今月のベスト・ブック

装幀=川名潤

奏で手のヌフレツン
酉島伝法 著
河出書房新社
定価 2,640円(税込)

 

 異様で、しかしとてつもなく魅力的なこの作品をどう言い表わせばいいのか。酉島伝法の小説を紹介するのはいつも大変ですが、今回はこれまでにも増して難しい。

 彼の小説は、普通でない世界の、普通でない人々を、普通でない言葉で書き表わしています。とはいえ、これまではどこかにヒト(ホモサピエンス)の影がありました。デビュー作「皆勤の徒」はサラリーマンの話として読めたし、長編第1作『宿借りの星』には、脇役ではあるものの、人類が登場しました。

 しかし、この『奏で手のヌフレツン』にはもうヒトの姿はありません。登場人物たちはヒトによく似ていて「人間」と書き表わされたりもしますが、まるで違う存在。頭があり、手足があり、家族がいて、言葉を交わし、音楽を奏でます。我々によく似た暮らしをしていますが、生まれ出た根本が違うのです。彼らはどこでどうやって誕生したのか?

 SFの楽しみはそのあたりを突き止めるところにもあって、実際、私も世界の成り立ちや「落人おちうど」と呼ばれる人々の出自を気にしながら読み進めました。「球地たまつち」と呼ばれるこの世界が、球体の内側で、遥か上空には逆さになった地面が見えることから、ここはスペースコロニーの内部かもしれないと思ったり、人々が胞子で受胎し、若いうちは体の一部が再生したりすることから、彼らは遺伝子改造され、新たな環境に適応するようになったヒトかもしれないと思ったり。でも、違いました。違う宇宙の、違う法則で成り立つ世界なのです。

 球地の生活を支えるのは「太陽」。この太陽は大空で輝くのではなく、球地の地面をぐるりと巡る「黄道」を歩いて周回します。その後ろを「月」が付いてまわり、月が太陽に追いつくと、太陽は生気を失って死んでしまう。太陽が遅くなったり停まったりしないよう、人々は、定期的に太陽の一部と化し、その足となって移動することを繰り返しているのです。

 まるで杉浦茂のマンガの不条理なところを拡大したような世界。そこで生きる家族の4代を記したのが『奏で手のヌフレツン』といっていいでしょう。序章で登場するリナニツェは太陽が死んでしまう場面に立ち会い、もうそこでは生きてゆけないので、別の太陽を戴く聚落じゆらく(集落)へ移住します。

 第一部「解き手のジラァンゼ」のジラァンゼはその子。平家蟹のような不気味な恰好をした煩悩蟹ぼんのうがにを解体する仕事に従事しながら子どもを育て、その1人が第二部「奏で手のヌフレツン」のヌフレツンです。音楽に才能を示し、リナニツェが遺した焙音璃ばいおんりという楽器を持って、聚落の中央にそびえ立つ央響塔おうきようとうにある聚奏じゆそう団の奏で手となります。その子がヌグミレ。世界の危機を一身に背負う運命の担い手として4代の物語の掉尾を飾ります。

 異様な世界の異様な人々の営み。鳴り響く音楽。読み進めるうちに違和感は消え、物語にどっぷりと浸って、生きるつらさに共感し、希望に胸を膨らませ、子どもの可愛さに目を細め、食べ物の美味しさによだれを垂らします。その感動はほかでもない我々自身のもの。凄いものを読んだという満足感が得られる、壮大で精緻な言葉のオブジェ──これが酉島伝法の最新作なのでした。

 森岡浩之『プライベートな星間戦争』(星海社)はサイバースペースと本物の宇宙空間が交雑する新機軸の宇宙SF。

 大きく第一部と第二部にわかれ、短いエピローグが付いています。第一部は魔法学校の衛星軌道版といったところ。見習い戦士が課題をこなすことで〈天使〉に昇格し、〈神〉のみもとで〈悪魔〉と戦って傷つき、成長する。そんな姿が描かれます。彼らはそれぞれ家族をなしていますが、生まれた時から成人並みの知能を有し、3年で15歳ほどの体に育つなど、奇妙な性質をもっています。

 こうした特徴は、この作者らしい綿密な構想にもとづいてのもの。それがはっきりするのは第二部で、こちらでは人類が肉体を捨てて情報体へと化した顛末が浮かび上がってきます。そうした人間のあり方を支えるハードウェアとソフトウェア、さらにそこへ移住した人間の精神とが一体となって〈半神〉と呼ばれる存在になり、エネルギーと資源を求めて宇宙空間へ進出してゆくのです。

 意欲的な構想のもとで語られる、リーダビリティの高い闘争の物語。ホモサピエンスがさらなる進化を遂げるとはどういうことなのか。色々と考えさせられました。

 第11回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作、矢野アロウ『ホライズン・ゲート 事象の狩人』(早川書房)はさまざまなアイデアがギュッと詰まった意欲作。

 砂漠の惑星で育った少女シンイーが、神がかり的な射撃の腕前を買われ、巨大ブラックホールを巡る探査基地に赴きます。任務はパメラ人の少年イオの護衛。通常左右両半球に分かれている大脳がパメラ人は前後に分かれていて、過去から未来までを見晴らすことができるといいます。その能力を活かして、ブラックホールの底に潜行し、宇宙の終わりを回避する道を探っているのですが、そこでは〈ネズミ〉と呼ばれる怪物が侵入者を襲います。そのネズミを撃つのがシンイーの仕事。

 神話とハードSFが融合した色鮮やかな物語は、サミュエル・R・ディレイニーのニューウェーブSFと通じるように感じました。