今月のベスト・ブック
『法治の獣』
春暮康一 著
ハヤカワ文庫JA
定価1,100円(税込)
『法治の獣』は「オーラリメイカー」(2019年刊同題作品集所収)で第7回ハヤカワSFコンテスト優秀賞を受賞した春暮康一の第2作品集。異星に誕生した生命のあり方を探る本格宇宙SF3編が収められています。
大雑把な話になりますが、人類が宇宙で他の生きものと出遭う場合、たとえばヴォークトの『宇宙船ビーグル号』では、人間を襲う脅威として宇宙生命が登場します。あるいは『ハイウェイ惑星』を始めとする石原藤夫の〈惑星シリーズ〉では、探検隊が惑星に降り立ち、そこに棲む生物とじかに接触することになります。さらにいえばレムの『ソラリス』だと、最初は何だかわからないものが徐々にその星の生きものだと判明してくる。いずれの場合も、生身の人間が宇宙生命と触れ合うことでドラマが生まれます。
『法治の獣』がそうした先行例と趣きを異にするのは、直接の接触を最小限にとどめながら他の星の生きものの実態を探ってゆこうとする姿勢。環境に配慮した持続可能な観測体制とでもいうべきでしょうか。今日の科学のあり方を反映しているように見えます。
観測手段は微小なドローン。人間は惑星を巡る軌道上にいて、ドローンを飛ばし、各種データを入手します。「主観者」での観測対象は、海底に棲む光り輝く「バオバブのような」存在。表題作「法治の獣」では群れをなす一角獣のような四足獣たちが、そして「方舟は荒野をわたる」では、長さ100メートル、高さ20メートルもあるゾウリムシに似たゼリー状の「何か」が対象となります。
いずれの場合も、観測者たちは慎重に目標の生態、行動、そして「知性」を見極めようとします。つまり、探索と発見の物語であり、読者は三者三様のユニークな宇宙生命のあり方を目にすることになるのです。
それらが単なる科学的発見の話にとどまらないのは、観測対象と人間とが完全に隔絶されているわけではなく、どうしても互いに影響を与えあってしまうところ。そして、ある場合は宇宙生命側に、ある場合は人間側に重大な結果がもたらされます。そのあたりがいちばんの読みどころとなるでしょう。
デビュー作『オーラリメイカー』を含むこれまでの著者の全作品は一連の「未来史」を形作っているとのこと。人類が宇宙で見出す驚異を紡ぐシリーズが、今後、どのように広がってゆくのか。この先が楽しみです。
『大人になる時』は、竹書房文庫から日下三蔵編で出る草上仁、2冊目の作品集。表題作を始めとする12編が収録されています。
熱帯魚の生態、ドーピング、ワクチン……さまざまなものからヒントを得たひねりの効いた短編が並んでいますが、今回、私がもっとも面白く読んだのは「バディ」というやや長めの作品。
“おれ”が一人称で顛末を語るハードボイルド調の物語ですが、肝心の“おれ”の正体がなかなかわからない。“おれ”には“バディ”――つまり相棒がいて、互いに助け合い、支え合い、高め合って生きている。人間同士の関係のようにも思えますが、“おれ”と“バディ”とは「生物学的な共生関係」を結んでいるものの、そもそも種族が違うというのです。“おれ”は「飛ぶもの」で“バディ”は「這う者」。それぞれ昆虫由来と植物由来の種族だというヒントがあります。そして“おれ”の種族はダンスをコミュニケーションの手段としている……。
このあたりでようやく見当がついてきますが、それにしても“バディ”とはどういう関係で、その“バディ”に言われて出た旅の目的とは?
ひとつひとつの言葉や筋の展開は思わせぶりで、何が起こっているのかわからない。にもかかわらず、先行きが気になります。そして最後まで来ると「なるほど、こういうことか!」と腑に落ちる。発想と語り口の楽しさに満ちた草上仁ワールド。
浅暮三文『我が尻よ、高らかに謳え、愛の唄を』(河出文庫)はおならにまつわる中編4つを収めたユニークな作品集。
数はそんなに多くないものの「放屁文学」とでもいうべき作品群は古くからありますね。古典落語にも「転失気」という名作がある。そこへ正々堂々と正面から打って出たのがこの1冊。
表題作は、実在したパリの放屁芸人がモデル。そこへ弟子入りした羊飼いの少年ピップの半生を描いたもので、師匠との出会いから「ペトマーヌ(放屁狂)」修行のあらまし、そしてナチスドイツ占領下のパリでの冒険まで。エディット・ピアフが「愛の讃歌」を書き上げるのにピップがどう絡んだかという(架空の)エピソードも交え、愉快に、健気に、意気高らかに、芸を賛美しています。
もっともこの作品だけだと当欄で紹介する範疇外かもしれません。しかし、次の「最後のドラゴン」はドイツの丘陵で目覚めたドラゴンの物語だし、第3話「三馬鹿が行く」ではパリのお気楽男たちが気球に乗って月まで行ってしまうし、もうひとつの「島の事件」は南海の孤島を襲った天変地異にまつわる神話的ファンタジーとあって、SFのみならず奇想天外小説愛好家全般に薦めないわけにはいきません。
題材が題材だけに、生真面目さを吹き飛ばす可笑しみがまつわりますが、最後の作品に見られる痛切さも忘れられないところ。