今月のベスト・ブック

装幀=山田英春
装画=Cornelis Floris

『吸血鬼ラスヴァン』
バイロン、ポリドリほか 著/夏来健次/平戸懐古 編訳
東京創元社
定価3,300円(税込)

 

 悖徳はいとくの貴公子として著名なバイロン卿の侍医であり、「吸血鬼」と題する異形の短篇小説によって、19世紀の欧州全土にその名を馳せた青年ポリドリ……このほど、斯界の里程標となったこの歴史的名作が、新旧2種類の邦訳によって、同じ版元(東京創元社)から、ほぼ同時に(その差、なんと1ヶ月!)、ハードカバーと文庫版で刊行されるという快挙というか春先の椿事が、まったく偶然にも実現することとなった。

 しかも担当編集者は、どちらも小生にとっては、かたや〈赤江瀑アラベスク〉、かたや〈平成怪奇小説傑作集〉で御一緒した某さんと某々さんという……(笑)。さすがは吸血鬼が結ぶ奇縁と、感じ入った次第である。

 そうそう、肝心の書名は、かたや『吸血鬼ラスヴァン 英米古典吸血鬼小説傑作集』バイロン、ポリドリほか著/夏来健次・平戸懐古編訳/東京創元社)、かたや『吸血鬼文学名作選』須永朝彦、江戸川乱歩ほか著/東雅夫編/創元推理文庫)で、これまた(偶然にも!)何となく似通っている。お買い求めの際は、お間違いなく……というか、ヴァムパイヤ好きの貴女ならば、当然、2冊とも文句なく〈買い!〉でありましょう?

 さて、まずは『吸血鬼ラスヴァン』……ラスヴァンとは見馴れない名前だが、これは従来〈ルスヴン卿〉などと訳されてきた(『吸血鬼文学名作選』の佐藤春夫訳は、こちら)ポリドリ作品の主人公の名前である。夏来の解題によれば〈なお Ruthven の表記は古名では th が黙字となりリヴンが近いが、現代流布発音に近いラスヴァンを敢えて採った〉とのことである。〈近現代吸血鬼小説の嚆矢こうしとのみ捉えられがちだが、短い作中での悲劇美の創出や心理描写の迫力など、ゴシックからヴィクトリア朝文芸への前哨期を象徴する傑作として再玩味に価する〉とのこと。然り、然り!

 ちなみに、ポリドリ作品が、バイロンによる未完の謎めいた断片(同書では「吸血鬼ダーヴェル──断章」と銘打たれている)に由来することは有名だが、実はこちらも、両書ともに、並べて収録されており(『吸血鬼文学名作選』版では、南條竹則訳「断章」の訳題)、しみじみ奇縁という他はない(笑)。

 さて、『吸血鬼ラスヴァン』の主眼は、英米の『ドラキュラ』以前に書かれた吸血鬼小説(その多くは、これまで不当に埋没を余儀なくされてきた)の復権にある。同趣旨で編まれたアンソロジーの邦訳には、ピーター・ヘイニング御大の『ヴァンパイア・コレクション』(角川文庫)、マイケル・パリー編『ドラキュラのライヴァルたち』(ハヤカワ文庫NV)などがあるけれど、いずれも絶版で、本書の意義は大きいと云わざるをえない。

 とりわけ、新大陸を舞台に、不死身のゾンビーまでが躍動するダーシーの怪作「黒い吸血鬼──サント・ドミンゴの伝説」(1819=すなわち、バイロン&ポリドリと同年の発表だ!)、あのマリオン・クロフォードの実姉アン・クロフォードの浪漫的な「カンパーニャの怪」(なんという〈おばけずき〉姉弟か!)、そして巻末に据えられた(なんと篇中唯一の20世紀作品である)ヴィエレックのサイキック・ヴァンパイア中篇「魔王の館」あたりは、とにもかくにも必読。ラスヴァン卿からドラキュラ伯爵に到る憂い顔の吸血貴族の系譜ばかりが、ヴァンパイア小説ではない……という当然の事実を、12分に再認識させてくれる好著といえよう。

 一方、昨年、急逝された作家・歌人の須永朝彦さん追悼を謳う『吸血鬼文学名作選』は、右の〈愁い顔の吸血貴族〉の魅力が、これでもかとばかり強調された1巻。戦前・戦後の日本の文豪たちによる〈血を吸う鬼〉の物語の発見と、その妖しき魅力(とりわけ女性吸血鬼たちの暗躍ぶり)を、数多の名作・名訳を交えて紹介したアンソロジーである。

 実はいたって個人的に、今回のアンソロジーの密かな目玉と位置づけているのが、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲の短篇「忠五郎のはなし」だ。短篇集『骨董』所収の一篇だが、これは従来〈吸血鬼不在〉と考えられてきた我が国において、おそらくは唯一の吸血鬼譚と云いうる物語なのだ。八雲が依拠した原典は、当時『文藝倶楽部』のコラム「諸国奇談」に掲載された井関唖鶯の「蝦蟇がまの怪」で、要するに青年の精血を吸ったのは蝦蟇なのだが、女が若者を誘う龍宮城めいた水底の異界の陶然たる描写といい、まさにこれは、八雲によって見出されることを予期したかの如き、驚くべき物語である。ゴーチエの名作「クラリモンド」(『吸血鬼文学名作選』には、若き日の芥川龍之介訳を採用)の英訳者ハーンならではの一篇として、御注目いただけたら嬉しいかぎりである。

 ベトナム生まれの米国作家モニク・トゥルンの長篇『かくも甘き果実』(吉田恭子訳/集英社)は、その小泉八雲/ハーンをめぐる3名の女性(実母/最初の妻/二度目の妻)たちの個性的な独白と、それらを繋ぐ盟友エリザベス・ビスランドのハーン伝からの引用文より成る、迫真のノンフィクション。

 不朽の名著『怪談』を遺した直後に、異国の地で、心臓病により急逝したハーンの生涯を鮮やかに彩り、さまざまな名作の〈ミューズ〉ともなった3人の女性たち。彼女たちの〈声〉を通じて甦る、知られざるハーンの真実の姿とは……!?