今月のベスト・ブック

装画=さけハラス
装幀=川谷康久(川谷デザイン)

幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする
柞刈湯葉 著
新潮文庫nex
定価 781円(税込)

 

 夏は怪談──ということで、幽霊の出てくる小説を。

『幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする』というタイトルからもわかるとおり、主人公・谷原豊は霊とかお告げとかいったものを信じていないし、興味も持っていません。にもかかわらず霊媒師の助手を務めることになり、さらには、のめりこむといってもいい状態にまでなってしまう。そこらへんのいきさつと、その結果、彼にどのような変化が生じたのか。そのあたりが読みどころとなっている、一見、ゆるい青春小説です。

 谷原豊はこの春、地元大学の理工学部に入学したばかり。入学とほぼ同時期、曾祖母の谷原千代子が100歳で大往生しますが、葬式後もポツポツと弔問客が訪れるため、彼は千代子宅での留守番を仰せつかります。そこへやって来たのがぬまハルという霊媒師です。

 ハルは見た目、40歳前後。にもかかわらず、自分は大正生まれで、千代子と女学校で同級だったと言い、仏壇の前で故人と昔話に興じる様子を見せます。不審に思った豊はあれこれ問い詰めますが、ハルはハルなりの首尾一貫した受け答え。千代子の霊と話ができるのは当然だと、柔らかくいなします。このあたりのやりとりがとても可笑しい。

 話は噛み合わないものの、ハルは豊を気に入った様子で、後日、彼をバイトとして雇います。仕事は、路上でエアバッグを膨らませたり、川に救命浮き輪を投げたり、空き地で錠剤を燃やしたりすること。

 納得のゆかないまま、豊はなぜそんなことを続けたのか? 彼の言い分としては、幽霊を信じたわけではないが、鵜沼ハルという人物を信じたからだ、ということになります。

 そこで問題になるのは、鵜沼ハルなる人物が何者かということ。それはそのまま幽霊は何かという問題にも繋がっており、豊の属する「理系」世界と、それと対をなす「文系」世界との差異が背景にあることが浮かび上がってきます。そういう意味では、理系の秀才であった豊が、文系世界の成り立ちにも認識を広げてゆく成長の物語といえるでしょう。

 それはともかく、この作品のメインのストーリーは、豊が霊媒のバイトを続けてゆくうちに、町に隠されていた昔の秘密が明らかになってくること。なりゆきまかせに進行しているような感じなのに、さりげなくちりばめられた伏線──千代子の夫や幼なじみの西田と豊が興じていた埋蔵金探しの思い出など──を回収しつつ解決に至る過程が見事です。ゆるいように見えるけれど、実は、緊密に組み立てられているのですね。ひとつひとつのエピソードも愉快で、可愛い。これまでの柞刈湯葉とはひと味違う傑作となりました。

 続いてはアラブの魔物の物語。P・ジェリ・クラーク『精霊を統べる者』(鍛治靖子訳/創元海外SF叢書)。〈改変歴史・アラビックファンタジー・スチームパンク・百合〉SFとでも名付けたい、多彩な要素をもつエンターテイメント小説です。

 舞台は、20世紀初頭、エジプトの首都カイロおよびその近郊。主人公のファトマはエジプト南部出身の女性で、現在20歳。錬金術・魔術・超自然的存在省(略して魔術省)の特別調査官を務めています。てっとり早くいえば、魔術や魔物に関する事件の取締官。この世界では40年前にアル=ジャーヒズという大魔術師が異世界への扉を開いて以来、それまでの歴史が一変、ヨーロッパに侵略を許していたエジプトが、魔術やジンの力を用いて国力を増大させ、海外にまで支配を及ぼそうとしているのですが、それに伴う混乱もあるため、社会の安寧を守る魔術省が必要になったということのようです。

 ファトマは同じシリーズの他の作品にも登場していますが、今回、立ち向かうのは、くだんの大魔術師アル=ジャーヒズ。40年ぶりに姿を現したかと思うと、彼の復活を祈っていた教団のメンバーを焼き殺してしまいます。それも、衣服はそのままで肉体のみを燃やすという不可解な方法で。

 復活した魔術師の狙いは何か。そしてその正体は? ファトマとその恋人シティ、魔術省の同僚ハディア──3人の女性が驚天動地の事件の真相に迫ります。多彩な登場人物や魔物が織りなすにぎやかな活劇が楽しい大人のお伽話といったところでしょうか。2022年のネビュラ賞、ローカス賞第一長編部門、コンプトン・クルック賞(ボルチモアSF協会がデビュー作に授与するもの)、イグナイト賞と、多くの栄冠に輝きました。

 池澤春菜さんは声優としてスタートし、父親(池澤夏樹氏)の書棚でSFを読み漁って培った素養をもとにした書評、エッセイを執筆、さらには第20代日本SF作家クラブ会長を務めるなど、多彩な活躍を続けてきています。『わたしは孤独な星のように』(早川書房)はそんな著者の初めてのSF作品集。ダイエットSF(!?)の快作「あるいは脂肪でいっぱいの宇宙」から、童話風な趣が漂う「祖母の揺籠」、じんわりと沁みる表題作など、多彩な作風の7編が収録されています。

 いちばん心に残ったのは「いつかばくに雨の降る」。チリの天文台で働く主人公が、乾燥した高地に生息するビスカチャ(チンチラの仲間)との、ちょっと距離を置いた触れ合いから、宇宙における生命の不思議に想いを巡らす。顔の縞模様が奇妙な感じをもたらす小動物の風変わりな魅力が心に広がります。