだ。それができるのはアクション映画や劇画の世界ぐらいだと思っている。空手や柔道をみっちり習った大男が、シンナーやクスリに溺れた痩せっぽちのナイフで血の海に沈んだ例を歌舞伎町で山ほど見てきた。
 近藤もそれを熟知していた。舎弟たちに対しても相手が刃物を抜いたら、石ころでもゴミバケツでも投げつけるか、意地を張らずにひとまず逃げろと教えている。
 その彼もスーツの内側に手を入れ、土居の行動を真似るかのように懐から武器を抜いた。ショルダーホルスターに入れていた軍用拳銃のコルトガバメントだった。
 近藤はコルトを右手で握った。長い腕を伸ばして土居の顔面に銃口を突きつける。
 土居の全身が氷像のように固まった。目玉が今にも飛び出しそうだ。
 刃物は他人の心を萎縮させるが、銃器はそれ以上の威力を発揮する。ふたりは一メートルと離れていない。外しようのない距離だった。
 近藤がすばやく動いた。足を鞭のようにしならせて前蹴りを放ち、銃口とにらめっこしていた土居の顎を蹴り上げる。
 土居の腰がガクリと落ちた。脳を揺さぶられて足をふらつかせる。不破が駆け寄ってトドメの一撃を加えた。土居の頬を居合刀で薙ぎ払う。
 土居が身体を半回転させて地面にうつ伏せで倒れる。彼の意識は吹き飛んだらしく、アスファルトに顔をつけたまま動かなかった。だが、しぶとく左手で文化包丁を握っている。
 不破はしゃがんで土居から文化包丁を奪い取った。彼の左手を凝視する。薬指と手の甲に真っ黒な年少リングの刺青が入っていた。
「ドライブしようか」
 近藤が手下の三人にコルトを向けた。抵抗を試みる者はいない。三人は痛みと恐怖でべそをかくばかりだった。

 

(つづく)