今月のベスト・ブック
『血腐れ』
矢樹純 著
新潮文庫
定価 693円(税込)
練達のミステリー作家の中には、ホラーの分野でも、大変巧みにお書きになる方が少なくない。松本清張や宮部みゆきは言わずもがな。阿刀田高や曽野綾子にも、たいそう印象的で忘れがたい恐怖短篇集があった。
人の心の暗がり……しかとは明示できないようなアンリアルでアモラルな領域に、ずいずいと筆を進めてゆくうえで、日ごろミステリーで鍛えられた力量が遺憾なく発揮されるということなのだろうか?
ミステリー界の新星・矢樹純の文庫オリジナルな短篇集『血腐れ』(しかしまあ凄いタイトルだ!)も、最新にして純度の高い、極上の恐怖小説集である。
2021年から24年にかけて、「小説新潮」誌上に発表された6篇を収める短篇集だが、冒頭の「魂疫」からして、いきなりガツンと喰らわされる。これはいわゆる「老々介護」の話だ。ちょいと余談めくが、人間60歳を過ぎると、友人知己との会話の中でもこの手の話題がやたらと多くなるし、ついつい盛り上がる。それだけ高齢化社会の現代において、切実な問題ということだろう……。
しかも「魂疫」においては、先年亡くなった主人公の夫の霊が、実妹(認知症を発症)のもとへやってきて、その唇に触れる……というのだから、これは只事ではない。果たして、その真相は? となるのだから、これはミステリーというより、純然たるホラーの領域である。その描写(夜の闇の中でうごうごと蠢き這いよる死者の魂! しかも周囲は「ゴミ屋敷」さながら……この恐るべき臨場感よ!)も、まことに実感を伴っていて、慄然とさせられる。
冒頭からコレである。予期せぬ拾い物だわい、と期待して読み進めてゆくと……奇妙な「縁切り」の御利益がある神社、撞くと天狗に攫われる禁忌の鐘、いじめられた死者の怨念が籠もる化粧爪……どの話にも超自然的な怪異現象が、しっかり絡んでいるではないの! ぜひとも練達のホラー・ファンにこそ存分に愉しんでいただきたい、粒ぞろいの好作品集である。
前述の『血腐れ』にも「呪物」という言葉が何度か登場して「おやおや……」と思ったが、こちらは「これでもか!」とばかり、まさに呪物オンパレードといった趣きがあるのが、貴志祐介渾身の最新長篇『さかさ星』(KADOKAWA)である。表題は安倍晴明でお馴染みの「逆五芒星形」のこと。吉兆と同時に、恐るべき凶兆でもあるこの曰く付きの神印を、さまざまな呪物で埋め尽くされた広大なお屋敷のどこかから見つけ出し消し去ることで、長者一族を根絶やしにしようとする累代の「邪」を祓おうと戦う若者の孤立無援(に、ほぼ近い)な奮闘ぶりを描き出す。
この種の話では、たとえ主人公は素人同然でも、たいていはオカルト知識に通暁した、海千山千な援助者がサポート役を務めるものだが、本書でその役割を担う女性霊能者は、ゆえあってクライマックスを前に前線から撤退、携帯電話による遠隔サポート(!)に徹することとなる。
これに対して敵方は、常人を遥かに超えた霊力を有する謎の首謀者に、パワフルな策謀を弄する女性霊能者、さらには(同じ作者の出世作『黒い家』を彷彿させる)意外なサイコキラーまで登場して、名家の一族を殲滅しようと虎視眈々と手ぐすねをひく。窮地に立たされた主人公の青年がとる、起死回生の一策とは!? 本当に最終ページまで巻を措くあたわざる面白さで牽引する、作者の膂力の力強さに圧倒された。
ちなみに本書においては、冒頭から幕切れまで一貫して、梅雨時の長雨が、物語を陰惨に覆い尽くしている。そう、同じ版元から出ている『秋雨物語』『梅雨物語』の連作において、作者が長いこと追求し続けてきた〈雨夜の怪異譚〉の、本書は重厚長大な決定版でもあるのだ! とりわけ『梅雨物語』所収の「ぼくとう奇譚」は、タイトルから連想される永井荷風の色っぽい世界とは、縁もゆかりもない昆虫世界奇譚(ちょいと『胡蝶の夢』の挿話を連想させる……)だが、実は『さかさ星』と表裏一体をなす物語であり、そのミニアチュール・バージョン(=胡蝶奇譚)といった趣きもある。両者を子細に読み比べてみることで、いろいろ発見もありそうなので熱心な貴志ファンには、併読をお勧めしたいと思う。
以前、「幽」誌上でも何度かお世話になった三好愛さんの絵本『ゆめがきました』(ミシマ社)が刊行された。
三好さんは、本業のイラストレーションだけでなく、すでに『怪談未満』など、独特の感性が活かされた、おばけエッセイ集でも知られている。本書もまた、とても個性的な、おばけ風の姿態をした「夢」たちが、夜みるこどもたちの想像世界に現れる話だ。
「ゆめどうしが くっついて
みんなで まちを ねりあるく」
ああ、こんな夢、昔、いつだったか、見たことあったよなあ……と、ウンウン思わず肯かされるような不思議な「夢の感触」が、ひたひたと伝わってくる。夢を具体的な形にして描くことのできる、稀有なる才能の持ち主だと思う。