今月のベスト・ブック

『悪夢工場』
トマス・リゴッティ 著
若島正ほか 訳
河出書房新社
定価 2,970円(税込)
2025年の終わり頃から翌26年の始まりにかけて、私は自分史上、未曾有の騒動に巻き込まれることになった。その始まりは、今から100年以上も前に急逝した作家(小泉八雲ことラフカディオ・ハーンのこと)が、突如として連続テレビ・ドラマの主人公となり、日本のお茶の間に「復活」したことだったろう。私のような業界の末端に位置する物書きのところにも八雲特集の原稿依頼が殺到し、我田引水のつもりではなかったが、八雲とは因縁浅からぬ米国の怪奇作家ラヴクラフトのことなどを興にまかせて書き散らしていたら、その八雲やラヴクラフトと因縁浅からぬ俳優の佐野史郎さんらと、正月明けに山形のイベントで座談会をすることになり、ようやく帰宅して、この時評を書くため読むのを愉しみにしていたトマス・リゴッティの本邦初となる単行本『悪夢工場』を開いたら、これまた(またしても!)ラヴクラフトの深い影響下に出発した作家だったことが判明、どこまで続くこの泥濘ぞ……と今は、ただただ呆然としているところ。
とはいえ、ただ呆然としていても書評にならないので、問題の『悪夢工場』の話に移りたい。この本は45編を収める作者の自選短篇集から、編訳者の若島正が、選りすぐりの全9編を選んだ作品集である。白石朗と宮脇孝雄による既訳の作品が各1編ずつ含まれているが、他の7編はすべて若島の翻訳である。ホラー翻訳を支える三大家の豪華競演! その特異極まる作風を存分に堪能するには本書の巻末に据えられた短篇「赤塔」を、何はともあれ、じっくり腰を据えて味読するに如くはない。
何処とも知れない荒涼とした場所に建つ、3階建ての廃墟と化した工場(実は地下部分にも、同じく3層から成る「工場」があるのだが……)で、営々と製造される珍奇な「生産物」の諸相を活写した(だけの!)この作品を読めば、作者の「地下世界」に寄せる妄執が、明らかに「始祖」ラヴクラフトのそれに酷似していることが分かるだろう。
そこから、冒頭の「戯れ」やタイトルからしてラヴクラフトを髣髴させる「世界の底に潜む影」、邪神復権! を思わせる「ツァラル」、代表作として知られる「アリスの最後の冒険」や「道化師の最後の祭り」へと遡上する頃には、貴方はもう、この作家のズルズルと後を引くような癖になる魅力から、逃れられなくなるに違いない。
続いては久賀理世の新刊長篇『書林コマドリ裏口ヨリ』(U-NEXT)。最近よく目にする「理想の図書館」(といっても、本書の舞台は図書館ならぬ新刊書店だが)テーマの作品で、ある出来事の衝撃により「声を失った」女子高生が書店でのアルバイトを通して、理解ある仲間たちに後押しされて自分を見つめなおし、再発見する過程が、作者持ち前の丁寧な筆致で描き出されてゆく。
よくある話といえばそれまでだが、そこは〈奇譚蒐集家小泉八雲〉シリーズで人気の作者らしく(書店の話だしね。おりしもヒロインが到着するのは「八雲忌」の前日!)、作中の随所に『怪談』をはじめとする八雲作品の話題が頻出、特に中盤までは〈八雲〉シリーズの裏話としても興味津々で読める。
「八雲が再話した〈雪女〉には、アイルランドでの暮らしになじめなかった母親の面影がかさねられているというし、八雲もこの世のみなしごみたいな心持ちで生きていたのかもしれない」
「この世のみなしご。だからこそ八雲はこの世ならぬものだけでなく、草木やちっぽけな虫たちにも心を寄せたのだろうか」(共に本書の第2章より)
ふ、深い! さすがは〈八雲〉シリーズの作者ならではの、見事な洞察だろう。
ちなみに一連の事件のミステリアスな解決編というべき最終章では、舞台となる「楡屋敷」の歩んできた紆余曲折ある歴史が、昭和史の暗部と重ね合わされて、大いに盛り上がる。個性的な登場人物(=書店員)たちの魅力も含めて、続きが大いに愉しみなシリーズ開幕篇である。
「昭和史の暗部」といえば、こちらも太平洋戦争終焉の決定打となった、あの悲惨極まりない出来事を、まったく意想外の、奇想天外な角度から描いたジェイムズ・モロウの長篇『ヒロシマめざしてのそのそと』(内田昌之訳/竹書房)にも(なんと卓抜な訳題であることか!)触れておかねばなるまい。
これは戦争末期、米国海軍首脳部が立案した「ゴルガンティス」(=ゴジラがモデルとおぼしき、巨大な火を吐くトカゲ)による日本襲撃計画(のミニチュア縮小版)のスーツアクターに起用されたハリウッドきってのモンスター俳優シムズ・ソーリーの架空の回想記のスタイルで描かれた、血と汗と涙と大爆笑の怪獣奮戦秘話である。もっとも、爆笑とはいっても、ぼろぼろの衣装をまとった「ミイラの幽霊」役で人気者となったシムズの姿が、悲惨な「ヒバクシャ」を連想させるという冷汗三斗の真相には、我々日本人としては素直に喜べない深刻な現実もあるのだが。
深刻な現実といえば、訳者の内田氏の御尊父は戦時中、特攻兵を志願しながら終戦を迎え、東日本大震災直前に交通事故で亡くなられたという。ほぼ同じ経歴の父をもつ私としては瞑目の他はない。面白うて、やがて哀しき平和切望の鎮魂曲。傑作である。



