今月のベスト・ブック

装幀=岩郷重力+S.KW
『不死の島へ』
クリストファー・プリースト 著
創元海外SF叢書
定価 2,750円(税込)
朝ドラ「ばけばけ」の主題歌を歌っていたのは「ハンバート ハンバート」という夫婦デュオですが、この名前はウラジーミル・ナボコフの名作『ロリータ』の主人公ハンバート・ハンバートから来ているそうです。
『ロリータ』のハンバートは、自分は純粋な愛の追求者であり、犯罪者ではなく、むしろ犠牲者であるかのごとく言い立てることで読者の判断を誤らせようとします。こういう「信頼できない語り手」は文学的手法のひとつで、つい最近も、広い意味でこのジャンルに属する小説を立て続けに読みました。
ひとつは、2年前に亡くなった英国SFの名手プリーストが1981年に発表した『不死の島へ』。主人公の「わたし」ことピーター・シンクレアが自分の体験を語るうち、奇妙なことになってしまうという話で、この場合、ピーターは意図的に読者を騙したというより、物語の構造によって仕方なくそうなってしまったといえるかもしれません。
話の発端は1976年。28歳のピーターは父親を亡くし、職を失い、恋人と別れ、住むアパートを追い出されるという苦境に陥ります。ただひとつ幸運だったのは、年上の知人が別荘を貸してくれたこと。最初は借りる際の条件だった家の改装に取り組んだピーターですが、内省にふけるうち、これまでの自分自身を振り返る原稿をしたためることを決意します。まずはありのままの自分を書き残そうとするのですが、書くうちにそれでは人生の真実に到達することができないと考え、架空の物語に仕立てることにします。
こうして“現実”のピーターと“物語”の中のピーターが存在するようになり、2人のピーターそれぞれが語りつづける物語を、読者は交互に読むことになります。両者の関係をどう受け止めればいいのでしょう?
普通に考えれば、“現実”のピーターが語る部分が本物で、“物語”のピーターは架空の存在であり、彼は夢物語を語っているということになりそうですが、2つのストーリーは核心部において結びついており、どちらの世界でもピーターは恋人との関係を成就することを願っています。グラシアとセリ──名前や経歴こそ別ものですが、彼女たちが同一の存在であることをピーターは本能的に知っており、愛を求めつづけます。
同一人物でありながら2人に分裂した恋人──彼女らとの情事や仲たがいが語られ、その過程で2つの世界がもつれ合い、境界が揺らいでゆきます。ここが本書の読みどころで、物語の魔術師ともいうべきプリーストの技巧の冴えを堪能することができます。
なお、ピーターが架空の物語のために構築した世界は、多数の島が海に浮かぶ魅力的な楽園で、この作品のあと《夢幻諸島》シリーズと呼ばれる一連の作品の舞台となるもの。その意味でも本書は、プリースト自身が言うように、彼の作家生活の「鍵になる小説」といえそうです。
さて、信頼できない語り手によるもう1作はケイトリン・R・キアナン『溺れる少女』(鯨井久志 訳/河出書房新社)。
キアナンは1964年アイルランド生まれで、トランス女性のアメリカ人作家。2012年に発表された本書は、アメリカホラー作家協会によるブラム・ストーカー賞、ジェンダーの理解拡大に貢献した作品に与えられるジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞(現アザーワイズ賞)を受賞しています。
こちらの語り手はインプ(インディア・モーガン・フェルプス)という24歳の女性。精神を病んで医者にかかっており、現実離れした自分の体験を“怪談”として書き残そうとしているところ。読者は、かなり混乱したその原稿を読んでゆくことになります。
なにしろ書いているインプ自身が、自分が書くのは「すべてが事実にもとづくとは言えない」と断っているのですから、読む方としても身構えざるを得ません。ただし「すべてが真実ではある、とは言える」とも言っているので、インプが人を騙そうとしているのでないことは確か。
彼女が語る“怪談”は、気晴らしのドライブ中に出遭ったエヴァという女性にまつわるもの。夜中に全裸でずぶ濡れという格好で路肩に立っていたエヴァを、インプは自宅に連れ帰ります。そこには数か月前に出逢って同棲しているトランス女性のアバリンが居て、見ず知らずの女を「お持ち帰り」したことを咎めます。エヴァは間もなく出てゆきますが、インプとアバリンの仲は破綻し、インプは悪夢に悩まされるようになります。
この三角関係にとどまらず、インプが11歳の時に見た「溺れる少女」という絵画や、19世紀末にセーヌ河から引き揚げられた身元不明の美少女の溺死体、ジェヴォーダンの獣、ブラック・ダリア事件など、おぞましい話題をちりばめながら、回想は一見、とりとめもなく綴られてゆきますが、いずれにしろインプの関心は、エヴァとは何ものだったのかという謎に絞られています。
プリーストの『不死の島へ』が完璧にコントロールされた技巧的小説であることと対比すると、この『溺れる少女』は計算を度外視した不安定な作文で、まるで実際の精神疾患者が異常な体験を再現したものであるかのよう。しかし、そのぶん迫力が増していることも事実。読後、凄いものを読んだという感覚がどんどん強まってきました。


