今月のベスト・ブック
『私の居る場所 小池真理子怪奇譚傑作選』
小池真理子・著/東 雅夫・編
角川ホラー文庫
定価792円(税込)
実在の魔術師アレイスター・クロウリーによる伝説の書物『法の書』の〈増補改訂版〉が、このほど初版と同じ国書刊行会から刊行された。今回は故・島弘之と協同して、初版〈翻訳編〉の邦訳にあたった植松靖夫による単独訳である。初版刊行時(1983年)にも世相を騒がせる様々な出来事が起きて、某『ムー』誌などで話題を呼んだものだが、今回も新訳刊行と時を同じくして、欧州で、すわ第三次世界大戦勃発か……と騒ぎになっているのは、皆さま御存じのとおり。なんとも人さわがせな霊告の書ではある。
ちなみにクロウリーは、魔術師/オカルティストだけではなく、創元推理文庫から訳本も出ている小説家でもあって、この神変不可解なる「難解な表現も多い散文詩」(巻末の「訳者解説」より)には、著者のそうした側面も大いに投影されているとおぼしい。ジミー・ペイジやD・ボウイら、現代のロック・ミュージシャンに与えた影響もまた絶大である(ちなみに別刷の栞には、西洋魔術研究家の江口之隆が、昨年NHKで放送されたクロウリー特番の裏話を明かしていて、なかなかに興味深いものがあった)。
角川ホラー文庫のアンソロジー〈小池真理子怪奇譚傑作選〉が、このほど発売された第2弾『私の居る場所』で、無事に全2巻(第1弾は、昨年11月発売の『ふしぎな話』)の刊行を終えた。
小池真理子流の『陰翳礼讃』ともいうべき『いとおしい日々』所収の幽玄なエッセイ3篇で幕を開け、本巻のメイン・テーマである〈家〉をめぐる傑作恐怖譚3篇──「幸福の家」「坂の上の家」「私の居る場所」の波状攻撃に加えて、本巻の隠れテーマ〈卓越した掌篇小説作家〉としての小池真理子の真価を示す愛すべき小品群、さらには「囚われて」「カーディガン」の2大号泣名作に巻末の偏愛エッセイ3篇……という、これでもか! とばかり詰め込まれた充実の1巻である。
そもそも、ホラー分野における作者の長篇代表作『墓地を見おろす家』(初期のホラー文庫を支え、ホラー・ジャパネスクのパイオニアとなった名作でもある)からして、慕わしい故地であると同時に、不穏な異界でもある〈家〉の妖しさを、存分に描き出していたわけで、これは作者の本丸というべきテーマでもあった。〈家〉が喚起する恐怖と魅惑の諸相を交々に味わわせる代表作集といってよかろう。1巻目の〈紅〉に続き、今度は〈紫〉に特化した伊豫田晃一の装画も素敵で、唯美的・耽美的な内容に、まことにふさわしいものとなっている。
小村雪岱といえば、戦前の装画家・広告意匠家として独自の境地を極め、惜しくも急逝する直前には、文豪・泉鏡花の右腕としても活躍するなどした人物で、近年、回顧展なども開かれ熱烈なファンも多い。
そんな雪岱好きの典型というべき真田幸治が、精魂を傾けた『おせん』復刻版(幻戯書房)が、先ごろ刊行された。これは作家の邦枝完二が昭和8年、東京朝日新聞夕刊に連載した長篇時代小説で、江戸美人の一典型として知られた〈笠森おせん〉を主人公とするモノマニアックな作品である。
雪岱の挿絵は、ときに江戸の浮世絵師・鈴木春信の世界を髣髴させるが、春信よりも遥かに超自然的で(!)、時にはどことなく、美しい化物めいた妖しい趣が漂う。『新小説版』から永井荷風と邦枝完二の序文を転載、真田自身の解説も付されて、万全である。原本は古書価も高く、なかなか手が出ないので、今回の復刊は待ち望まれたものだろう。鏡花ファンにも推奨したい、雪岱愛にあふれる好著・好企画だ。
寺田寅彦に師事して、〈雪の結晶〉の専門家としても知られた学匠エッセイスト・中谷宇吉郎の随筆集『雪と人生』が、角川ソフィア文庫から刊行された。「雷獣」とか「千里眼その他」とか、まさに〈おばけずき〉で知られた師匠譲りというべき、こちら方面の読者にも興味津々だろう題目が目を惹くが、コロナ禍を避けて現在、金沢の地に隠棲する小生にとっては、巻末に収められた「簪を挿した蛇」の1篇が、何より印象深かった。
これは著者の出身地である石川県の古都・大聖寺一帯に伝えられる怪異伝承をタイトルにしたもので、著者自身の言葉を引くと──「この小高い山は、その当時の子供たちの間には、全く人跡未踏の魔境であった。山は2段になっていて、頂上にはほんとうの城の趾(あと)があるという話であったが、そこは怖ろしくて、とても子供たちの行ける場所ではなかった。私などは6年間の小学校生活中に、一度もその城址までは登らなかった。そこには、簪をさした蛇だの、両頭の蛇だのがいるという噂があった。もちろん一つ一つに落城の伝説がからまっていて、子供たちは誰もそれを疑わなかった」……実を申せば大聖寺は、私にとって、石川県の中でも特にお気に入りの土地で、桜の季節など川沿いの並木道を、何をするでもなくボケーとほっつき歩いてみたくなる。以前、同地に伝わる『聖城怪談録』という百物語本の古典籍を素材に、地域の怪奇スポット探訪をしたことがあるのだが、江戸時代の家並どころか居住者(子々孫々ね)まで不変と知って、大感激したことがあるのだった! そんな懐かしい記憶まで、自然に行間から甦らせてくれる、達意の好エッセイ集である。