今月のベスト・ブック

装丁=山田英春

『こっちをみてる。』
となりそうしち 著
伊藤潤二 絵
東雅夫 編
岩崎書店
定価1,760円(税込)

 

 先月号の本欄で、アーサー・マッケン自伝について紹介した畏友なんでふ先生が、ほぼ時期を同じくして、光文社の古典新訳文庫から『カーミラ レ・ファニュ傑作選』を上梓した……英国怪奇小説の代表作を、片端から新訳してやろうかという意気軒高ぶりは、まことに嘉すべきであると言わざるをえない。

 しかも今回は、文章難解を以て知られるアイルランドの巨匠レ・ファニュである!(この分野の専門家である下楠さんにでも、南條訳の御感想など伺いたいところだ……)収録作は、吸血鬼ものの初期傑作として名高い表題作をはじめ、「シャルケン画伯」「緑茶」「クロウル奥方の幽霊」等々の有名どころや初期のレア作品など、全6篇と手堅い。

 ちなみに「クロウル奥方……」は、既訳と異なる初期バージョンからの翻訳で、訳者自身が「炉端の物語が始まる情景が如何にも雰囲気たっぷりに描かれているので、こちらの方を訳してみたのです」と「訳者あとがき」でわざわざ付言している。一部引用すると、こんな感じである……。

「幽霊なの? わたし、ほかのどんな話よりか、それを聞きたいわ」

「それじゃあ」とジェナー夫人が言いました。「もし怖くなかったら、ここに坐って一緒にお聞きなさい」

「今ちょうど、初めてのお仕事で死にかけたお婆さんのお世話をした話をしようとしていたのよ」とジェナー夫人が言い足しました。「それに、そこで見た幽霊の話をね。さあ、ジョリフ夫人さん、まずあなたのお茶を入れて、それからお話を始めてちょうだい」 (中略)

 ジェナー夫人と可愛らしい少女は、どちらも厳粛な期待の眼差しで老女の顔をじっと見つめました。老女は呼び返そうとしている思い出に畏怖の念を感じているようでした。

 古い部屋はそんな物語にうってつけの場所でした。樫の羽目板が張りまわされ、古風でいかつい家具があり、太いはりが天井を横切り、四柱式寝台には黒いカーテンが掛かっていて、その中にいればいくらでも怪しい影を想像できそうでした。

 如何であろうか。さながら、漫画家・波津はつ彬子あきこさんの近作『お嬢様のお気に入り』にでも登場しそうな、いかにもなシチュエーションではなかろうか!? 最近の若手作家の新作ホラーに欠けているのは、こうした重厚で濃密な雰囲気づくりの妙だと思うのである。

 さて、先月号ではもうひとつ、驚嘆すべき出来事があった。なんと「海外ミステリー」担当の酒井さんが、今月のベストにM・ロウレイロの長篇『生贄の門』(宮崎真紀訳/新潮文庫)を選ばれたのだ。いわく、同書はホラーとして紹介されているが、その骨格は堂々たる本格ミステリーのそれ、であると。氏の主張は、ミステリー好きとしては当然で、大いに尊重されるべきものと思えるのだが、だからといって、同書に超自然要素が皆無かというと、全然そんなことはなくて、現に私は別の媒体で、同書はクトゥルー神話作品そのもの、とまで断言しているのである! 本誌の(ホラー系)読者にも、ぜひお見逃しなきように、お願いしたい。同書は、それこそマッケンやラヴクラフトの流れを汲む、ケルト幻想と宇宙的恐怖が、全篇にこれでもかとばかり横溢する物語なのだから!

 さて、今を去ること6年前……岩崎書店の〈怪談えほん〉シリーズの成功を祝して開催された「怪談えほんコンテスト」(最終選考委員は、宮部みゆき、京極夏彦と小生)で、見事大賞に輝いた、となりそうしちさんの受賞作『こっちをみてる。』が、恐怖漫画の巨匠・伊藤潤二さん渾身の挿画を得て、このほど遂に刊行された。なにせ人気絶頂の伊藤さんだけに、慣れない絵本製作は長丁場となることが懸念されたのだが、終わってみれば、思いのほか順調なペースで進展したなあという感が深い。御多忙のなか、全篇「油彩」による仕上げに拘られたという伊藤さんには感謝の言葉しか、ない。そして、受賞者のとなりさん、お待たせしました! この恐怖に満ちた絵本を、いよいよ世に広めるときがやってきました!(なお、詳しい選考経過については、「幽」最終号に選者3名の座談会が掲載されているので、御参照いただけると幸いである)。

 物語としては、これは、近世以来の〈人面疽〉ホラーの一典型といえよう。谷崎潤一郎に、その名も「人面疽」と名づけられた名作短篇があるけれども、映画業界のあれこれと人面疽の奇談をリンクさせた同篇に較べて、本書はより直截に、現代社会の真只中に、この怪異を投入して、まさに「世界が人面疽で埋め尽くされる」恐怖を、迫真的に描き出している。その際、遺憾なく発揮されているのが、『富江』をはじめとする代表作にも明らかな〈怖い顔〉の画家としての、伊藤潤2作品の妖しさだろう。本書には、その恐るべき真価が、遺憾なく発揮されているといって過言ではないが、先走って細部を明かしてしまうと、せっかくの純正恐怖に水を差すことになりかねないので、後は現物と向き合って、じっくり震えてください……と申し上げるに留めよう。最新最恐の怪談えほん、爆誕!