今月のベスト・ブック

Corver Illustration=緒賀岳志
Cover Design=岩郷重力+N.K

『マイボディ・オン・ザ・ムーン〈上・下〉
矢野アロウ 著
早川書房
定価 各 2,420円(税込)

 

 矢野アロウという新鋭の、大胆で自由闊達なアイデア構築力に驚いています。2023年の第11回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作『ホライズン・ゲート 事象の狩人』は、砂漠の狩人として育った少女がブラックホールの深淵で怪物と戦うという突拍子もないストーリー。私は当欄で「神話とハードSFが融合した色鮮やかな物語」と評しました。

 

 長編第2作となる『マイボディ・オン・ザ・ムーン』も同等の、いやそれ以上の自在ぶりで「ええっ、こんなものまで組み込むの!?」と目を見張りました。使える材料はどんどん取り込んでしまおうという奔放さと、それを実現する想像力のたくましさに感嘆。

 

 本題に入る前に天文学的事実をひとつ。2017年秋、棒状の天体が太陽系内に飛来、水星軌道の内側まで侵入した後、高速で再び太陽系外へと飛び去りました。これは観測史上初めての恒星間天体であり「オウムアムア」と名付けられましたが、現在はペガスス座近辺に向かっていると見られています。本書のプロローグはその2017年、タイのチェンマイで1人の男が国立天文台からの知らせを受け取る場面から。つまり、このオウムアムアも取り込まれた材料のひとつなのです。

 

 物語は、最初、いくつもの流れが交互に語られ、やがて全体が合流するという形をとっています。便宜的に「タイ編」と「アメリカ編」と言っておきますが、それぞれがさらに2つの流れをなしていると言えそう。

 

 タイ編のひとつはジャムというあだ名の若い女性を追うもの。彼女は京都の大学で脳神経学の研究をしており、趣味はフリーダイビング。母親を津波(2004年のスマトラ島沖地震?)で亡くしています。

 

 タイ編のもうひとつはハンドルネーム「ミント」という少女を追うもの。左半身に障害があり、いつもはジョイスティックで操作する電動車椅子を使用していますが、最近、ボーイフレンドが出来たところ。

 

 一方、アメリカ編は成人男性を追うもの。1人目はアレクサンダー・コーツという実業家。1934年シカゴ生れで、父親は不明、母親は娼婦らしい。ナイトクラブのボーイから身を起こし、買収した新聞社をコンピューターネットワークの普及を見越して変身させるなど、大成功を収めています。

 

 アメリカ編のもう1人は楊張敏(ヤン・ジヤンミン)という中国系エンジニア。NASAに就職し、画像解析に取り組んでいますが、実は中国のスパイ。既婚で、数年前、女の子に恵まれたばかり。

 

 軸となる話は、この楊張敏が秘かに中国に連れ戻され、地下洞窟で映像を見せられるところから始まります。中国は21世紀早々から月の探査計画に取り組んでいますが、映像はその過程で撮られたもの。月の裏側には天然のものではない構造物があり、その中に数十の首無し遺体が並んでいたのです。

 

 頭部のない遺体は〈ルナ・ボディ〉と名づけられますが、はたしてその正体は? なぜそんなものが地球の衛星にあったのか?

 

 これが本書の最大の謎。判明には時間がかかり、前記の4人もそれぞれにルナ・ボディと関わりを深めながら年をとります。同時に世界情勢も大変なことに。なにしろ、現実がこんなに不安定であることに加えルナ・ボディなるものまで飛び込んでくるのですから、手がつけられません。作者は広範な目配りで、その過程を描き出してゆきます。

 

 上下巻計1000ページ超の大著ですが、物語内物語ともいうべきいくつものエピソードを楽しむうち、あれよあれよという間に怒濤の結末へと誘われてゆきます。昆虫に寄生するカビからマーブルチョコまで、作者の繰り出す話題も豊富。堪能しました。

 

倉田タカシ『タフな狩り』

 

 倉田タカシ『タフな狩り』(集英社)は、背景では世界も大変なことになっているかもしれませんが、何より困った状態に陥った近未来日本に的を絞ったアクションSF。

 

 得体の知れない「獣」を狩る話です。互いに面識がなかった4人がチームを組んで請け負った狩りは、静岡の山中から、武蔵小杉の再生タワーマンション街、難民や不法移住者が暮らす湾岸へと移動してゆきます。その過程で、日本の惨状が明らかに。かつての政策の失敗から食糧自給率は著しく低下、「天丼」とお笑い業界用語で呼ばれる2度目の原発事故もあって、国民の多くが職を失い、外国企業が経営する職住一体化した〈工場〉で生活しています。主人公の谷は〈工場〉から脱出し、金銭目的で狩りのチームに参加したのですが、日本をこんな状態にした老人たちに対する憎悪はただごとでなく、チームの面々に「老人といっても人それぞれだから」と窘められる始末。

 

 戦闘シーンが圧倒的な迫力。対照的に、どうしようもない世界で自分の生き方を模索する谷の後ろ姿が心に迫ってきます。

 

筒井康隆『筒井康隆、九十歳のあとさき 老耄美食日記』

 

『筒井康隆、九十歳のあとさき 老耄美食日記』(新潮社)は、2022年(88歳)から2025年(91歳)までの筒井康隆日記。外食を中心とした美食の記録かと思えば、銀行残高が一千万円以上も減ったので倹約日記に変更。それでも美食はやめられず……。しかし、24年春に転倒、一度は寝たきりになり老人ホーム入居へ。筒井さんの日記はとびっきり面白い上に、「デス・スター=小松左京、R2-D2=川又千秋……」といった見立てや、ガルシア=マルケス『百年の孤独』の文庫解説まで収められています。