今月のベスト・ブック

装画=鈴木康士
装幀=宮村和生(5GAS DESIGN STUDIO)

『アナベル・アノマリー』
谷口裕貴 著
徳間文庫
定価1,210円(税込)

 

 地獄めぐりか、それとも血まみれのテーマパークか。目をおおう惨劇が繰り広げられるけれど、どっぷりとこの世界に浸っていたい気もするのです。高貴で、残虐で、痛ましくて、痛快。今は昔、2001年に第2回日本SF新人賞を受賞した谷口裕貴の新作『アナベル・アノマリー』はそんな連作長編。

 超能力者たちが争う物語です。

 世界を亡ぼす力をもつ少女がいます。誰も彼女をコントロールすることができないし、少女自身、自分の力をコントロールすることができない。彼女を閉じ込めた部屋のドアは「マンタとなって床でピチピチと跳ね」、歴史都市プラハは「一夜にして奇怪なキノコの叢林となった」。少女の名はアナベル。引き起こす異変アノマリーは人類史上最大の脅威となった。

 世界の超能力研究者たちはこの脅威を取り除くため、6人の超能力者を集めた「SiX」を結成する。彼らは「精妙に構築された複合人格、群体の知覚障害者」で、世界文学全集の物語にのっとってアナベルを殺害するストーリーを実行する。しかし巻き添えになる人命には無頓着です。

 ということで、変容する世界のあちこちで異変が起こり、それを潰す作戦が繰り広げられるわけですが、4つの連作が描くのはアナベルやSiXではなく、彼らの戦いに巻き込まれた人物たち。超能力を扱った古典的名作、ヴォクトの『スラン』やスタージョンの『人間以上』が主たる超能力者そのものを主人公に据えていたことを思うと、かなり趣が違います。アナベルとSiXは得体の知れない異物のまま。彼らの戦いに巻き込まれた者の不条理感が前面に出て来ます。世界は訳のわからない災厄に満ちている――現代社会に生きるものの実感なのかもしれません。

 4編はそれぞれ「獣のヴィーナス」「魔女のピエタ」「姉妹のカノン」「左腕のピルグリム」と題されていますが、特に印象に残るのは第1話の少年レンと第3話の中国人(?)少女、氾雨天ハンウテン

 レンはナイジェリアのスラムに暮らす白人少年。12歳の誕生日に育ての親である3人の男から自分が何者であるかを告げられる。

 氾雨天は他人の記憶に潜入し、過去の事実すら改変する能力をもっている。多数の人物の記憶を跳びまわるうち、ファッションモデルや国連危機管理委員長など多彩な経歴を誇る54歳の女性マリア・フロレスの過去にたどり着く。そこで遭遇したのは「ブエノスアイレス・アノマリー」と呼ばれる大規模異変と、アナベルとの戦いを大きく変化させるチャンスだった。

 多彩な登場人物と、彼らの間を次々に移動する視点が刺激的。濃密で鮮やかな場面に満ちたサイキック黙示録です。

 かの『火星夜想曲』の著者イアン・マクドナルドの短めの長編『時ありて』(下楠昌哉訳/早川書房)は、古書店の棚の詩集に挟まれた手紙が導く、時空を超えた愛の物語。

“ 私”と“ ぼく”とが語る章がほぼ交互に連なって物語は進みます。

“ 私”ことエメット・リーは店舗をもたず、ウェブサイトで商う古書ディーラー。第2次大戦関連の本を専門にしており、ロンドンで1933年創業の古書店がつぶれた際、投げ捨てられた在庫の山から1冊の詩集を拾い出す。タイトルは『時ありて』。1937年5月、サフォーク州の州都イプスウィッチで刊行されたものですが出版社は不明。その詩集には便箋が一枚挟まれていた。「ベン」という男性に宛てたラブレターで署名は「トム」。リーは興味を抱き、トムとベンの足跡をたどろうと調査にとりかかります。

 一方の“ぼく”はトム・チャペル。天性の詩人。第2次大戦直前に物理学者であるベン・セリグマンと出遭ったところから話を始めます。そして、その話の中には「E・L」という正体不明の人物も登場――。

 ベンは実在の数学者、アラン・チューリングを連想させますね。古い法律の時代だったため同性愛の罪で逮捕され、青酸カリを飲んで死んでしまった。が、この物語はまったくの別物。時間の流れの中を、古書店と詩集を絆とし、戦争を隠れみのにして旅するトムとベンの姿が浮かびあがります。時間を行き来する不思議のせいで物語にも魔法がかけられていて、読み終えるとすぐに冒頭から読み直す楽しみが待っています。時間SFに新たな傑作が加わりました。

 先月号で香山二三郎さんが取り上げていた藤井太洋『第二開国』(KADOKAWA)について、SF読みの立場からもひとこと。これは奄美大島の地元スーパーの話が一気に世界的課題の解決へと繋がる気宇壮大な夢物語。その一方で、今にも叶えられそうな説得力を備えているのが作者の手柄。

 鍵となるのは一隻の外洋クルーズ船。ふたつの船体を繋いだ双胴船で総トン数50万2000。陸上でいえば地上17階、地下2階のビルに相当します。こんなに大きな船なのに、乗客数は過去最大のクルーズ船(総トン数は半分以下)より少なく、船室の雰囲気も旅客向けとは異なる。大きな謎を隠しているのです。その謎を巡って、島にUターンした昇雄太を始めとする同窓生男女が交錯する。

 インターネット世代の紡ぐチャレンジングな夢を、経済的、技術的知識をぞんぶんに駆使して描き出す郷土SF。梶尾真治さんの熊本SFに並ぶ楽しさです。