今月のベスト・ブック

装画=北澤平祐
装幀=名久井直子

ここはすべての夜明けまえ
間宮改衣 著
早川書房
定価 1,430円(税込)

 

『ここはすべての夜明けまえ』は第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞受賞作(大賞の矢野アロウ『ホライズン・ゲート 事象の狩人』は3月号の当欄で紹介しました)。

 本書は、25歳で「融合手術」と呼ばれる処置でサイボーグになり、不老不死の身となって過ごした女性が、ほぼ100年後、失った家族との関係を振り返るという体裁をとっています。その内容を紙に手書きする際、画数の多い漢字は面倒くさいからという理由で、ほとんどが平仮名表記。句読点もごく少なく「わたしはどっかで人間になりそこねたのか、たべることもねむることもずーっときらいでした」というような文体を読んでいると、つい、ダニエル・キイスの名作『アルジャーノンに花束を』を思い出してしまいます。

『アルジャーノン──』は、障害を持った青年が手術で知能を向上させる物語で、平仮名しか使えなかった主人公が目覚ましい能力を発揮するようになり、やがてまた元通りになってしまいます。本書の場合、思考能力の変化はないものの、平仮名的思考はやはり成熟した人間になりきっていない印象を与えます。

 ところが、後半でしばらくの間、主人公が話したことを機械(AI)が文字に書き記した部分があり、そこは「融合手術を受けていろんなもの、排泄物、血、汗、唾液、涙、わたしのあらゆる体液から、思慮深さ、したたかさ、柔軟さ、大人としてのわたし、あったかもしれない人生までもがわたしから消えていった」というような文体になっていて、ややたどたどしい思考ではあるとしても、普通の人のような感じを受けます。

 こういった文体的な仕掛けだけでなく、『アルジャーノン──』が知性が変容する青年の独白をたどることで人間とは何かという問いかけをもたらしたのと同様、本書では、若い時の姿形のまま生きたサイボーグの独白が、家族とは、愛情とは、そして人間とは何かという問いを呼び覚まします。そのあたりが似たような感動を生む原因かもしれません。

 主人公は1997年に九州の山深い土地で生まれたという設定。彼女を産んだ際、母親は出血で亡くなり、残った父親、年の離れた兄、姉2人と、ひとつ屋根の下で暮らしてきたものの、どうしても生きる意味を見出すことができず、若くして、当時合法化された安楽死措置を受けようとします。しかし、医師や父親がその代わりにと強く勧めた融合手術を受けることにしたのでした。

 その後、認知症になった父親を介護して、看取った後は家で一人暮らしとなり、やがて下の姉の息子である「シンちゃん」と同居するようになります。彼は生まれた時から主人公に懐いており、ものごころつくと彼女に愛を告白して、死ぬまで一緒に暮らすのです。

 本書は、シンちゃんの死後、最初に言ったとおり家族の思い出を主人公が綴ったものなのですが、内容は、家族や、甥であり恋人でもあったシンちゃんとの面倒な関係の中で、1人の女性が何を感じ、どう行動したかに絞られています。にもかかわらず、ドロドロとしたなまぐさいものになっていないのは、SF的趣向が寄与するところが大きかったからでしょう。人のサイボーグ化や、人類が他の星への移住を迫られる環境悪化といった視点が入ることで、象徴的意味合いが増しているのです。キム・チョヨプやチョン・ソンランといった韓国女性作家たちと同じ地平に立つ、アジアSFの新しい世代の誕生です。

『時空争奪 小林泰三SF傑作選』(創元SF文庫)は、2020年に早逝した小林泰三の幅広い作品群の中から、特にSF色の強い六編を集めたもの。バーチャルワールド、星間宇宙船、タイムマシン、クトゥルー神話など、お馴染みのSF的素材が著者の手にかかると、ここまで驚きと笑いに満ちたものになるのかと呆れさせられます。特に表題作は、どことも知れぬ研究室で教授と学生との対話が繰り広げられるうち、宇宙全体が異様なものに変貌してゆくという超絶技巧的宇宙論SF。そんなことがあるものか! と思いながらも、強引な論理に思考が拉致される快感は他で味わうことができません。本当に惜しい人をなくしてしまいました。

 空木春宵『感傷ファンタスマゴリィ』(創元日本SF叢書)は、『感応グラン=ギニョル』につづく著者の第2作品集。第2回創元SF短編賞佳作に選ばれた「繭の見る夢」は平安時代を舞台にした耽美ムードあふれる異色作でしたが、本書でも表題作や「しゆうけい累ヶ辻かさねがつじ」など、人形や幻燈、幽霊といった同様の趣向の題材と凝った文体が楽しめます。

 そんな中で異彩を放つのが「さよならも言えない」。遥かな星系に進出した人類の子孫が奇妙な社会体制を築き上げているという設定のもと、ファッションは個性の表出とどう関係するのかという問題を突き詰めた「衣装SF」の傑作です。星系〈アマテラス〉では個性と場に応じた服をまとうことが社会規範となっていますが、その規範の元締めたる〈服飾局〉の幹部、ミドリ・ジィアンは、ある夜、ナイトクラブのフロアで踊るとんでもない少女を見かけた。拡張現実内に自動的に表示されるファッションスコアの数値が、わずか「三」。できる限り「百」に近づかなければならないというのに……。人類の異様な進化ぶりと、現代と通底する社会規範との取り合わせが素晴らしい。バリントン・J・ベイリー『カエアンの聖衣』を思い出しました。