今月のベスト・ブック

装幀=小柳萌加・長崎綾(next door design)
装画=カシワイ

『Genesis この光が落ちないように 創元日本SFアンソロジー』
宮澤伊織ほか 著
東京創元社
定価2,200円(税込)

 

 寒くなってくると布団や毛布がうれしい。セーターや股引きもうれしい

 温かいところがうれしいのですが、それよりもまず肌触りが得もいわれぬ喜びをもたらしてくれます。布地と皮膚の交歓。

 そんなテキスタイルの感触を比類ない正確さと官能性をもって描き出しているのが第13回創元SF短編賞を受賞した、笹原千波「風になるにはまだ」。『Genesis この光が落ちないように 創元日本SFアンソロジー』に収録されています。

 具体的に見てみましょう──「とろみのある液体にも似た、冷たくすべらかな布とたわむれる。交点を減らし、一方向の糸を長く浮かせたサテン地は、フィラメント糸のつるりとした感触を存分に楽しめる」。

 語り手は42歳の女性、楢山小春。かつて服飾デザインを専門としていたが、13年前に現実の肉体を捨て、今は“情報人格”として電脳空間で生きている。そんな彼女が研究生時代の同僚とのイベントに参加するため21歳の女子大学生(名前はわからない)の体を借り、現実世界で1日を過ごすという話です。SFでは珍しくない設定ですが、他者の肉体をまとう感覚がビビッドに伝わってきて驚かされます──「雪解けに勢いづく大河のように知覚が押し寄せた。汗ばんだ掌、冷えた指、手の甲にかかるニットの袖。乾いて温かい風が頬にあたる。埃っぽいにおい。座位でも働いている骨格筋……」。

 こうやって現実を見直させるだけでも大手柄ですが、倍の年齢差がある“借り手”と“貸し手”を対比させ、生きることの意味を考えさせるドラマ作りも見事。想像力と筆力を備えた新しいSF作家の登場です。

 同書は他に5編を収録。八島游舷「応信せよ尊勝寺」は、物理学ならぬ「仏理学」が普遍的となった世界を描く創元SF短編賞作「天駆せよ法勝寺」の前日譚。宮澤伊織「ときときチャンネル#3【家の外なくしてみた】」は空間がうじゃうじゃと湧いて出る様子をレポートする動画配信SF。菊石まれほ「この光が落ちないように」は、植物と人間が融合した世界での不思議な愛の物語。水見稜「星から来た宴」は、土星の衛星タイタンを巡る観測衛星で1人の男と1匹の犬が星からの“音楽”を待つ様子を描く。空木春宵「さよならも言えない」は、遠い星系に移住し奇妙な姿形に進化した人類のファッションについて語るSF。グロテスクでユーモラス、皮肉なストーリー展開が効いています。

 なおこの《GENESIS》シリーズは5冊目の本書で終了し、次回からは同社の総合文芸誌〈紙魚の手帖〉(偶数月刊)に合流して、毎年8月号の「SF特集」で創元SF短編賞の発表をおこなうとのことです。

 さて、同賞の選評で山田正紀さんが、これからのSFはミニマリスム化が進むにちがいないと述べています。つまりSFのアイデアはあるにしても「それにのっとって話が展開されている」のではなく、アイデアを「いわば枠組みのようにし、そのうえで展開される人間ドラマ、感情の機微、あるいは感覚の繊細な移ろい、などに関心の中心が向けられ」てゆくだろうと。先の「風になるにはまだ」が典型例ですが、これは中国、韓国を含めた東アジアSFの、特に女性の書き手によるSFの特徴のようにも思えます。しかし、大森望編『ベストSF2022』(竹書房文庫)は、また別の方向から現代日本SFを捉えようとしているように見えます。

 ここには10編が収録されていますが、宇宙SFは皆無。広い意味でのタイムスリップものが1編あるものの、よくあるSFのテーマはほとんど見られません。かわりにあるのは、異常な論文が2編。他には、生きている布団とか、夜な夜な一升瓶の底に残る酒を舐める“お酒の神さま”とか、奇妙な生きもの(?)が登場するもの。美しくて奇抜な楽器について報告するレポート。電信柱に恋するヒトの話も。はっきりいってSFからも小説からもはみ出してしまいそうな、奇想天外な作品が並んでいます。では、これが日本SFの現状かというと、9月号で取り上げた伴名練編『新しい世界を生きるための14のSF』では従来のSFテーマによる新作が続々登場していることが紹介されています。

 これら3つのアンソロジーをながめてわかるのは、我が国ではSFの名のもとにさまざまな形式と内容の新奇な作品が生まれているということでしょうか。それを支えているのは、ネット投稿をはじめとする新しい書き手たちの登場。

 そうしたネット投稿出身の代表格が柞刈湯葉さん。『まず牛を球とします。』(河出書房新社)はネット投稿作品多数を含む作品集。表題作が肉食の可否をゆるりと槍玉に上げているように、広い意味でのモラルを考察するものが多い。かといって深刻にはならず、軽妙な発想にくすりとさせられます。

 南木なんぼく義隆『蝶と帝国』(河出書房新社)は帝政ロシア末期からソ連成立の時期に、オデーサ、モスクワで育った女性の半生記。

 故郷を逃れてロシアの原野で祖父に育てられた彼女は、色彩のついた“気”ともいうべきものを注入することで他人に影響を与える超能力をもっています。やがて施設に入り、裕福な家の奉公人となりますが、そこの一人娘と深く愛し合うように……。オビに「帝政ロシア×百合×SF」と謳われた異色作。