今月のベスト・ブック

装幀=大路浩実
カバー画=金井田英津子
挿絵=八ツ井舜圭

『岡本綺堂 怪談文芸名作集』
岡本綺堂 著/東雅夫 編
双葉社
定価3,300円(税込)

 

 円城塔の新刊2点が、このほど前後して上梓された。小泉八雲『怪談』の個人全訳(KADOKAWA)と、テレビ・アニメとして放送され話題を呼んだ『ゴジラS.P(シンギュラポイント)』の小説版(集英社)である。

 今からおよそ100年近く前に刊行された怪談文芸の大古典と、最新にして最先端の怪獣小説と……人によっては、この取り合わせ自体に不信感を抱きそうな気もするが、どうか騙されたと思って、この2冊を続けて読んでみていただきたい。まったくもって、呆れるくらい、違和感を覚えないに違いない。その理由は、作者のまなざしが常に前を向いて……まだ見ぬ不可視の未来へ向けて、虚心に開かれているからだろうと、私は思う。

 まずは『怪談』から。「訳者あとがき」から引用する。〈ホーイチはヘイケ・グレイブヤードでビワを激しくプレイし、オ・テイは生まれ変わって現れる。そうして、「JIKININKI」に登場する、ムソー・コクシとは何者なのか──極東のどこかに、こんなお話を伝えている国があるのだということに、胸が躍り、ときめいた〉

 これまで、数多くの翻訳者によって手掛けられた不朽の名作『怪談』の邦訳に、なぜいま円城が取り組むことになったのか……その答えがここに記されている。それも、期待にわくわくするようなノリで!

〈日本語読者はむろん、ダン・ノ・ウラを壇の浦と、ゲンジを源氏と置き換えて日本語読者の知る日本の話として読むことができる。「日本で当時語られていた怪談を読む」という目的を置くならば、そう読み進めることになる。しかし他方でこの作品を「当時の英語読者のように読む」ことも可能なはずで、その場合、また別の訳し方が可能だろうということになる。壇の浦を知らぬ者におけるダン・ノ・ウラは全く異なる光景でありうる〉

 なんたる発想の転換か……。

〈百年前、海の向こうで本書を読んだ人々の中で生み出された光景と、百年前を想像するわれわれの中に浮かぶ光景は意外に近しいものであるかもしれない〉──そう、この視点は、じつは2004年(八雲『怪談』出版から、ちょうど100年後)に生まれ(創刊特集は当然のごとく〈小泉八雲〉!)、18年まで続いた怪談専門誌「幽」の視点と、偶然にも軌を一にするものであり、だからこそ円城版『怪談』は「幽」で連載されなければならなかったのである!

 一方の『ゴジラS.P』は、アニメ版ではあえて語られることのなかったもろもろの背景が、AIのペロ2を語り手とすることで過剰なほどに溢れ出して、これまた興味は尽きない。発案者である円城が、どんなことを考えて、この前代未聞のプロジェクトに臨んだか……が、手に取るように分かって、面白いかぎり。

 ところで今月はもう1人、2冊の新刊(アンソロジーだが)を世に出した、物好きがいる。かく申す、小生である。岡本綺堂生誕150年を寿ぐ連続出版企画の2冊目となる、双葉社版『岡本綺堂 怪談文芸名作集』と、創元推理文庫版『日本鬼文学名作選』だ。

『怪談文芸名作集』は、単行本ハードカバーのアンソロジー。カバー画は、綺堂怪談が大好物とおっしゃる版画家・金井田英津子さんの描き下ろし──怪しいモノがにょろにょろ後をついてくる妖しい葬列が、田圃の畦道を百鬼夜行のひしめく森へ向けて進んでゆく……という、まさに綺堂怪談の神髄を絵解きしたような図柄である。一方の本文には、綺堂と同時代の画家・八ツ井舜圭による、『青蛙堂鬼談』『近代異妖篇』初出当時の雰囲気たっぷりな挿画を、まるっと再現してみた(せっかくのハードカバーだからね!)。

『日本鬼文学名作選』は、先に刊行した『吸血鬼文学名作選』と一対を成す、〈美しき鬼王〉酒呑童子が活躍する物語群を中核にすえたアンソロジーである。日本史の闇に君臨する〈永遠の反体制勢力〉たる鬼族の精華を愛してやまない加門七海と霜島ケイによる抱腹絶倒な対談「桃太郎なんて嫌いです。」や、野坂昭如、菊地秀行らによる酒呑童子物語、さらに巻末には、加門七海の現代語訳による『平家物語』「剣巻」(原文付き!)まで収録されている。鬼文学入門の書として、昨年ちくま文庫から上梓した『鬼 文豪怪談ライバルズ!』と合わせて御高覧いただけたら嬉しいかぎりである。

 最後は、『稲生いのう物怪録もののけろく』関連の鬱然たる大著を御紹介しておこう。すでに国書刊行会から『稲生物怪録絵巻集成』という好著を出している国文学者・杉本好伸の新刊『吉祥院本「稲生物怪録」──怪異譚の深層への廻廊』(三弥井書店)は、主に妖怪研究の分野で熱い注目を集めている稲生物怪録の、重要なルーツのひとつとされる(ただし同書は原本ではない、と著者は繰り返し強調している)、いわゆる「吉祥院本」について、〈近年何気に親しまれている吉祥院本の〈本文〉を改めて冷静に読み直すことによって、この“物語”の文学作品としての“おもしろさ”をこれまで以上に味読し、そもそもの原作者がどのような作品としてこの“物語”を創作しようと考えていたのか、といったことを、少しでも究明していきたいというのが、本書刊行の“目的”である〉とのこと。今はまだ幻でしかない物語の原作者を求めて……なんたるロマンティックな営為であることか!