今月のベスト・ブック

装幀=鈴木成一デザイン室 装画=釘町彰

『残月記』
小田雅久仁 著
双葉社
定価1,815円(税込)

 

 小田雅久仁単独の著作としてはこれが3冊目と知り、かなり驚きました。2009年の日本ファンタジーノベル大賞『増大派に告ぐ』、2013年の第三回Twitter文学賞国内部門第1位『本にだって雄と雌があります』(どちらも新潮社)、そしてこの『残月記』。年に1、2作のペースで発表される雑誌掲載作をずっと楽しみに読んできたので、前作からこんなに間が空いているとは思いもよりませんでした。

 3つの中編からなる作品集です。どれも月が重要な働きをする物語。あえてジャンル分けをすれば幻想小説ということになるかもしれません。でも、そういうふうには言いたくないんですよね。小説――それでいいんじゃないかと思います。

 作風はアンチリアリズム。大きな虚構が話の展開の要となっています。ここでは月という天体。この月は現実の月とは違う。もうひとつの世界への入り口であり、登場人物たちに大きな作用を及ぼすのです。そして地球もまた、現実の地球とは違っています。

 小田雅久仁の描く世界は現実から素材を採りながら、作品の中だけで成立するまったくの虚構。そしてそこに生きる人物たちもまた虚構の存在。何を当たり前のことを言っているのかといわれそうですが、これをしっかり頭に入れておかないと、読者は現実を忘れ、もうひとつの世界に連れ去られてしまう。それほどまでにこの虚構はリアルなのです。小説の中だけで成立するリアルな世界であり、リアルな人たちが生き、驚くべき体験をする。これこそが小説だという以外に表現のしようがない作品ばかり。こんなに優れた作家なのにやっと3冊目だとは……。

 前置きが長くなりました。内容紹介に移りましょう。

「そして月がふりかえる」は、妻子と行ったファミリーレストランで、窓の外の満月が半回転し裏側を見せて止まるのを見た大学教授の話。この時を境に彼は馴染の世界からはじき出され、世の中の誰からも知られない人間になってしまう。冒頭の仲睦まじい家族の描写が本当に微笑ましく、その後の主人公の悲哀を際立たせます。

「月景石」の主人公は、10歳上の男と同棲している30過ぎの女性。若くして亡くなった叔母の形見の石が「月景石」で、掌に載るすべすべしたその石の表面には月から地球を眺めたものともとれる絵柄が浮かんでいる。これを枕の下に入れて眠ると、そこは……。

 地球と月の物語が交互に進行するにつれ、両者の関係がはっきりしてきます。転生譚の一種ですが、両方の世界に生きる人々の息吹が生々しく、ついつい感情移入してしまいます。最後は必然的でありながら、驚かざるを得ない場面へと到達!

「残月記」は近未来の日本に生きた男の数奇な人生を描いたもの。2019年春から初夏にかけて「小説推理」に連載されたこの作品は、前回取り上げた『新しい時代への歌』同様、コロナ禍の予兆であったのかもしれません。

 主人公の名は宇野冬芽とうが。2048年早春、冬芽は風俗店の女と入ったラブホテルで衛生局の職員に”保護”されます。事実上の逮捕であり、以後、彼は監禁生活を強いられることに。理由は彼が「月昂げつこう者」だったから。「月昂」と呼ばれる不治の感染症の患者のことで、満月の頃である「明月期」には心身ともに高ぶり、そのため彼は風俗に出かけてしまうのです。一方、新月の頃は「昏冥期」で、患者は衰弱し次々と命を落としてゆきます。

 さかのぼって2027年末、下條ひらく率いる国家資本主義政党・国民党は政権を獲得、翌年の西日本大震災後、挙国一致を謳う救国暫定政権を組織して独裁体制を敷きます。そんな中、月昂者たちは強制隔離施設に収容され、死を待つだけの余生を送るのです。

 ところが、体格がよく、剣道の素養があった冬芽は、満月の夜に行われる壮絶な格闘技大会の闘士に抜擢され、特別待遇を受けるようになる。そこには独裁者・下條拓の残虐な嗜好が働いていました。

 小田さんの作品を読むさらなる楽しみは見事な文章。闘士への褒美として与えられて出遭い、冬芽が愛することになる女性・瑠香は次のように描かれます――「心の置き場を見つけられずにいる影のような不安が、女の形をしてかたわらに座っていた」。随所にあるこのような素晴らしい表現に嘆息しながら、読者は二人の行く末を追うことになります。

 その道行きは物語ならではの波乱万丈さと至福とに包まれ、心を鷲掴みにします。凄い小説だ。

 樋口恭介編『異常論文』(ハヤカワ文庫JA)は「論文に類似、あるいは擬態して書かれる虚構」22編と神林長平による解説、編者の巻頭言、各作品解題からなるアンソロジー。「異常論文」というネーミングがいいですね。「架空論文」では知的興味をここまで掻き立てることはなかったでしょう。笑ったり、狐に摘まれたり。読後、普通の文章が胡散臭く見えてしまうという副作用にご注意。

 マーサ・ウェルズ『ネットワーク・エフェクト』(中原尚哉訳/創元SF文庫)は機械と有機体が合体した「構成機体」が活躍する宇宙ロボットSF「マーダーボット・ダイアリー」の第2弾。ぶつくさ言いながらも有能な働きで人間を救う“弊機”のぼやきはさらに堂に入り、まことに愉快。