3(承前)
「美人局ですか。やったのは誰です?」
「わからない……女たちと遊んでる最中に、四人の男たちが部屋になだれ込んできた。全員が覆面で顔を隠してな。まるでミュンヘン五輪の“黒い九月”みたいに頭から目出し帽のようなものをかぶって、全員が右翼団体の隊服みたいのを着ていた」
王英輝が首を横に振った。不破が写真を指さした。
「『ダイナスティ』じゃないですか。歌舞伎町二丁目の」
「どうしてわかる」
王英輝が目を丸くした。
「組事務所の近くにある宿ですから。こんなでっかい回転ベッドを売りにしてるのは、今のところ歌舞伎町じゃここだけなんで」
近藤が淡々と質問を続けた。
「なぜこんな安宿に? 兄貴ほどの人なら、『京王プラザ』でも『ニューオータニ』のスイートルームで遊べたでしょう」
「あのバカ息子のせいだ! おれだって好きでこんな場末の連れ込み宿なんかに行きたかったわけじゃない」
王英輝がテーブルを拳で叩いた。コーヒーカップが音を立てて、中身がソーサーにこぼれた。
近藤は両手をあげて長兄を落ち着かせた。すぐ隣の部屋には王大偉と徐慧華がいるのだ。王英輝も深呼吸をして感情を制御しようとする。
彼は声のトーンを落として続けた。
「おれだってそうしたかったさ。だが、善一のほうがひどく嫌がったんだ。一流ホテルじゃ親父の仲間や顔見知りと鉢合わせするかもしれないと。けっきょくそのおかげで散々な目にあった」
王英輝によれば、その日は人生最悪の夜だったという。
現在の『ブライトネス』と杉若はもはや切っても切れない仲にある。杉若徳太郎はとんでもない金食い虫だが、スムーズに宅地開発の話が進んだのはその金食い虫の口利きのおかげだ。
『ブライトネス』を成長させるには、今後も杉若の力が必要不可欠であり、もうすぐ代替わりがなされるとなれば、善一に対する目配りも欠かせない。
女好きの善一を喜ばせるため、定期的に若い女を派遣させて、『ダイナスティ』で乱交パーティを開いていたのだった。
王英輝の告白に耳を傾けながら、不破も長兄のプライドを傷つけまいとポーカーフェイスを装った。これほど脇の甘い男だったのかと、内心では呆れていたが。
歌舞伎町の連れ込み宿やラブホテルは、お世辞にも治安がいいとは言えない。一種の無法地帯だ。ただの売春宿と化しているところがあれば、トルエンや覚せい剤の取引の場として使われたり、ヤクザの監禁部屋と化すときもある。
強姦騒ぎや盗難といったトラブルは日常茶飯事だが、事件になるのを恐れて警察に駆け込む者は多くない。宿側も客のプライバシーとやらに気を遣い、防犯カメラといったご大層な機械を取りつけているところはなかった。
とりわけ『ダイナスティ』は危うい宿として知られていた。新しく建てられたばかりで浴室は大きく、豪奢な調度品や回転ベッドが評判を呼んで人気を博している。
その一方で、防犯という意識は薄かった。支配人兼フロント係は居眠りばかりしている老人で、他の従業員はいつも部屋の掃除に忙殺されている。
襲撃者の男たちがフロントの前をこっそり通り、客室までゆうゆうとたどり着く姿を容易に想像できた。客室のドアの鍵など、悪党であれば開ける手段はいくらでもある。
王英輝によれば、しっかりとドアの鍵をかけたというのに、男たちは当たり前のように入室してきたという。
近藤が顎をなでた。
「わざわざ覆面なんてしていたとなると、脅す相手が大物なのを熟知していた可能性が高い。女たちもグルでしょう。いつもどこから調達してたんです?」
「善一だよ。あいつの友人のなかに芸能事務所の社員がいる。そいつにいつも用意させていた。そいつがまだ売れていない芸能人やモデルの卵に声をかけて『ダイナスティ』に行かせる。政治家や財界人にもあてがう有能な女衒だという評判で、けっこうな仲介料を取っていた。今回の件があった翌日、善一がそいつを捕まえて問い質そうとしたが、芸能事務所を辞めて行方をくらませていた。完全におれたちは嵌められたんだ」
女たちはそれぞれ“ミー”と“ケイ”と名乗った。
だからといってピンクレディーに似ているわけではなく、むしろ榊原郁恵やアグネス・ラムのようなグラマラスな体型だったらしい。高いカネを払って呼んでいただけあり、ともに都会的な美人だったそうだ。
しかし、王英輝は無念そうに語った。ふたりとも化粧が濃かったうえ、照明を暗くしていたため、顔の細かな特徴までは覚えていないという。
覆面の男たちは暴力を使って脅し上げると、王英輝たちのヌード写真を何枚も撮った。正座をさせるだけでなく、股を広げて陰茎を見せるよう強要さえしてきた。
ミーとケイはその間に衣服を着ると、自分たちは無関係だといわんばかりにそそくさと部屋から消えた。覆面の男たちも撮影を終えると、無言で立ち去ったという。
「最初からこんな破廉恥な遊びなどしたくなかった。とはいえ、あんな男でも自政党の有望株となる。こっちとしては神輿を担ぎ続けなきゃならなかった」
「そうだな。みんなは兄貴を王様だと思っちゃいるが、陰でドブさらいのような仕事で汗かいていることを知らない」
近藤が相槌を打って理解を示した。不破もうなずく。腹のうちでは別の考えを抱いていたが。
王英輝は善一とともに乱交パーティを大いに愉しんでいたのだろう。『ダイナスティ』を選んだのは善一だと主張しているが、王英輝のほうではないかと疑っていた。
一流ホテルで友人や顔見知りと鉢合わせしてしまうのは彼も同じだ。杉若の政治資金パーティにしょっちゅう顔を見せているうえ、近年は『ブライトネス』グループの祝賀会や式典もこれらのホテルのホールで行うようになったからだ。ホテル側はドアマンから重役まで、得意先である王英輝の顔をしっかり記憶しているだろう。
夫婦関係がとうの昔に破綻していることは、王一族だけでなく『ブライトネス』グループ全員が知る公然の秘密だ。艶福家である王大偉の血を引いているのだ。愛人のひとりやふたりいてもおかしくはないと、昔から社員たちの間で噂されていた。特定の愛人はいなかったようだが、遊び人の善一とつるみ、接待と称して不特定多数の美女とたわむれて、日々の鬱憤を晴らしていたのだろう。
近藤はコーヒーを口にした。
「相手からの要求は?」
「翌々日にこんなのが届いた」
王英輝は再び手提げカバンに手を入れ、切手の貼られた茶封筒を取り出した。近藤はそれを受け取って中身を確かめた。不破も横から目をやる。
茶封筒のなかには折りたたまれた便箋が入っていた。便箋には新聞や雑誌などの字を切り抜いたと思しき文字がノリで貼りつけられてあった。
不破が思わずうめいた。
「一億って……」
便箋には“一おく円ハらエ”と記されてあった。王英輝が顔をしかめた。
「写真と一緒にこの手紙が同封されていた。議員会館の杉若事務所にも善一宛に同じものが届いたらしい。やつは半狂乱になって、おれに責任を取れと怒鳴るばかりだ。あいつのヘマだというのに」
近藤は写真や便箋の裏を調べた。
「カネの受け渡しについてはなにも書かれていないな」
「どのみち一億なんて用意できるか。いくら社長だからといって、こんな大金を使いこめば横領したとすぐにバレる。おれ個人にこんな財産はない。かりにあったとしても、妻や義父になんて説明すればいい。だからといって警察にも駆けこめない。こんなことがマスコミに知られたら、おれも善一も共倒れだ」
近藤が便箋を凝視しながら言った。
「美人局なんてケチな恐喝は、せいぜい数万から数十万が相場だ。襲った連中も一億なんて大金を本気で手に入れる気があるとは思えない。杉若親子によほど恨みを抱く政敵か、兄貴の商売敵か。その女衒の役割を果たしていた芸能事務所の社員までが逃けちまうんだ。よほど大がかりな絵図を描いたやつがいるんだろう」
「商売敵だけじゃない。同胞にだって敵は山ほどいる。こいつはきっと北京政府を支持する華僑どもの罠だ」
近藤が王英輝の右手を取った。両手で包むように優しく握る。
「兄貴、落ち着こう。思い出してほしいのは覆面の男たちや女どもだ。どんな些細なことでもいい。兄貴ならなにか覚えているはずだ。連中の声や口調はどうだった。年寄りか若いやつか」
王英輝が我に返ったように顔をあげた。
「若かった。全員がガキっぽい。あの連中は裸のおれたちを見てゲラゲラ笑ってた。その声は学校によくいる落ちこぼれとそっくりだ。それに……」
王英輝が瞳をしきりに動かした。
彼は顎に力をこめながら、頭を激しくかきむしる。もはや髪型など知ったことかと言わんばかりに。彼が必死に脳をフル回転させているのがわかった。近藤と不破は黙って見守る。
「刺青だ!」
王英輝が膝を叩いた。近藤がすかさず聞き返した。
「どんな?」
「ヤクザの和彫りとは違う。カメラを持った男の薬指に入ってた。指輪みたいな真っ黒いやつだ。それに親指の付け根にも三つ黒い点があった。ホクロじゃない」
「年少リングだ」
不破がとっさに呟いた。
「なんだって?」
「少年院あたりに入ったガキが、墨汁なんかをつけた安全ピンや裁縫針で入れるんです。年少に行くほどのワルだと自慢するために。うちの組に出入りしてるガキのなかにも、同じような墨を入れたやつが何人かいます」
近藤が同意するようにうなずいた。
「『パピヨン』って映画のマックイーンを真似たかったとか、仲間同士の結束を強めるためにやったとか。悪ガキどもの間で流行ってるようです」
「あのガキだけが入れてるんじゃないのか。それじゃ手がかりにならんじゃないか」
「臭いのほうはどうだ。あの手の悪ガキどもはなにかと臭うもんだ。シンナーに溺れていたり、野宿生活が続いて垢臭かったり。昼間はきっちり働いてて汗と機械油の臭いをさせたやつもいる。なにか臭わなかったか?」
「臭い……」
王英輝は天井を見上げた。室内は暑くもないというのに、彼は額からも汗を流していた。
王英輝が再び涙を流した。恐怖と屈辱の時間を思い出したらしい。
「排気ガスだ。ベッドから引きずり落とされたとき、あの連中の身体からは埃と排気ガスの臭いがした」
近藤の瞳がきらめいた。
「さすが兄貴だ。それだけわかればどうにかなる。おれたちがカタをつける」
不破もうなずいてみせた。襲撃犯の正体はかなり絞りこまれたと見てよかった。