今月のベスト・ブック
『ガーンズバック変換』
陸 秋槎著
阿井幸作・稲村文吾・大久保洋子 訳
早川書房
定価2,310円(税込)
『ガーンズバック変換』のカバーイラストは少女二人が絡む百合ムード。表題作をイメージしているのでしょうが、いやいや、中身はかなり硬派なSFです。
そしてオビには「中国発、日本SF」。
著者の陸秋槎は金沢在住の中国人作家。2014年、ミステリー作家として活動を始めるのとほぼ同時に来日。奥さんの学業の関係だったとか。日本デビュー作『元年春之祭』は各種ミステリーランキングで高位につけ、本屋大賞「翻訳小説部門」でも2位に輝きました。その版元が早川書房だったことから同社のSF編集者と縁ができ、SFも執筆するようになったようです。
本書は〈SFマガジン〉や香港の文芸誌、日本のアンソロジーへの掲載作に書き下ろしを加えた八編を収録。博覧強記ぶりを発揮した濃密な短編、軽快でひねりの効いたSF、異常論文など、多彩な作風が一望できます。
最初に触れた表題作には、香川から大阪へ向かう女子高生・美優が登場。途中、電車で隣り合わせた女性は、写真を撮ってもらおうとスマホを差し出したものの、慌てて「ごめんなさい」と引っ込めてしまいます。美優の眼鏡を見て香川県の未成年者であることを、彼女は察したのです。
実際、香川県には「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」があり(2020年成立)、18歳未満の県民がインターネットや電子ゲームに接する時間が制限されています。しかし、この作品での対策はさらに過酷。液晶画面を見ると真っ黒にしか映らない特殊な眼鏡の着用が強制されているのです。だから美優にスマホの画面は見られません。とはいうものの反抗心は抑えがたく、香川県では違法なテクノロジー製品を手にするため、大阪にいる友人を頼って旅に出たのでした。
これが〈香港文学〉という中国の雑誌に掲載されたことを、どう受け取ればいいんでしょうね? 彼我の国民が置かれた情報環境を考えると、複雑な思いが湧いてきます。
この作品や、ゲームの設定の奥深さをコミカルに語る「開かれた世界から有限宇宙へ」は、ほぼ現代の社会を舞台に若者のライフスタイルを描いたもの。一方、「ハインリヒ・バナールの文学的肖像」は、やはり皮肉な内容ではあるものの、架空の人物の暗くて滑稽な一代記となっています。
主人公のバナールは1878年生まれのオーストリア人という設定。凡庸な俗物でありながら、文学的名声を求めて愚行を重ねる様子が、当時の文学、音楽、政治的状況を絡めながら克明に描写されます。地球空洞説やタイムトラベルを盛り込んだ彼の作品の数々には笑いをこらえようがありませんでした。
また、SFとはいいがたいものの、吟遊詩人としての奥義を極めようとする中世の女性を描く「物語の歌い手」は小説の面白さを堪能させてくれる絶品。
中国SFだとか日本SFだとかはこの際、無関係ですね。このような才能が今の日本に存在することにこの上ない喜びを感じます。
『腿太郎伝説(人呼んで、腿伝)』(左右社)は深堀骨の書き下ろし長編。「桃太郎」のパロディといえばパロディですが、そんな生易しいものではありません。
ことの起こりは「あるコミュニティ」に住んでいるBURさんが川へ「選択」(という作業があるらしい)に行ったところ、うら若き女性の(ものであることがなぜかわかる)腿が流れてきて、それを家に持ち帰り、同性の同居人であるGさんの見守る前で切ったところ「屍とは思えぬほどの大量の血潮が飛沫を上げて迸り(プシューッという噴出音とGさんの『アイヤー』という歎声がハモった)、と同時に1個の塊が神の見えざる手によって引き抜かれた大根の如くズボッと飛び出し宙に一廻転舞った勢いの割には畳の上に不思議な迄に軟着陸した」。これが腿太郎。長じて自分の出自を知った腿太郎は「親の仇を討つ」と家を出て、浴場〈湯気湯〉の三助になる。〈湯気湯〉の経営者・湯気太郎博士は「この世の生きとし生ける小バヤシ旭と小バヤシ旭のようなもので『国際小バヤシ旭合唱団』を作って、皆で『燃えるオト~コ~の~、あ~か~いトラクタ~♪』と歌う、これが今のところの俺の野望なんだプイプイ」とのたまうような男で、実は、腿太郎の母・百恵を切り刻んだうちの1人でもあるらしい。
ふざけまくった内容ですが、この物語の内部でのみ通用する脈絡に貫かれていて、おふざけが確固たる世界を形づくってゆきます。ヒネたオヤジの「ひょっこりひょうたん島」的世界とでも申しましょうか。稀代の珍作。
『チェコSF短編小説集2 カレル・チャペック賞の作家たち』(平凡社ライブラリー)を読む際には、チェコという国の近年の歴史を頭に入れておいた方がよさそう。かつてチェコスロバキアと呼ばれた共産主義国家は1989年に共産党体制が崩壊。その後、93年にチェコとスロバキアに分離しています。本書に収録されているのは共産主義時代の82年から現体制の97年までに書かれた13編。編者はヤロスラフ・オルシャ・Jrとズデニェク・ランパス。2人が選んだ作品を訳者の平野清美さんが調整したとのこと。チェコスロバキア時代にSFファンが設定した「カレル・チャペック賞」の受賞者・関係者のSF中心ですが、英米のものとはかなり趣が違っていて驚かされます。