今月のベスト・ブック

装画=カシワイ
装幀=早川書房デザイン室

『地球の果ての温室で』
キム・チョヨプ 著
カン・バンファ 訳
早川書房
定価2,200円(税込)

 

「これは対象範囲外だが」と断りつつ、北上次郎さんは時おりSFも取り上げておられた。エンタメ小説が好きで好きでたまらないという姿勢がうれしくて、そんな逸脱も楽しみでしたが……。長い間、ご苦労さまでした。

『地球の果ての温室で』は、2年前に短編集『わたしたちが光の速さで進めないなら』で日本デビューした韓国のキム・チョヨプの長編第一作。植物の驚異的能力が地球の危機を救うという、いってみれば「園芸SF」です。

 舞台は、いったんは地上の動植物が絶滅しそうになったものの、なんとか乗り越えた未来の地球。絶滅の危機を招いたのは“ダスト”と呼ばれる粉塵状の物質で、正体不明ながらどんどん増殖し、地球全体を覆って動物や植物の生存をおびやかします。人間はドームを建造してその中に逃れるか、あるいはごく一部のダスト耐性をもつ者が、ドーム外でも生き延びることができるのみ。

 ところがこのダストはある時を境に姿を消してしまいます。それから60年。物語はダストの正体と消滅の謎をめぐって、何人もの女性たちが繋がってゆく様子を描きます。
 復興後の物語の主役となるのはアヨン。韓国人の生態学者で、ダスト時代の生態を研究する施設の研究員をつとめています。

 このアヨンという若い女性の人物像がいいんですね――「目には見えもしない微生物や、地面をほじくり返す虫たち、海や湖の藻類、じめじめした場所で菌糸を伸ばす菌類」を見るのが好きだというのですから。華々しいヒーロー、ヒロインとは一線を画している。

 彼女が研究することになったのは「モスバナ」と呼ばれるツル植物。ダスト時代、特にその終息期には、驚異的な繁殖力で全世界に広がったものの、やがて姿を消している。それが、突如として韓国北東部に出現し、住民に害を及ぼしているというのです。モスバナは触れた者の皮膚を傷つけ、激しい炎症を起こします。さらに、生えているあたりには青い光が漂うという話も。

 ツル植物と青い光とは、アヨンが幼かった頃の記憶を甦らせました。ヒスというおばあさんの家の庭で同じものを見たのです。モスバナの線をたどるうち、ダスト時代、マレーシアの森の中に避難していたアマラとナオミという姉妹と出会い、全身をサイボーグ化したレイチェルやロボテクスに長けたシスといった女性の存在を知ることになります。

 世界絶滅の危機の中で彼女たちが描く軌跡がとても印象的。はびこるツル植物と青い光に染まる幻想的な光景も素晴らしい。緑に包まれたユートピアという未来図はいくつも描かれてきましたが、その中でもとびっきりの異色作といえそうです。

 伊藤典夫編訳『吸血鬼は夜恋をする』(創元SF文庫)はウィリアム・テンの表題作など英米のSF、ファンタジーの小品32を収録した色鮮やかな短編集。

 古いファンの方は同題のアンソロジーが、かつて文化出版局から出ていたのをご記憶かもしれません。この文庫はあれに9編を加えた改装版。いずれも1950~60年代の達者な作家の作品ばかりで、読んでいて「そうそうこれが短編の極めつけだった」と思うこと必定。編者によれば「ぼく自身、この頃までのSFとファンタジイにもっとも愛着がある。再読してみて、いまもあまり好みに変わりがないことを、あらためて認識した次第だった」とのこと。あなたはどうでしょう?

 私個人は、ラストに驚いたR・ブレットナー「頂上の男」が、こちらの年齢のせいか、印象をガラリと変えているのに驚いたし、ウォルター・S・テヴィスの「ふるさと遠く」はやっぱりいいなあと感動したことでした。

 小川楽喜らくよし『標本作家』(早川書房)は第10回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作。これは小説についての小説――つまりメタフィクションということになりそうです。

 SFとしても意匠はこらされていて、8027世紀という遥かな未来が舞台。人類はとうに滅びていますが、「玲伎種れいきしゆ」と呼ばれる存在――「外見上は、きらびやかなドレスに身を包んだ球体関節人形(中略)言語を用いずとも他者との意思疎通が可能な、超常の生命体」が君臨しています。彼らは廃墟の一画に〈終古の人籃〉という施設を造り、そこにかつての作家たちを復活させて不死の身を与え、文学作品を延々と書き続けさせています。「標本作家」とは標本製作者ではなく、作家の標本という意味なのです。

 かつてのロンドンに位置するこの〈終古の人籃〉に集められているのは、恋愛・ファンタジー・児童文学・ゴシック小説・ホラー・ミステリーなど、さまざまな分野を代表する十人。それぞれ実在の作家のモデルであることが明らかな人物もいれば、私にはよくわからない人物もいます。オスカー・ワイルドと太宰治とはとりわけ重要な作家で、作品がほとんどそのまま引用され、オマージュが捧げられます。あと1人、主要な語り手であるメアリ・カヴァンという女性はアンナ・カヴァンがモデル。このメアリだけは作家ではなく「巡稿者」という身分。作家たちの原稿を集め、玲伎種に渡す編集者としての役割を果たしています。文学に人生の意味を求める読者の代表という立場だと読みました。

 こうした陣容から創り出される「人類最後の物語」とはどのようなものか? 読書で魂を救われた者の究極の夢が描かれています。