今月のベスト・ブック
『赦しへの四つの道』
アーシュラ・K・ル・グィン 著
小尾芙佐・他 訳
新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
定価 2,750円(税込)
2018年に88歳で亡くなったアーシュラ・K・ル・グィンは、日本SFでいえば「第一世代」と同じ年代の作家になります(小松左京より1つ年上)。1960年代からSFやファンタジーの名作を多数生み出しました。ここではSFに話を限定しますが、視野の広い世界観のもと、道徳性と人間性の葛藤を中心に繰り広げる骨太のストーリーは知的で、情感に溢れ、SF全体のレベルを引き上げることに大きく寄与しました。
そんなル・グィンの代表的シリーズに〈ハイニッシュ・ユニバース〉と呼ばれる宇宙史ものがあり、『闇の左手』や『所有せざる人々』などの傑作が含まれます。シリーズの多くは60~70年代に書かれましたが、今回翻訳された『赦しへの四つの道』はそれからしばらく経った90年代、ル・グィンが60代半ばになった時期に執筆されています。いわば「昔取った杵柄」をふるったわけですが、しかし、この「杵柄」はずいぶんと様相が変化しています。
まず目につくのは、性への大らかさでしょう。本書では異性間、同性間を問わず、性的な結びつきが当然のこととして描かれています。その昔、『オルシニア国物語』や『闇の左手』では、禁欲がある種の崇高さを伴う試練として描かれましたが、ここではそうした気配はまったくありません。人生経験とともにセックスについての見方が変化したのかもしれません。
収録された4つの中編すべてでそうした傾向は見てとれますが、代表的一編ともいえる「赦しの日」では、宇宙連合から地方惑星に単独で派遣された女性使節ソリーが、気に入った旅芸人の男を寝室に招き入れます。女は男に隷属することになっているこの惑星において、ソリーの行動は破廉恥極まりないものですが、異星人である彼女にとっては当たり前のこと。物語はこうした構図の中でソリーが直面した混乱と、彼女の〝愛〟の行方を追います。奴隷制が敷かれ、女性はさらに虐げられた存在とされる社会のあり方と、困難な状況の中で育まれる人間の結びつきとの軋轢。そこに生まれる緊張感溢れるドラマはまさにル・グィンの真骨頂と言えるでしょう。この作品はローカス賞とシオドア・スタージョン記念賞を受賞しています。
性的なことにばかり関心を向けてはいられません。右の「赦しの日」のほか「裏切り」「ア・マン・オブ・ザ・ピープル」「ある女の解放」という全四編は、すべて、とある星系の第三惑星イェイオーウェンと第4惑星ウェレルの歴史を踏まえたもので、両惑星での奴隷制崩壊と女性の解放にともなう闘争が大きな要素になっています。おそらくル・グィンはアメリカの、そして人類の歴史をじっくりと吟味し、そうした悪弊の原因を探るとともに、不当さを訴えたいという願いを込めてこれらの作品をしたためたのでしょう。巻末には舞台となった2つの惑星に関する歴史、文化的状況を説明する入念な覚え書きが付されています。大変な作業のはずですが、でも、楽しんで取り組んだ気配も感じます。
川端裕人『ドードー鳥と孤独鳥』(国書刊行会)は、近代になって絶滅した動物たちを扱ったノンフィクション的な小説。どこらへんが「ノンフィクション的」かというと、登場するドードー鳥、孤独鳥(ドードー鳥と同じく大型の鳩の仲間)、リョコウバト、オオウミガラスといった絶滅種の情報を追い、くわしく紹介する部分がメインとなっていて、フィクションの要素はそれらをつなぐ方便のような役割を担っているから。
といっても、そこには絶滅種に対する大きな愛と夢とが盛り込まれており、とてもワクワクします。そのあたりを要約してみると――主人公のタマキ(望月環)は小学校4年の時、父親の療養に適した土地を求め、房総半島南部の谷間の一軒家に引っ越します。転入した小学校で出逢ったのが、隣の谷に住むケイナちゃん(佐川景那)。どちらもまわりと馴染めず、生きもの好きであることから仲良くなり、豊かな谷の自然の中で2人だけの世界を創り出します。そして、そこに絶滅したドードー鳥や孤独鳥がいたらどんなに素晴らしいことだろうかと夢みるのですが……。
その後の2人がたどる人生の道程で、絶滅種たちのエピソードが、実際の研究書などから転載された図譜とともに、ふんだんに語られることになります。SF的要素はわずかですが、大きな役割を果たしています。
絶滅種といえば、代表格は恐竜。劉慈欣の本邦6冊目の長編『白亜紀往事』(大森望・古市雅子訳/早川書房)は、その恐竜が、蟻と共同して白亜紀に科学文明を築いていたという壮大なホラ噺です。
おとぎ話ふうな楽しさがあります。共存文明のきっかけはティラノサウルスの歯の隙間に挟まった肉片を蟻が食べて掃除したこと。恐竜の口の中に入るようになった蟻は、虫歯のタルボサウルスの歯に巣くう黒い虫を退治し、虫歯治療に成功します。この頃、恐竜も蟻もともに知性をもち始めており、言葉を使えるようになったところ。両者が共生関係に入ることで、恐竜は器用な手先の代わりに蟻を使い、一方蟻は、潤沢な食料と同時に、それまでの単純な集団知性に加えて、進んだ知恵や文明も手にするようになるのです。
文明の進展が人類のそれをなぞっているのは寓話的な狙いもありそう。