今月のベスト・ブック

挿画=紗久楽さわ
装丁=園木彩

『夜と月の呪祓師じゆふつし 異聞深川七不思議』
水川清子 著
猿江商會
定価1,870円(税込)

 

 すでに10年近い昔のこと。〈深川怪談〉という風変わりなイベントが、大東京の東の果て、江東区深川の商店街で、毎年開催されていた。いや、「いた」ではなくて、コロナ禍を経た現在もなお、開催されて「いる」。ただし主宰するメンバーには大きな異動があって、かつては小生も、ひょんなことから、その一翼を担っていたものだが、現在の代表者は、この地で「猿江商會」という小さな出版社を営む、古川聡彦あきひこ氏である。

 私は2016年の夏に、猿江商會から『あやかしの深川』と題する、古今の深川小説と評論を併せたアンソロジーを刊行していて、その打ち合わせなどで、古川氏とも頻繁に顔を合わせる機会があった。そんな折々に氏から、深川の伝承に関心を抱く若い女性作家がいらして、いま一緒に本を作っている旨、聞かされて、大いに頼もしく思ったことだ。

 爾来、かれこれ10年、このほどようやく、その1冊が完成したとのことで、じっくり拝読させていただいた次第。すなわち、新鋭・水川清子の連作長篇『夜と月の呪祓師 異聞深川七不思議』である。

 副題にも謳われているように、本書は江戸時代ゆかりの〈深川七不思議〉を基本モチーフにして、作者自身の大胆な創意も随所に交えつつ、展開されている。その意味では、究極の御当地小説と言ってもよさそうである。作者は律儀にも、巻末の「謝辞」で、〈本作を書くにあたり、「深川七不思議浮世絵風木版画」(絵‥北葛飾狸狐、刷り‥三木淳史)から多くの着想をいただきました。また、「深川七不思議」(松川碧泉)を発掘し、現代に甦らせてくださった文芸評論家の東雅夫先生、登場キャラクターに繊細で優美な姿を与えてくださった紗久楽さわ先生に厚く御礼申し上げます〉と記しているが、「深川七不思議」自体は、江戸の講談本などでも再々ネタとされており、別に私が「発掘」したものではない(ちなみに「ああ、置いてけ堀の話ね!」というのは「深川」ではなく「本所」の七不思議なので、混同注意!)。

 さて、かくして生み出された新たなる「深川七不思議」物語だが、主人公となるのは、深川の古刹「呪安寺」(どのへんがモデルか、おおむね見当がつくが)を拠点とするイケメン「呪祓師」コンビの夜次と永月……呪祓とは耳慣れない言葉で、おそらくは作者の独創だろうが、死後も生者への怨恨を忘れず徘徊する異形のものたち=「呪穢」を、斬り祓う役目の「祓い手」と、霊を成仏させる「祈り手」の2人組から成る。ちなみに呪安寺には、かれらの他にも、お涼と火炎の年長美女コンビなども居て、こちらもなかなか艶っぽい、良い味を出しているのだった。

「深川七不思議」の特徴は、やはり同地の地理的特色でもある「橋」にまつわる怪異が多いことだろう。第1話のテーマでもある永代橋の落橋は、実際に起きた惨事で、事件に絡めた怪異も数多く囁かれたという。作者は、アッと驚く意外な顛末を加えることで、怪事件の深層に迫ると共に、呪祓師コンビの深層にも鮮やかなメスを入れている。人と妖異の中間に生きるものたちの憤怒と悲哀が、忘れがたい余韻を残すことだろう。

 気鋭の新人のデビュー作に続いては、斯界の大ベテランというか、もはや小説界の「至宝」と呼びたくなるような……我らが皆川博子の待望の新作長篇風配図ふうはいず(河出書房新社)のテーマは、なんと黎明期の〈ハンザ同盟〉……高校で世界史を取られた方なら名前くらいは御存知かも知れない、蒼古たる歴史上の出来事を、作者は、若い娘たちによる果敢な「闘いの物語」として、予想もつかない視点から描き出してみせた。

 そう、全くの偶然だが、性別こそ違え、こちらもまた、異形の〈バディ〉もの小説に他ならないのである。「決闘裁判」と呼ばれるいかにも荒々しい、北方民族ならでは、一神教の信者ならではの蛮習(これも実際に当時行われていたらしい)に則り、ヒロインの1人ヘルガは、むくつけき大男を相手に堂々と立ち向かう。その一挙一動を、克明に描き出す作者の筆づかいの素晴らしさよ!

 ちなみに本書には、もうひとつの、大胆不敵な「仕掛け」があった。各章の冒頭に、詩歌からの引用が掲げられ、しかも部分的に戯曲的な筆法が導入される……要するに本書ははなはだ異形な「うた物語」ではないのか!? そこには、かつて作者が数多の過去作で手掛けてきた、いささか奇異なる手法と趣向が、まことに自然な形で、活かされているように思われてならない。

 皆川といえば、もう1篇。ここで是非とも取り上げておかねばならない作品がある。ただしこちらは、長篇ならぬ掌篇だ。

『風配図』でも会心のデザインワークを展開している装訂家の柳川貴代が、皆川が河出の雑誌に寄稿した近作掌篇「香妃(シヤンフエイ)」を、まことに麗しく愛らしい造本に仕上げているのである(兎影館/発行)。

 くっきりと刻印された(今どき珍しい)活版印刷の文字……その連なりに、まったく引けをとらぬ、皆川の文章の膂力! ゆくりなくも私は、皆川の傑作初期掌篇「庭」の、あの懐かしい佇まいに酷似した、凜とした感動を、この1篇から受け取ったのであった。悠久の時の流れに、過ぎゆくもの、変わらないもの……思えばそれは、長篇伝奇『風配図』のテーマでもあるのではないか?