今月のベスト・ブック
『まぜるな危険』
高野史緒 著
早川書房
定価1,870円(税込)
「フェイク雲丹丼」ともいうべきメニューが我が家にはあります。
酒粕と卵という奇妙な取り合わせの素材を混ぜ、コチュジャンとオイスターソースを加えて加熱。半熟になったところで、余熱を利用しつつご飯に載せていただく。この味が、たっぷりの雲丹をご飯と一緒に食べているような、何ともいえない美味しさ。
酒粕と卵が絶妙の「化学変化」を遂げているわけですが、『まぜるな危険』では高野史緒がロシア文化とSFやミステリを混ぜ合わせ、とんでもなく面白い創作物に仕立て上げています。「まぜるな危険」ではなく、「まぜると愉快!」と言うのが正しい。
六編収録されているうち、もっとも超絶的な技巧が楽しめるのは「小ねずみと童貞と復活した女」でしょう。本書の各編には著者によるまえがきが付されているのですが、この作品のそれによると、伊藤計劃+円城塔『屍者の帝国』へのオマージュとなる短編を依頼されたことが出発点とか。得意のロシアを舞台にすることに決め、死体の復活といえばベリャーエフの『ドウエル教授の首』だし、『屍者の帝国』にはドストエフスキーも出てくるから『白痴』も入れたいし、知能の問題で『白痴』と繫がる『アルジャーノンに花束を』も……と、あれもこれもと欲張って一つの鍋にぶち込んだとのこと。で、出来上がったものはといえば、いやもう凄いのひとこと。喝采を送るか悲鳴を上げるかは、人によってそれぞれでしょうが、こんな文学的コラージュは空前絶後と言えるんじゃないでしょうか。
ドストエフスキーは他の作品でも取り上げられています。「プシホロギーチェスキー・テスト」では『罪と罰』が江戸川乱歩の「心理試験」と混ぜられ、「ドグラートフ・マグラノフスキー」では『悪霊』が夢野久作のあれ(タイトルからご想像を)と混ぜられて舌と胃袋が――いや、脳みそが捩じれます。
残る三編ともども、いずれも先行作品へのリスペクトとロシア文化に対する愛情と一体化した批判精神が感じられるのが、深い味わいを醸し出す要因となっています。文体の小気味よさもこの作家ならでは。
山田宗樹の新作『存在しない時間の中で』(角川春樹事務所)は、数学や物理の理論がこの宇宙の成り立ちを証明することの不思議を真正面から取り上げたSF。
不思議の具体例を挙げれば、アインシュタインが一般相対性理論で予言した「光が重力で曲がる」ことが、日食の際の星の観測で実証されたこと。一人の科学者の頭の中で創りだされた理論が宇宙の仕組みに直結しているんですよねぇ。不思議。この小説の冒頭でも似たようなことが起こります。
舞台はある大学の天文及び物理・数学に関する自主セミナーグループの例会。あらかじめ決められたメンバーが発表をおこなうはずが、突如現れた正体不明の青年が勝手に数式をホワイトボードに書き連ねてゆく。そして説明も加えず、忽然と姿を消すのです。
残されたメンバーがボードに書かれた数式を解き明かすと、それらは未知の重要な理論を示しており、我々の住む三次元空間は宇宙の本質をなす二次元空間から立ち現れたホログラムにすぎないというのです。つまり、この宇宙の設計図はその二次元空間に記されているのだ、と。同じような出来事が世界各地で起こっていて、著名な理論物理学者は、宇宙の「設計者」が人類とコンタクトをとろうとしているのではないかと考える。彼はそれを確認するための実験を思いつき、世界中の人々に参加を呼びかけた……。
世界の設計者――つまり「神」が存在するかどうか。もし存在したら、人々はどう行動するのか。この後は作者である山田宗樹さんの道案内に従うのみですが、その際、重要な役割を果たすのはエルヴィンという名の黒い仔猫を飼う女性・莉央。
読み終えた後、ホッとため息をつき、まわりの世界を少し優しい目で見られるような気分になっていました。
海外作品ではアーカディ・マーティーンの『帝国という名の記憶(上・下)』(内田昌之訳/ハヤカワSF文庫)の、錯綜していながら洗練され、さらには上品な淫靡さに溢れた世界を堪能しました。
辺境の地から、文明の中心である星へ派遣された女性大使の活躍を描く宇宙SF。
主人公マヒートは、宇宙ステーション国家ルスエルから、あたりの星系を統べる帝国テイクスカラアンの首都惑星シティへ召喚される。彼女の前任イスカンダーは長年の勤務の後、死亡していた。しかし、イスカンダーの〝分身〟がマヒートの脳内に小さな装置として存在し、彼女に助言を与えてくれるはずだった。ところが、分身は自分の死体を見た途端、彼女とのコミュニケーションを絶ってしまう。ショックで機能不全を起こしたらしい。かくしてマヒートはほとんど何もわからないままシティでの任務に就く。そこは伝統ある帝国にふさわしく、一見優雅でいて、実は陰謀と策略が渦巻く危険な場所だった。
マヒート担当となる帝国情報省職員の女性スリー・シーグラスの献身と、どこかつっけんどんな態度が実に魅力的。マヒートと彼女のやりとりが本書の大きな読ませどころとなっています。著者のマーティーンがクィア(LGBTQのQですね)であることが関係しているのでしょう。ヒューゴー賞受賞作。