今月のベスト・ブック
『メキシカン・ゴシック』
シルヴィア・モレノ=ガルシア 著/青木純子 訳
早川書房
定価3,300円(税込)
英国幻想文学大賞(2020年初刊)をはじめとする海外系の主要な幻想文学賞を総ナメにした才媛による話題の長篇『メキシカン・ゴシック』が、思いのほか素早く邦訳された。〈ブロンテ姉妹、ダフネ・デュ・モーリア、シャーリイ・ジャクスンらの愛読者は必読だ〉(バズフィード誌書評)という帯の謳い文句に(彼女らに較べるとやや軽量級ではあるが)誤りは無い。
要するに、英米文学におけるゴシック・トラディションの幽暗な伝統の最尖端に位置する作品であり、その栄えある伝統たる〈呪われた館〉テーマを、メキシコの辺境を舞台に新たに展開させた意欲作でもある。
大都会メキシコ・シティでの華やかな社交生活に慣れた上流階級の娘ノエミ・タボアダは、電撃結婚のあげく、心身に変調を来したと危惧される従姉からとどいた手紙の真偽を確かめるべく、辺鄙な廃鉱の町へおもむく。山頂に立つ英国様式の城館には、地元民とは隔絶した生活を営む、かつての鉱山王の一族が、ひっそりと暮らしていた……。
「あれがそこにいるの。壁のなかに。わたしをがっしりつかんで放そうとしない」……従姉が幾度となく口にする、このいかにも〈おお、ゴシック!〉な薄気味の悪い台詞に、積年の英国怪奇党諸賢であれば、シャーロット・パーキンズ・ギルマンの名作短篇「黄色い壁紙」の残響を聴き取るに違いない。
そして何より、後半に至り、刻一刻と高まりゆく〈ある趣向〉については、作者の次のようなプロフィールが、大きく関係していることが察せられよう。──〈メキシコ生れのカナダ人作家・アンソロジスト。H・P・ラヴクラフト作品の女性をテーマにしたアンソロジー『She Walks in Shadows』の編集に携わり、2016年に世界幻想文学大賞を受賞。日本では『FUNGI──菌類小説選集』というアンソロジーが邦訳されている〉……詳しく書いてしまうと露骨なネタバレになりかねないので(笑)ごく控えめな云い方をすると、80年代生まれの作者のうちには、HPL経由で?きたてられたとおぼしい、Fungi(=異形のもの)への切なる憧れが息づいていると思われるのである!
かつて私は、モーリス・ルヴェルの短篇傑作選『夜鳥』(創元推理文庫版)の復刊に際して、この異色恐怖作家の短篇中に、あの『ドグラ・マグラ』の作者に相通ずる〈ぶぅーんとうなるような、蜂の羽音のような異音〉の描写を見出して、洋の東西の一致というか、なんとも不思議な感慨をおぼえたものだが、実はそれと類似した描写が、右の『メキシカン・ゴシック』にも登場していることに、まことに驚かされた。それも、極めて重要な局面で……。ああ、時を超えて受け継がれゆく、猟奇の魂よ!
さて、今回御紹介する『地獄の門』(中川潤編訳/白水社)は、そのルヴェルが発表した恐怖短篇群を、全篇新訳で収録した、編年式のオリジナル作品集である。編訳者が指摘するように、インターネットの発達と図書館サービスの進展によって、時の彼方に埋没していたルヴェルの短篇群が、こうして新たな復活を遂げるのは喜ばしく、大いに歓迎すべきことといえよう。
ちなみに、本書中の一篇「誰が呼んでいる?」は、〈ルヴェルの短篇小説では最も長い作品のひとつであり、全編に怪奇と恐怖が横溢している〉と編訳者も「あとがき」で折紙をつけている作品なのだが、これまた驚いたことに、なぜか『メキシカン・ゴシック』と奇妙に相通ずる怪異現象を描いていて、一驚を喫した。まあ、それだけ『メキシカン・ゴシック』という作品が、〈閉塞した館の中で起きる恐怖〉という、たいそう普遍的な主題を、正面から描いているということになるのかもしれないのだが……。
遠藤周作の『怪奇小説集』といえば、私なんぞは古い講談社のロマン・ブックス版で何度も読み直した(当時は類書も少なかったのだ!)基本図書の一種だが、最近になって角川文庫から2巻本で復刊され、新しい読者の関心を集めているらしい。まことに嘉すべきことである。
そして、このほど日下三蔵氏の蒐集・編纂による3冊目の『怪奇小説集 恐怖の窓』(角川文庫)が、上梓されるはこびとなったことは、〈よ、待ってました!〉と声のひとつも懸けたくなる嬉しい出来事で、編者が解説で記しているように「この3冊で、遠藤周作のミステリ、サスペンス、ホラー、奇妙な味のジャンルに属する短篇は、ほぼすべて読めるはずである」のだから慶賀に堪えない。
就中、パート1の最後に置かれた「枯れた枝」は、周作恐怖譚の幕開けを告げた名作「蜘蛛」と微妙に一対を成す物語で、語り手の友人である動物好きの詩人が、ガラパゴス島で発見した〈唾を吐きかけたような灰色のものが先端についた枯枝〉を東京に持ち帰り、知り合いのホステスにプレゼントしたところ、実は太古の毒蜘蛛の卵のようで……という、どことなく『ウルトラQ』を思わせるような古代愛好趣味の話(発表は1971年なので、ウルQのほうが先。折からの怪獣ブーム真っ盛りの時期だ)。作者の幅広い関心の所在を窺わせるような好短篇である。ほかに、その『蜘蛛──周作恐怖譚』あとがきや「幽霊屋敷探険記」などのエッセイまで、抜かりなく収めているところが、さすが編者である。