今月のベスト・ブック

装丁=櫻井 久
写真=塩谷定好

『こっちをみてる。』
衣巻省三 著
山本善行 撰
国書刊行会
定価3,850円(税込)

 

 現在では「衣巻省三きぬまきせいぞう」という作家名を聞いて、すぐさま「ああ!」と思い当たる御仁は少ないだろうし、ましてや、その作品を実際に読まれたという方は、今となっては希少種に属すると言っても過言ではない。

 しかしながら、何ごとにも例外はあるもので、もしも貴殿が、稲垣足穂の熱烈なファンであるならば、「衣巻」の名前に、必ずや反応するに(たぶん)違いない。

 そう、衣巻省三の名は現在、あの稲垣足穂の中学以来の文学的盟友(ともに神戸の関西かんせい学院出身)だった人物として、タルホ自身の著作中でもしばしば言及されており、文学好きの間で、もっぱら忘却の淵から救い出されてきたのである。

 とはいえ、それは今の話。「詩人/小説家」としての衣巻は、いかにも神戸人らしい、ハイカラで尖った作風のモダニズム作家として、存命当時それなりの実績を有しており、第1回芥川賞の有力候補にノミネートされるほどだったのだ。

 本書は、そんな衣巻の、詩と小説における代表作を収めた作品集で、編纂に当たった山本善行が「この『衣巻省三作品集 街のスタイル』という背文字がまずは私の本箱に並び、そのあと新刊書店の棚に置かれ、いつの日か古書店の棚に落ち着くだろうことを想像すると、コツコツと衣巻を読んできた日々が懐かしく想い出される」と、いかにも古書・善行堂店主らしい率直な感慨を記しているが、この何ともマニアックな装幀・造本……一体どこの物好きが(笑)と版元名を見たら予想どおり国書刊行会であった……。

 さて、ここで本書を大きく取り上げたのには、然るべき理由がある。本書を読み進めて「小説」篇の1篇──すなわち「ポオの館」と意味深に銘打たれた作品に辿りついた私は、文字通り、愕然と天を仰いだ。

「こ、これ……道玄坂の化物屋敷の話じゃないの!?」

 そう、かつて私が何度か怪談小説アンソロジーに収録したことのある、佐藤春夫「化物屋敷」と稲垣足穂「黒猫と女の子」という両短篇の共通の素材となった、渋谷・道玄坂上の横町に、かつて鎮座していた3階建の料理屋──何かと不吉な霊的噂が絶えず、春夫をして「首くくりの部屋」と呼ばしめた名代の幽霊屋敷に関わるサイド・ストーリーを、なんとタルホのみならず、盟友の衣巻もまた書いていたのだった……。

 あの怪異譚の中には、衣巻たちの同僚で、精神に異常を来して奇行に走る友人が出てくるが、本篇はまさに、作者(=衣巻)の視点から、その友人の奇行が執拗に描かれているのである! 思えばタルホと親しく、春夫にも師事し、怪異の現場にも偶然居合わせた衣巻が、この未曾有の怪事件に取材した物語を手がけているのは、自然な成り行きだったのかも知れない。春夫とタルホの作品は、拙編著『文豪怪談傑作選・特別篇 文藝怪談実話』(ちくま文庫)に入れたので、御関心ある向きは御一読のほどを。3作を続けて読むと……思いがけない発見があるかも知れませんぞ。背筋がゾゾゾ~!?

 さて、怪奇小説の舞台は戦前の渋谷から、19世紀末の魔都ロンドンへ。夏来健次編訳『ロンドン幽霊譚傑作集』(創元推理文庫)は、大家ウィルキー・コリンズの隠れた名作「ザント夫人と幽霊」(かの江戸川乱歩が、いち早く注目した逸品として有名!)や、ネズビットの「黒檀の額縁」など、全13篇のかなりレアなヴィクトリアン・ゴースト・ストーリー(コリンズ作品以外は、すべて本邦初訳とのこと)を収録している。

 コリンズ作品もその典型というか変型だが、女性陣が不実な男性キャラに翻弄され、恨みを呑んで幽霊化……という筋立の作品が目立つのは、洋の東西を問わず、この時期の男性優位な社会風潮の反映であり、女性にとって霊と化して復讐することが、当時の英国幽霊譚における顕著な特色かも知れない。

 ネズビット作品後半の迫力ある展開や、有名なB・リットン卿「幽霊屋敷」の意外なアナザー・ストーリー(ローダ・ブロートン「事実を、事実のすべてを、なによりも事実を」)、哀感ただようモールズワース「揺らめく裳裾」などの佳品を収載。

 田辺青蛙・原案/岩田すず・作(絵)の『全国小学生 おばけ手帖 とぼけた幽霊編』(静山社)は、小学生を主要な読者対象とした、漫画絵中心の怖い話集。最近、いわゆる子供向けの「読み聞かせ」にも、精力的に取り組んでいるという田辺さん。そうした折に子供たちから直接取材したおばけ話も含まれている模様で、いまどんな怪談が子供たちに好まれているかが分かって興味深い。

 ただ、この作家の持ち味である、読者の予想を(良い意味で)裏切ってゆく意外な展開に乏しい点は、いささか物足りない感も。

 なお、4月21日に、石川県金沢市の県立図書館で「能登大地震復興」のためのチャリティ・イベントが開催されます。

 地元の少女漫画家・波津彬子さんと田辺さん、それに小生も加わっての「能登半島ふしぎ話」が繰り広げられる予定ですので、是非とも多くの方(特に県外の諸賢!)の御参加や御寄附を切望しております!

 半村良の名作『能登怪異譚』の話題なども予定しておりますので、御期待いただけたら……と思います。