今月のベスト・ブック

装画=最上さちこ
装幀=岩合重力+W.I

闇の中をどこまで高く
セコイア・ナガマツ 著
金子浩 訳
東京創元社
定価 3,080円(税込)

 

 日常とかけ離れた小説を読んだ後、世界がそれまでと違って見えることがあります。文芸批評の言葉でいうところの「異化効果」ですが、SFはこの働きがもっとも強いジャンルといっていいでしょう。我々が見ているのとは別の「現実」があるかもしれない──そう知らされると、心がズキズキワクワクしてきます。

 セコイア・ナガマツ『闇の中をどこまで高く』は、死に至る感染症が蔓延した世界を描いたSFで、もちろん我々の世界とは異なる「現実」の物語。しかし、異化という点から見ると、通常とは逆の効果をもたらしているように思えます。非現実の世界を描きながら、その実、とても馴染みがあり、我々の人生に迫ってくるような、普遍的なものの存在を示しているように感じられるのです。

 どういうことか?

 ここに描かれるのは多くの死であり、つまりは親しい者との別れです。原因となるのは「北極病」と呼ばれる感染症。シベリアで見つかった3万年前の少女の遺体から広がったウイルスは、人間の体内で臓器の発現機構に異常をもたらし、たとえば心臓が肝臓に変わってしまったりします。応急処置として臓器移植を施したりするものの、結局、患者が死に至ることは避けられません。

 物語はいくつものエピソードを通じ、北極病によって変わりゆく世界を描き出します。作者が日系人であるせいか、登場人物の何人かが日本人だったり、また舞台そのものが東京や新潟だったりします。恒星間宇宙船に乗って他の恒星系に移り住むという遠未来の風景も登場します。小川一水の〈天冥の標〉シリーズが「冥王斑」と呼ばれる感染症を契機に展開する未来史だったのと同様、北極病を起点とする未来史といっていいかもしれません。いくつかの場面を見てみましょう。

「笑いの街」という章の語り手はスキップという売れないコメディアン。仕事がなく「安楽死パーク」という遊園地でアルバイトを始めます。北極病の子どもたちに、この世の最後の楽しみを提供する接客係で、子どもたちはジェットコースターで歓声を上げている最中に薬物で安楽死させられることになっているのです。いわば「死の案内人」。親たちは子どもが幸せに死んでいって欲しいと願いながらこの遊園地にやって来るのです。そこで出逢ったドリーとフィッチという母子との短い交流がスキップにもたらすのは……。

「豚息子」の語り手、デイヴィッドは、フィッチの父親。息子を救いたい思いもあって、臓器移植用の豚の研究に取り組んでいます。ところが、スノートリアスという名の豚は、遺伝子組み換えがなされたせいか、人間の言葉をしゃべり始めるのです。特別な感情にとらわれたデイヴィッドは、豚を臓器提供という運命から遠ざけようとしますが……。

「エレジーホテル」の語り手はデニス。北極病により死者が増大したため、火葬場は需要に追いつかず、荼毘に付されるまで、死者は殺菌、エンバーミング、抗菌プラスチック化といった処理を施されて、遺族とともに特殊なホテルで死後の時間を過ごさざるを得なくなっています。彼はそこのマネージャー。

 デニスの兄、ブライアン・ヤマトは物理学者。恒星間宇宙船の推進力をもたらす原理を発見し、やがて建造される宇宙船は彼にちなんで〈ヤマト〉と名付けられます。この宇宙船〈ヤマト〉が人類の一部を582光年彼方の「第二の地球」に運ぶことになるのです。

 あちこちの章が、互いに関連する登場人物によって有機的に繋がっているのが読ませどころのひとつ。そしてこれらのエピソードで語られるのは、ことごとく身近な者との死別です。誰もが経験している、あるいは経験することになるこの問題を正面に据えることによって、この小説は非現実的でありながら、我々にとても親しいものになっているといえそうです。

 林譲治の新作『知能侵蝕1』(ハヤカワ文庫JA)は、著者あとがきによれば、「異星文明と人類との接触を軸に様々な組織が動く話」だそうで、幕開きとなるこの第1巻では、203X年、ドローンが海上で自機の位置を認識できなくなって墜落するというささいな事件から話が始まります。その原因を探るうちに地球をめぐる軌道上に巨大な質量をもつ何かの存在が浮かびあがり、果たしてその正体は? と話が広がってゆきます。

 一方、兵庫県山中の廃ホテルに足を踏み入れた3人組は、パイプを束ねたような形状のロボットと遭遇。1人はあっという間に首を刎ねられて死んでしまうのですが、その後、飛んだはずの首が胴体の上に乗っかり、切断面には小さな機械の群れが盛り上がっているというおぞましいありさまに。そしてその首は何かを言おうとするのですが「声は出ず、その代わり口から昆虫のような機械群が溢れ出る」というこの作者にしては珍しく、陰惨でグロテスクな場面が繰り広げられます。

 果たして侵略者は何者なのか?

 先に触れたあとがきによれば、今日の状況を踏まえたコンタクトものを考えるにはAIやGPS、スマホといった新技術とともに、少子高齢化による人材不足も大きな要素となるとのこと。自衛隊、海上保安庁、JAXAといった組織で女性陣が活躍するのもその一環でしょうか。この先、どれだけ続くのか分かりませんが楽しみに待ちたいと思います。