今月のベスト・ブック
『ロボットの夢の都市』
ラヴィ・ティドハー 著
茂木健 訳
創元海外SF叢書
定価 2,640円(税込)
ネオム(NEOM)はサウジアラビアが紅海沿岸の砂漠地帯に建設を計画している未来都市。「都市」といっても、海岸線から山岳地帯へと至る広大な土地を擁し、商店街、オフィス、住宅、工場、農場、リゾートなどが含まれています。現在、実現に向けて1歩を踏み出したかどうかというところで、この先どうなるかは予断を許さないようです。
『ロボットの夢の都市』の原題にはこの都市の名がそのまま使われていて、遥か未来、この地域で起こる(はずはないと思いますが)出来事が記されています。
物語全体のイメージは、砂漠に咲いた花のよう。実際、1体のポンコツロボットが砂漠に1輪のバラを持ってゆくところから、話は動きだします。このバラが最後にとんでもない騒動を引き起こすことになるのですが、その前に本書の魅力について。
何よりも、人間や人間以外のキャラクターたちが、彩り豊かで、その上、実に可愛いのです。最初に登場するマリアムという若い女性はネオムの貧民街に住み、金持ちの家の清掃をしたり、花屋の売り子をしたり、いくつもの仕事を掛け持ちしながら生活しています。街角で毎日のように出逢うロボットがいちばんの友人。このロボットは介護の仕事をお払い箱になり、路上生活をしているのです。
警官のナセルはマリアムの幼なじみ。マリアムに思いを寄せていますが、告白することができず、パトロールの途中で言葉を交わすことで慰めを得ています。
サレハは孤児。家族とともに砂漠で金目のものを発掘していて、先の戦争の際に埋没していたサイボーグ兵士たちを目覚めさせてしまい、彼1人が生き延びたのでした。
「バラのロボット」はバラをマリアムから買い求め、先にいったように砂漠へ持参して何者かに捧げます。そして彼も砂漠に潜む無数の戦闘ロボットを呼び覚ますのです。
その他にも、人間の言葉を喋るジャッカルとか、太陽系の外れのオールト雲まで行ったことのあるテラー・アーティスト(テロを表現と考える芸術家)とか、次々に奇妙な人間やその他のものが出て来ては、物語の花びらを形作ってゆきます。未来のテクノロジーが描き出す、美しく、哀れな、神話的でいておとぎ話のようでもあるSF。
作者のラヴィ・ティドハーはイスラエル生まれでロンドン在住の作家。以前、『完璧な夏の日』を当欄で紹介したことがありますが、今回の作品には目を見張りました。奇妙で魅力的な世界はいくつものSFのワンダーランドの系譜に繋がっています。作品中にP・K・ディックの名作タイトルを借用した「ユービック」という煙草を登場させたり、巨大なロボットが、火星の小さなトースターに生まれ変わりたいと口にしたり(T・M・ディッシュに『いさましいちびのトースター火星へ行く』という愛らしい作品があります)、先行する名作に敬意を表しながら、独自の世界を構築しています。
宮内悠介『国歌を作った男』(講談社)は直木賞候補となった『ラウリ・クースクを探して』のバックグラウンドを形成するような作品集。ITでほんの少し現実からそれた世界に生きる人間を扱った作品を主体に、13編が収められています。
表題作は、その音楽が国歌とまでいわれるほどアメリカ国民に愛されたコンピュータ・ゲームを作ったジョン・アイヴァネンコという架空の男の肖像を物語るもの。音を操ることとプログラミングの才能によって社会的に巨大な存在になってゆく過程から、彼の沈黙の叫びが聞こえてくるようです。
冒頭に置かれた「ジャンク」では、秋葉原のジャンク販売店を父親から継いだ主人公が、使い古しのIT製品を売る面白さを見出してゆきます。この作品を書いた頃のことを、作者は「もう少し、人間味のある話を書きたいと切望していた」と記していますが、確かに本格的なSFを書いていた頃と比べると、生きる手応えが伝わってくる、温もりのある文体に変わってきているように感じます。
松樹凜『射手座の香る夏』(東京創元社)は、表題作で第12回創元SF短編賞を受賞した著者の第1作品集。4つの中編が収録されています。
「十五までは神のうち」にショックを受けました。マイクロカプセル型のタイムマシンに人工妊娠中絶薬を仕込み、過去の母体に送り込んで、妊娠がなかったことにする──というアイデアをもとにした青春小説。
この作品の舞台となる日本では、15歳になった時点で、〈巻き戻し〉と呼ばれるこの技術を選択する権利が、すべての国民にあります。つまり、自分自身が生まれてこなかったことにするという選択が可能なのです。
〈巻き戻し〉が実行されると、その人物がこの世に存在した形跡はすべて消滅します。しかし、人間の記憶だけは別。周囲の者はいなくなった人の記憶を持ち続けるのです。
語り手である主人公は、彼の兄が30年前に〈巻き戻し〉を選択した理由を探るため、当時暮らしていた島を訪れます。優秀で、自己否定する要素などなかったはずの兄が、なぜこの世から消える決意をしたのか。その謎を突き止めるミステリとしても秀逸。
他の3作品も、隅々まで考え抜かれ、きっちりと組み立てられた秀作揃い。読み直すことで、さらに感心してしまいました。