今月のベスト・ブック
『鹽津城』
飛浩隆 著
河出書房新社
定価 2,200円(税込)
飛浩隆は1960年生まれ。1982年に作家活動を始め、これまでに『象られた力』と『自生の夢』、2つの中短編集で日本SF大賞を2度、受賞しています。大ベテランにして名手というべきでしょう。
新しい作品集『鹽津城』には6編が収録されていて、展開される鮮やかなイメージ、的確で行き届いた文章に圧倒されます。そして全体を反芻した際には、登場人物たちのはっきりした輪郭が蘇ります。それは狭い路地で下級生の男の子に体を押しつける少女であり、コンビニのイートインで、夜、ノートに小説を書いている小学生であり、心の中に構築した海辺の街を、激しい指の動きのような波でかき混ぜ破壊しようとする女性であったりします。自分の殻を守りつつ密かに外の世界に働きかける人物たちの姿が、明瞭に、重い存在感をもって迫ってくるのです。
物語自体は、ほとんどが破壊や消滅を提示するもの。冒頭の「未の木」では、単身赴任の妻と田舎の町で模型店を営む夫が、互いに不思議なプレゼントを交わすことができるのに、連絡を取り合うことはできない。ユーモラスでエロチックな雰囲気の中に不穏な空気が高まってゆきます。「流下の日」では、表面的には理想社会を実現したかに見える近未来の日本が、山間の町を襲う豪雨とともに、裏面に潜む暗黒を噴出させます。描かれるのは、暗く、混沌とした世界ですが、にもかかわらず、読後感は悪くありません。それどころか前向きな希望さえ感じてしまいます。
その理由は、最初に述べた登場人物たちの力強さ。世界の崩壊を食い止めるのは、ひとりひとりの意志であり、優れた表現を生み出す想像力であるというビジョンが、この作品集には籠められているのだと感じました。
勝手な感想主体の紹介となりましたが、これは現代の小説の到達点を示す優れた1冊。ぜひともお手にとっていただきたい。
一方、井上雅彦『宵闇色の水瓶 怪奇幻想短編集』(新紀元社)は、趣味性に貫かれた楽しい作品集。サブタイトルからわかるとおり、超自然的で妖しい物語13編(ショートショート3編を含む)が収められています。
冒頭に置かれた「私設博物館資料目録」が異色の絶品。「資料一 写真イ」とか「資料八 標本D」といったラベルのもとに、写真や物の説明書きが並ぶという趣向ですが、読み進むうちに大正から昭和の時代に研究された心霊現象のあらましが見えてきます。架空の記録でありながら、真偽不明の不気味な現象が存在し、関係者を翻弄した顛末。技巧の冴えといえましょう。その他、けれん味と思い入れがたっぷり盛られた文体による怪奇譚のあれこれ。同好の士には堪らないはず。
藤井太洋『まるで渡り鳥のように』(創元日本SF叢書)はテクノロジーが見せてくれる未来の光景が堪能できる短編集。
表題作は、地球軌道をめぐる宇宙島内の無重力空間に設置された仮想の北太平洋環境を飛ぶツバメの描写から始まります。主人公は動物の回遊を研究する若い女性。そんな彼女に、地球から12光年ほど離れた恒星系へ移住する話が持ちかけられます。その惑星で生きるには、全細胞のミトコンドリアを他の代謝系のものに置き換える必要がある。つまりヒトを捨てる片道切符の旅なのです。彼女は付き合っている中国人男性を旅に誘いますが、彼は踏み切れない。その動機となっているのが春節の帰郷。つまり、人間の回遊運動ともいうべき習慣なのです。恋愛よりも惑星移住を選択した彼女だったのですが……。ブラックホールを利用した恒星間航法とか量子テレポーテーションとか、多くのアイデアをさりげなく詰め込みながら、2人の愛の行方を描く秀作です。
未来の可能性を見つめようとする全11編。それぞれに作者の覚え書きが添えられているのもうれしい。
ベッキー・チェンバーズ『ロボットとわたしの不思議な旅』(細美遙子訳/創元SF文庫)は、遠い未来、遠い宇宙に人類が進出した後の、牧歌的で哲学的なSF。
舞台は惑星モタンの月パンガ。居住可能な唯一の大陸の半分には人間が暮らし、あとの半分は手つかずの自然のまま残されています。住民たちが文明のあり方や生き方を考えた上で選択したものらしい。その際、AIやロボット、大量生産の工場などと絶縁することにし、使用していたロボットはすべて自然の中に解放してしまいます。以来、人間とロボットは互いに無縁の暮らしを続けてきたのですが、ある時、1人の悩める修道僧が森でロボットと出逢い……。
2つの中編から成っていて、第1部「緑のロボットへの賛歌」(ヒューゴー賞とユートピア賞受賞)は両者が出逢って仲良くなるまでを、第2部「はにかみ屋の樹冠への祈り」(ローカス賞受賞)は一緒にパンガのあちこちを旅する様子を描いています。中心になるのはデックスという修道僧とモスキャップというロボットの緩い禅問答──というか、漫才のようなやりとり。その中で環境問題や消費社会、格差など現代社会の諸問題が指摘されます。デックスの帰依するのが多神教なのも興味深いし、あと、この主人公の性別というかジェンダーが曖昧なのも今日のアメリカ的。そういえば、著者の名前もウェブで見る写真も明らかに女性ですが、カバー袖には「妻とともにカリフォルニアに住む」と紹介されています。