今月のベスト・ブック

装画= ゲッティイメージズ
装幀= 大路浩実

『完本 かみいます山の物語』
浅田次郎 著
双葉社
定価2,200円(税込)

 

 東国の一円に、「狼」を神の使いとして崇める神社が多数存在することは、幻の「ニホンオオカミ」をめぐる目撃談・動画の(真偽定かならぬ)流布や、テレビ番組の取材によって、かなり一般にも知られるようになってきたと思しい。

 実は私の母方の実家は、埼玉県秩父市の山奥にあるみつみね神社の氏子で、私もまた幼い頃から、父に背負われ、年に1度のさんろうに参加していた。今もおぼろげな記憶に残っている最も古い光景のひとつが、「」と呼ばれる参拝時の導師の先生が手にする缶ジュースが飲みたくて、しきりに手を伸ばしている、幼い自分の姿なのである(笑)。

 いわゆる「霊感」の類とは見事に無縁な私が、なぜか「超自然=怪奇幻想」の文学に惹かれてやまないのも、物心ついた頃から、神仏がらみの不思議な話や怪しい話と身近に接していたからではないか、と思っている。

 三峯神社は古来、「盗難除け」にれいげんあらたか、とされているが、昔、山麓の村で、夜中に土間で異音がするのを怪しんだ家の主人が様子を見にゆくと、忍び込んだ盗賊が、正体不明の巨大な獣に噛み殺されていた……といった類の「本当にあった怖い話」が山のようにあって、それを子供心に「事実譚」として聞かされて育ったのは紛れもない「事実」である。

 ところで、東京・青梅の「武蔵御嶽神社」もまた、三峯神社と同様、「お狗様」を神使として崇める神社として有名であり、古来より、やはり「御師」と呼ばれる人々が山上に建てられたお屋敷で暮らす、一種のべつけんこんの神域であることも、よく知られていよう。

 そして直木賞作家の浅田次郎氏が、御嶽神社の御師のいえすじに生まれた人物であることも知る人ぞ知る事実であって、私は以前、浅田氏の講演会が御嶽山にある御実家(今は旅館として営業中)で開かれることを知って、「小説推理」編集部の方々に同行して取材に赴いたことがあった。

 その時のことは、「幽」24号の「リアルか、フェイクか。」特集の巻頭に掲げられた、浅田氏へのインタビュー記事および日本怪談紀行「浅田次郎と霊地・御嶽山を歩く」に詳しく記したので、気になる向きは是非、御参照いただきたい。

 ところで、その浅田氏が「小説推理」誌上に、ポツリ、ポツリと書き継いできた珠玉の連作〈御嶽山物語〉が、このほど上梓された『完本 かみいます山の物語』(双葉社)で、遂に完結をみた。

「完本」の刊行にあたり、新作短篇「山揺らぐ」が新たに書き下ろされ、また、小説並みに読み応えのある「長いあとがき あるいは かむあがりまししもろびとの話」も初収録されているので、『あやし うらめし あな かなし』や『神坐す山の物語』をすでにお持ちの浅田ファンも、本書ばかりは見逃すわけにはゆくまい。

「山揺らぐ」は、関東大震災をメイン・テーマとする話。とりわけ在日朝鮮人による暴動騒ぎという根も葉もない流言飛語が、浮世離れした山上の神域をも揺るがした震災秘話がナマナマしく綴られ、デマを鎮めようと独り奔走する鈴木家(=浅田氏の実家)の青年が犠牲となる。若くして逝った縁者に寄せる浅田氏の静かな悲憤が、抑えた筆致の端々から伝わってくる名品であり、この大河物語を締めくくるのに、まことに相応しい力作となっている。

 以前、私はこの連作を、上田秋成の『雨月物語』や柳田國男の『遠野物語』に優に比肩しうる傑作であると評したことがあるけれども、その確かな手ごたえは総決算となる本書によって、いよいよ実証されたと思しい。

 怪談実話の世界で、ひと味違ったテイストの良質な作品集を、矢継ぎ早に刊行している川奈まり子の新刊『怪談屋怪談』(笠間書院)は、怪談実話専門の語り手たちを中心に著者が直接、取材して成った、一風変わった本。こういうコンセプトのインタビュー本が1冊くらいあってもいいな……と思っていたところだったので、まさにタイムリー。人選も、噺家や能楽師、映画監督など、なんともバラエティーに富んでおり、当該分野における現在地/最新事情の恰好の見取図となっている感がある。

 年に1度、平凡社ライブラリーから刊行されている小生編纂の〈文豪怪異小品集〉……今年は『我が見る魔もの 稲垣足穂怪異小品集』の登場である。

 タルホというと、同性愛文学や宇宙文学の大いなる先覚者として名高いが、実は怪奇文学にも一家言を有していて、とりわけ初期には、師匠だった佐藤春夫(これまた名高い「おばけずき」文人で、平凡社ライブラリーからも『たそがれの人間 佐藤春夫怪異小品集』が上梓されている)との絶妙なコラボによる怪異譚を、数多く物している。

 またタルホは、広島県三次市に伝わる名高い江戸の妖怪伝承『稲生いのう物怪録もののけろく』に深い関心を抱き、都合三度もテクストの書き換えを行なったことでも有名である。

 本書は史上初めて、タルホによる怪異譚・妖精譚の類を集大成することを目論んだアンソロジー。冒頭と巻末に、タルホ怪談の傑作群を集大成し、その間に、アイルランド妖精譚のタルホ流バリエーションや、一読不可解極まるホラー風の怪作が収められている。