今月のベスト・ブック

装画=富安健一郎
装幀=早川書房デザイン室

『三体0(ゼロ) 球状閃電』
劉慈欣 著
大森望 光吉さくら ワン・チャイ 訳
早川書房
定価2,200円(税込)

 

『三体0 球状閃電』は世にも珍しい「雷SF」。珍しいというより前代未聞でしょう。
 気象現象を扱ったSFといえば、長編ではベン・ボーヴァ『天候改造オペレーション』(創元SF文庫)がありましたが、もう半世紀も前の作品。気候変動を背景にした作品はいくつもあるものの、ピカピカゴロゴロの雷そのものをテーマにしたのは皆無でしょう。

 雷にとりつかれた人間が次々と登場します。まず、主人公のチエン。14歳を迎えた誕生パーティーのさなかに、彼の両親は「球電」に触れて灰になってしまうのです。そのため陳は球電の研究に打ち込むようになります。

「球電」は、雷雨の時、非常にまれに出現する光の球。その正体は今も謎だそうです。あとがきによれば、作者の劉慈欣さんは十八歳の頃、実際に球電を目撃したのだとか。その体験をこうして驚天動地のSFに仕立てたのですから、作者も球電にとりつかれた1人といっていいかもしれません。

 登場人物の話にもどると、雷にとりつかれた2人目は林雲リン・ユンという女性軍人。雷雨に打たれながら「このときだけがわたしにとって安らぎの時間なの」と言う彼女は、雷を兵器に仕立てようと懸命です。その他、主人公の研究を指導する教官たちも雷に対しては並々ならぬ情熱を燃やします。彼らは球電を人為的に発生させ、その正体を探りつづけるのです。やがて林雲や指導教官らの尋常ならざる生き方の理由が明らかになり、世界情勢の行方がこの研究に絡んでくるなど、作者は長編第2作となる本書においてすでに物語作家としての手腕を存分に発揮しています。

 さらにSF的想像力が突き抜けてゆくのは球電の正体が判明して以降。詳しくは説明しない方がいいでしょうが、量子論的な現象が実際に眼前で展開するのです! 今、こんなことが描けるのはこの作者だけ。

 タイトルに「三体0」とあるのは、登場人物の1人が『三体』にも登場することと、宇宙の物理学構造が共通しているところからきているのでしょう。しかし、物語的には『三体』とのつながりはないので、気にせず手に取ることができます。もちろん『三体』を読んでからでもOK。

 リチャード・パワーズ『惑う星』(木原善彦訳/新潮社)の謳い文句は「21世紀の〝アルジャーノン〟」。〝アルジャーノン〟がダニエル・キイスの名作『アルジャーノンに花束を』を指すことはいうまでもありません。

 語り手のシーオ(シオドア・バーン)は宇宙生物学者。太陽系外の惑星に生命が存在するための条件や、そこでの生命の形態を研究しています。小さい時からSF愛読者で『アルジャーノンに花束を』は感銘を受けた1冊。それだけでなく、9歳の1人息子ロビンにもこの作品を音声テキストで聞かせたりします。物語の焦点は、このロビンです。
『アルジャーノンに花束を』の主人公チャーリイは知能を向上させる実験的手術を受けてめざましい成果を発揮しますが、実験は悲劇に終わります。ロビンもまた脳に働きかける実験を受けることになるのですが……。

 本書での実験は〝デコーディッドニューロフィードバック法〟(略称〝デクネフ〟)の臨床的応用を目指すもので、シーオとその妻アリッサは、かつて友人からの誘いを受け被験者となっています。その後アリッサは自動車事故で死亡。母を亡くしたせいか、ロビンは学校生活に適応できなくなったのですが、アリッサの脳の働きのデータは保存されており、そのパターンをロビンの脳に〝転写〟することで彼の感情や行動は目立って平穏になります。そして母親同様、絶滅危惧動物の保護運動にも乗り出してゆくのですが……。

 ロビンの進歩の妨げになるのは、アメリカの現代社会そのもの。専制的な大統領のもとで非科学的政策がおこなわれ、社会の分断も進行、ロビンが受けている処置はままならなくなります。アメリカの知性を代表する作家が〝アルジャーノン〟を下敷きにして現代社会が直面する問題を告発した佳作。

 松崎有理『シュレーディンガーの少女』(創元SF文庫)は、女性を主人公にしたディストピアSF6編を収めた短編集。

 著者の松崎さんは、第一回創元SF短編賞を受賞して以来、大学で論文執筆代行業を営む若者を描いたり、架空論文そのものをでっちあげたりと、ユーモアを盛り込んだ理系SFを手がけている稀有な才能の持ち主。今回も、残酷な設定ながら、持ち味のユーモラスで軽やかな筆致は健在です。

 65歳で死が訪れたり、デブが殺されたりと、とんでもない社会が舞台になっている中で、私がいちばん気に入ったのは「秋刀魚、苦いかしょっぱいか」。秋刀魚が世の中から消えて50年後、小学生の女の子が「秋刀魚の塩焼き」の味を再現しようと奮闘する近未来SF。彼女が手にしたレシピは「一、秋刀魚に塩を振る。多めに。二、よく熱した網に載せ、強火で両面を焼く」――これだけ。未来の技術と周囲の協力で作り上げる「秋刀魚の塩焼き」は、どんなものになるのか?

 アーシュラ・K・ル=グウィン『私と言葉たち』(谷垣暁美訳/河出書房新社)は、2000年以降のエッセイ、書評、本の解説などを収録。読んで改めて感じるのは、彼女はやはりファンタジーとSFの人だったのだなあということ。何を題材にしても、起点はそこにあるように感じます。