今月のベスト・ブック

図版=鳥山石燕
装丁=渋井史生

『夜行奇談』
東亮太 著
KADOKAWA
定価1,980円(税込)

 

 なんだよ、またも、このパターンか~い! ……などとブツブツ言いながら、それでもついつい未見の物語を探して、先へ先へと読み耽ってしまうのが、いわゆる怪談実話本のつねではあるわけだが、あの〈新耳袋〉シリーズとの、心妖しくときめいた出逢いを彷彿させるような、得がたい手応えを感じさせる珠玉の1冊に、ようやく巡り逢うことができた。東亮太『夜行奇談』だ(名前の読みは、残念ながら「ヒガシ」ではなく「アズマ」である。お間違いなきよう)。

 収録話数は全51話。その多くが、どういう方向へと話が転がってゆくのか、途中まで予測がつかないのである。怪談実話というのは、数をこなして読めば読むほど、おおよそのパターンや展開が把握できてしまうものだが、その弊を免れているだけでも、本書は貴重である。ウェブサイト「カクヨム」に連載された作品の中から厳選された話を1巻にまとめたそうだが、なるほど、1話1話、時間をかけて、大切にまとめていったことが、よく分かる。描写が丁寧で、隙がない。ともすると粗製乱造に陥りがちな業界ではあるけれど、是非この真摯な姿勢を忘れないで、書き続けてほしいと思う。つかず離れずなノリで、石燕せきえんの『画図百鬼夜行』が引用されているのも、面白い試みだ。

 新進気鋭の覇気を感じさせる新しい怪談実話集に続いては、ついに、というべきか、ようやくにして……と称すべきか、約200余年ぶりに待望久しい邦訳が実現した、斯界の大古典を紹介しよう。

 19世紀初期ドイツの作家アーペルラウンの共著『幽霊綺譚』である(国書刊行会 識名章喜訳)。ドイツ本国では『幽霊の書』というストレートな書名でシリーズとして刊行されているが、一般にはフランス語訳のタイトル『ファンタスマゴリアーナ』のほうが、通りが良いかも知れない。

 ……といえば、察しのよい方なら、すでにお気づきだろう。そう、本書は1816年の6月某日、スイスはレマン湖畔のディオダティ荘に集ったバイロン卿や詩人シェリー、後にその妻となるメアリー・ゴドウィンらを、恐怖に震え上がらせた、曰くつきの怪談集なのである。このときの集いが切っ掛けとなって、後にシェリー夫人の名作長篇『フランケンシュタイン』や、バイロン卿の侍医を務めていたポリドリの短篇「吸血鬼」が誕生したのは、史上に名高い。

 ……にも拘わらず、今日まで肝心の原本の紹介が遅れた理由は、主に2つある。

 第1に、アーペルとラウンという両著者のネームバリュウの低さ。格調高い名作のみが重んじられ、大衆小説の書き手が軽んじられる傾向にあったドイツ文学史の世界では、共に地方出身の兼業大衆作家だった両者の名前は、これまでろくに知られていなかった。後続のホフマンやティークらドイツ・ロマン派の大物作家たちの活躍の陰に隠れる形となったことも、影響しているかも知れない。

 第2に、その内容。随所に暗い森や怖ろしい幽霊伝説を秘めた古城の廃墟が点在する、ゲルマンのお国柄を反映した物語。当時のドイツは民俗学研究(特に民話採集)の揺籃期であり、同時に、いわゆる心霊学への関心も高かった。そうした物語が、ほぼ同時代人であるバイロンたちの心胆を冷やさせたのは想像に難くないが、現代の眼から見ると、いささか時代がかって見えてしまうのは、致し方ないところか。翻訳にはかなりの苦心があったようだが、巻末解説の只ならぬ充実ぶりからも、そのことは察せられる。大労作!

 ドイツの次は英国へ。極めて個性的なアンソロジーを、もう1冊。英文学者・下楠昌哉の編訳による『妖精・幽霊短編小説集』(平凡社ライブラリー)は、〈『ダブリナーズ』と異界の住人たち〉という副題に明らかなとおり、全8章の各巻末に、ジェイムズ・ジョイス作品からの関連断章を配することで、同時代のグレート・ブリテンにおける「異界の気配」を浮かび上がらせることに成功している、斬新な試みのアンソロジーだ。

 ディケンズ「信号手」、ウェルズ「赤い部屋」、オブライアン「何だったんだあれは?」、ハーン「雪女」といった著名作と、ジョイス作品との意想外な関係とは? ある意味、極めて英文学者らしい着想のアンソロジーともいえるが、これは編者でなければ出来ない仕事。アンソロジストとして大いに刺激をうけたことを、表明しておきたい。

 最後はフランス。足立和彦村松定史(鏡花研究で著名な村松定孝さんの御子息の由)編著『対訳 フランス語で読む モーパッサンの怪談』(白水社)は、作者のこの分野における代表作たる「墓」「髪」「手」「オルラ」の4短篇を収録。右に日本語、左に仏語が掲げられ、それぞれの頁に「読解のポイント」と、詳しい語註を配するという親切な構成になっている。これによって、フランス語の素養に乏しい私のような初心者にも、何となく原文を読んだ気にさせる効果をもたらしてくれるところが、本書の美点だろう。

 また、随所に「幻想的なもの」「科学・怪奇・SF」「モーパッサンと幻想小説」といったコラム頁が設けられているのも、大いに読解の助けになるかと思われる。

 総じて、読者のことをよく考えた、丁寧な造りの解説書となっている点に、好感を抱いた。付録に、朗読CDまで付いている。