今月のベスト・ブック

装画=加藤直之
装幀=岩郷重力+S.I

一億年のテレスコープ
春暮康一 著
早川書房
定価 2,420円(税込)

 

 遠くへ出かけるのが苦手になってきました。旅をするより近所を散歩して道端の雑草を眺めたりするのが楽しい。老化現象なんでしょうが、しかし、足元の小宇宙を眺めるだけで満足しているというわけではありません。宇宙の彼方はどうなっているのか、最新技術での観測や研究もまた気になるのです。マクロコスモスとミクロコスモスの両方を眺め、互いに関連があるのではないかと考えたりするとわくわくしてきます。

 前置きが長くなりましたが、このうちマクロコスモスの方をとことん探求しようというSFが春暮康一の新作『一億年のテレスコープ』。地球を飛び出した人類が宇宙の彼方で目にするものを全力で描いています。
「遠くを見ること」に生涯を捧げることが運命づけられた主人公・鮎沢望は、高校、大学で出会った天文マニアの千塚新、八代縁と3人で「彗星VLBI計画サークル」なる同好会を発足させます。「VLBI」とは「超長基線電波干渉法」のこと。遠くの天体からの電波を複数のアンテナで受信し、時間差を計測することで、天体との距離や位置を知るというものですが、アンテナ間の隔たりが大きければ大きいほど、正確な測定値が得られます。3人はそれを地球を超える規模で展開しようというのです。それも同好会のノリで。
 話は現代から未来へと進み、ヒトの生き方の変化が彼らの計画を後押しします。肉体を捨て、量子的情報体として生きる技術が確立されるのです。蚊のようなドローンの群れやロボットに意識を乗り移らせて自由に世界を見て回ったり、ほかの惑星で作業をしたりする様子は、それだけで、また別の物語を生み出せそうです。新たな生命体となっても同好会の面々は当初の方針まっしぐら。計画を練り上げ、賛同者を募って資金を調達し、海王星にまでアンテナを設置してゆきます。太陽系規模の巨大電波望遠鏡ができたわけです。データを解析し、地球外文明の兆候が見えると、次は、実際にその星へゆくこと。それが望たち3人の目的なのです。
 彼らは地球外文明と接触して交流を重ね、さらなる探索を続けます。その過程に登場する異星種族の描写は、前作『法治の獣』で発揮した想像力を引き継ぐもの。今回は対象の観察だけでなく、互いにコミュニケーションをとり、生き方までも影響を与え合って旅の仲間になるという点で、人類が宇宙の一員であるという意識を強く打ち出しています。著者のペンネームは宇宙生命の活躍を描いた作家ハル・クレメントに由来するもののようですが、本書は、『宇宙船ビーグル号』のヴァン・ヴォクトや『最後にして最初の人類』のオラフ・ステープルドンをも思わせる壮大な宇宙SFとなっています。

 一方、足元の地球に目を向け、現代文明の危機の兆候を拡大して見せるのがジョナサン・ストラーン『シリコンバレーのドローン海賊 人新世SF傑作選』(中原尚哉他訳/創元SF文庫)。グレッグ・イーガンらの短編10作に加え、キム・スタンリー・ロビンスンへのインタビューが収められています。
 表題作は米国の作家メグ・エリソンの手によるもの。少年と父親がドジャー・スタジアムでドジャース対ダイヤモンドバックス戦を見るところから始まります。ほとんど現代といっていい米国の日常が描写されるうちに、巨大資本と貧困層の分断が浮かび上がり、弱者が配達ドローンを捕獲する海賊行為に手を染めることの是非が問われます。
「人新世SF」というサブタイトルからは環境破壊や気候変動が連想され、当然、そうした問題は存在しますが、解説で渡邊利道さんが指摘されているように、資本主義が生み出す社会的格差の問題の方が強調されているように思えます。物語としてもよく出来た作品が揃った好アンソロジー。

 第9回ハヤカワSFコンテストで優秀賞を受賞した安野貴博の新作『松岡まどか、起業します AIスタートアップ戦記』(早川書房)は、痛快な近未来ビジネスSF。
 主人公・松岡まどかは大手企業リクディード社に就職が内定、インターンとして勤めたあげく、3月になって内定取り消しを告げられます。直前、彼女はある起業スカウトにおだてられ、スタートアップを始めることを勧められていたところ。成り行きで話にのり、契約を交わしますが、その内容にはとんでもない罠が。1年以内に会社を時価10億円にまで育てなければ、まどかは1億円を出資者に払わなければならないのです!
 いかにしてこの難題に立ち向かうか。自らも起業家である著者は、波乱万丈の筋書に仕立ててみせてくれますが、ここで肝心なのはまどかの能力というか、生い立ち。もの心ついた頃からAIに親しんできた「AIネイティブ」と呼ばれる世代が誕生していますが、まどかもその1人。しかもとてつもなくディープな付き合いをAIとしていて、彼らを有能なグループとして駆使することができるのです。それを知った腕っこきの上司がまどかと一緒に退社し、共闘することになります。
 憎むべき悪役がいて、頼りになる相棒がいて、思いがけない困難が次々と降りかかってくる……。堂に入ったエンターテインメントを繰り広げながら、AIをめぐるビジネスのあらましが俯瞰されます。都知事選で政治に新風を吹き込んだ著者は、小説の世界でも活躍を続けてくれそうです。