今月のベスト・ブック

装幀=小柳萌加(next door design)
『無常商店街』
酉島伝法著
創元日本SF叢書
定価 1,870円(税込)
「仏眼」などというものが自分に備わっているなんて、思ってもみませんでした。
手相占いで注目される模様だそうで、親指を軽く曲げた時、関節の内側に薄目を開いたような形ができることがあります。それが仏眼。仏様が半眼になっている様子を思い起こさせます。私は、右手にはできますが、左手にはできない。
酉島伝法さんの新作『無常商店街』は3部からなる連作ですが、タイトル作の舞台は掌紋町といって掌のような地形をしており、ちょうど仏眼の位置に建っているアパート「仏眼荘」を主人公の翻訳家・宮原聡が訪れるところから話が始まります。
彼は姉の清美に頼まれ、アパートの一室で数日間、猫の世話をすることになったのです。翻訳の仕事はどこででもできるから、調査に出かけている間、頼む、という要請。
この姉というのが主人公にとっては災厄の種というか、無理矢理厄介ごとに引き込み、あげくの果てに聡は死後の世界にまで足を踏み入れさせられるのですから、たまったものではありません。巻き込まれ型の超常サスペンスといってもいいでしょう。しかし、聡は特に憤慨するわけでもなく、姉の指示に従いつづけるところが妙に可笑しい。
そもそも姉の清美は「環地域調査研究所」というよくわからない機関に所属していて、各地の不可解な現象を研究しているらしい。掌紋町では中心部にある無常商店街に、妖怪が出るとか神隠しが起こるとかいう噂があり、彼女はその「深部」に滞在して異変の原因を探らなくてはならない。そのためしばらくこの世界には戻れないというのです。弟には「商店街には来ないほうがいい」と言い置いたのですが、もちろん聡は足を踏み入れます。翻訳の参考書がある本屋へ行くために。
商店街に一歩足を踏み入れるや、街路は常に変化しつづけて迷路となり、聡は自分がどこにいるのかわからなくなります。目の前の路地を、おちょぼ口のマンボウが地面から浮かんで通り過ぎたり、さらにとんでもないものたちが街に繰り出してきたり。カフカの『城』やつげ義春の「ねじ式」、それにアラブのややこしいバザールなどがまぜこぜになったような、とても面倒くさい状況に陥ってしまうのです。しかも、この現象を描写する文章が酉島さん独特の日本語であるようなないような謎めいたものですから、もう頭の中はもつれっぱなし。眩暈のするような酩酊感が味わえます。
第2話、第3話と、趣向を変えて現れる異界に聡は引きずり込まれ、とんでもない目に遭いつづけます。哀れな悲劇としかいいようがないのですが、彼は見事に窮地をくぐり抜け、結果的に姉とこの世界とを守るのですから大したもの。見知らぬ町をさまよったり、祭りの夜に迷子になったりすることが好きな人には絶対のお勧め。奇想と、刺激的な日本語表現に触れたい人も見逃してはならないでしょう。
レイ・ネイラー『絶滅の牙』(金子浩訳/創元SF文庫)は、遺伝子工学で復活させたマンモスに人間の意識を植えつけ、生存の道を探らせるという物語。
100年あまり未来、シベリアにマンモスを自然な状態で棲息させようという試みが実施されます。しかし、功を奏さない。彼らは野生で生きる知恵を失っているからです。
そこで白羽の矢が立ったのが、かつて野生象の保護活動に邁進していた生物学者ダミラ。彼女は活動中に命を落としたのですが、その意識は死の寸前にアップロードされ、保存されていました。象の文化に詳しいその知識をマンモスの生存に活かそうというのです。
かくして群れのリーダーの脳に乗り移ったダミラは、自分の過去を甦らせるとともに、マンモスとしての新しい生き方を見つけ出してゆきます。自己の利益のために野生動物を犠牲にする人間のエゴに対するまっすぐな告発が清々しい。
著者のネイラーはカナダ生まれですが、長年ロシアや中央アジアなどで外交、平和維持活動に従事していたそうで、全編ロシアが舞台の本作でも描写はリアリティたっぷり。前面には出てきませんが、ここでの大統領像がおぞましい。2025年のヒューゴー賞ノヴェラ(長めの中編)部門受賞。
ネット通販が主体なので入手しづらい人がいるかもしれませんが、堀晃『宇宙ランド2100 堀晃ジュニアSFコレクション』(北原尚彦編/書肆盛林堂)は、古くからのSFファンには見逃せない1冊。
ハードSFの旗手として知られる堀晃さんは、科学的知識の精髄がもたらす抒情をかもしだすというその作風からか、ジュニア向けの作品は多くないようです。しかし、ここに集大成されたジュニアSFには、宇宙や先端技術への瑞々しい憧れと感動がみなぎっていて、魅力満点です。
しかもオマケとして、小松左京さんが脚本を手がけた「幻のSF人形アニメ」の絵コンテも収録。テレビアニメ創成期の1965年、大阪の番組制作会社が企画したものの実現しなかった作品のパイロット版のために書かれたものですが、当時、大学生だった堀さんも招集され、アイデアやシノプシス、脚本などで協力したといいます。その時の様子を記した堀さんの文章は、エネルギッシュで夢に溢れていた時代の空気を活写しています。



