今月のベスト・ブック

装幀=泉屋宏樹

『絵本 龍潭譚りゆうたんだん
泉鏡花 著
中川学 絵
国書刊行会
定価2,750円(税込)

 

 今年は文豪・泉鏡花の生誕150年記念のメモリアル・イヤーということで、根っからの鏡花好きである私(何しろ小学生時代、最初にハマった作家が、国内では鏡花、海外はL・P・ハートリイだったのだ……どうせね世をねた変わり者ですよ、ハイ!)の周辺では、大いに盛り上がっている。

 一方、世間的には、今年は関東大震災の災禍から100年目にあたる、これまた記憶されるべき年であり(最近、列島各地を揺るがした群発地震の影響もあるのだろうが)、すでに幾つかのテレビ番組などでも真摯な特集が組まれていることは、御存知の向きも多いだろう。出版関係でも、100年前の首都直下型大震災を扱った書物が、いろいろと刊行されているようだ。

 児玉千尋『文豪たちの関東大震災 紙礫17』(皓星社)も、そうした一環として編まれたアンソロジーである。巻末の編者解説によると〈私は図書館で働いているのだが、かつて勤め先で開催した「災害文学としての『方丈記』と東日本大震災」という展示の際に、地震災害に関する文豪の著作を調べた。後、その調査結果を論文及び文献リスト「関東大震災と文豪:成蹊大学図書館の展示から」としてまとめ、現在は成蹊大学学術情報リポジトリから読むことが出来る。本書は、その内容がもととなっている〉とのことで、巻末には懇切な震災関連雑誌記事リストと作家紹介ページ(震災時の年齢付き!)が付されていて、便利なことこの上ない。

 また、やはり右の解説中に〈著名な文豪の作品を読むことで、震災の実態を知ることができると同時に、驚き慌てる人間味のある文豪たちの姿に触れることができる。教科書に載っているすまし顔の文豪からは思いもかけぬ、生き生きとした人物が見えてくる。(略)今回は中でも、文豪の人となりがよく表れているもの、あるいは一緒に震災体験をして、それをお互いに書いているものを中心に集めてみた。夫婦、恋人同士、友人同士など、それぞれの視点からどのように震災と当時の状況を描いているのかを見ていただきたい〉ともあって、芥川龍之介に始まり、室生犀星、川端康成、志賀直哉、谷崎潤一郎、内田百間、菊池寛、横光利一……等々、文学史に名を残す名だたる文豪たちの意外な一面、たいそう人間臭い側面が、収録作品の端々から窺えるのも、本書の美点だろう。

 集中、最も特異というか、幻妖味あふれる実体験記を記しているのが、わが泉鏡花であることは、まあ当然といえば当然だろう。その名も「露宿」と題された、不朽の名エッセイである。当時の鏡花は、つい住処すみかとなった「番町の家」に、愛妻すずと暮らしていたが、地震による火災を怖れて、近くの公園(現在の迎賓館附近か?)に避難し、そこで2昼夜を明かすこととなる。その間、ふと深夜に起き出した鏡花を見舞う、真に迫った幻視の光景たるや! これは是非、じっくりと現物を堪能していただきたいと思う。

 さて、生誕150年を記念して今年刊行される鏡花作品の中でも、その優美なたたずまいの点で断然、他を圧しているのが、画家兼僧侶という異色の肩書を有する、京都の才人中川学の幻のデビュー作『繪草子 龍潭譚』(2011年に自費出版本として刊行)の復刊だろう。

 今回は『絵本 龍潭譚』のタイトルで、国書刊行会から刊行されることとなった。原本の豪奢な造本は、さすがに再現されておらず(万一それをやったら、定価30,000円也……という原本の豪勢な値段も踏襲しなければならなかったことだろう……おそろしや、おそろしやあ!)、そのかわり、中川えがく妖艶にして鮮麗なる妖女の姿をはじめとする、鏡花世界の絵画的エスキース(精髄)は、余すところなく再現されている。

 そもそもこの「龍潭譚」という作品は、初刊が1896年11月、鏡花の本格的作家デビューは92年なので、最初期の作品ということになる。物語の粗筋は、全山満開の躑躅つつじの眼の醒めるような描写に始まり、美麗な毒虫(=ハンミョウ)に導かれるようにして、神隠しさながら山中に迷い込み、「ここのこだま」と呼ばれる魔界に暮らす妖女に庇護されて、無事に麓の人界へと戻される少年の体験談である……といえば、「おや?」とお気づきの方もあるだろう。これは鏡花の代表作の1つとして名高い傑作「高野聖」の初期バージョン/短縮バージョンなのである。

 しかし規模こそ小さいものの、〈鏡花の詩精神の最も美しく結晶した小傑作〉という澁澤龍彦の有名な賛辞(アンソロジー『暗黒のメルヘン』解説)をはじめ、この作品を愛でる声は数多い。なにより中川自身も、本書のあとがきで「龍潭譚を描くために僕はイラストレーターになったのかもしれない」と断言しているではないか!

 実は、かく申す私自身にとっても、「龍潭譚」は特別な作品である。右の『暗黒のメルヘン』で最初に読んだ日本幻想文学作品が、この「龍潭譚」だったからだ。先ごろ平凡社ライブラリーから上梓した私のアンソロジー『龍潭譚/白鬼女物語 鏡花怪異小品集』の第1章は「龍潭譚の系譜」と題して、この愛すべき小傑作に結実する、鏡花の幻の初期作品8篇を、はじめて文庫化する試みなのだった。あの『ドラキュラ』の前年に発表された怪作「蝙蝠物語」ほか、話題作を満載!