今月のベスト・ブック

装画=かときちどんぐりちゃん
装幀=横須賀拓

『とつこ』
かときちどんぐりちゃん 著
信陽堂
定価 1,980円(税込)

 

 能登の震災・豪雨と東日本大震災……たまたま近年の日本を襲った2つの大災害と間近に接する巡りあわせとなった私だが、とりわけ後者に関しては、今もその記憶はナマナマしい。

 これには震災直後に、仙台を拠点とする地域出版社「荒蝦夷」社主の土方正志さんに案内されて、津波の惨禍を被った東北各地の被災地を経巡へ めぐったことが、大きく関係しているように思う。海沿いから山側まで、削り取られたようにポッカリ空白となった凄まじい光景は、今でも脳裡をかすめる。

 このほど信陽堂という小さな出版社から上梓された『とつこ』という本を読んで、東日本大震災はまだまだ終わっていない……ことを、改めて強く実感させられた。

 

「かときちどんぐりちゃん」という変わった著者名の作品集である本書は、形としてはコミックなのだろうが、絵と文章とが相まって一読、曰く言いがたい味わいを生み出している。版元は作者のことを「語り部」と呼んでいるが、確かにここに収められた6篇の小さな物語には、震災によって平穏な人生を狂わされた人々の、悲哀と憂いと静かな憤りが漲っていて、忘れがたい感銘へと読者をいざなってやまない。

 

 冒頭の表題作は、こんな話だ。

 

 坂の上に建つ保育園に、毎日のようにやって来る老婆。「ばばちゃん先生」と呼ばれる彼女は、同園の元園長で、今は認知症が進んで麓の公営住宅で暮らしている。日課の昼寝をする園児たちに交じって、老婆も眠りにつき、やがて泣きながら目を覚ますと、トボトボと元来た道を戻ってゆく。

 

 ここから物語は、一気に、にわかに、超自然の色合いを深める。

 

 園児たちは証言する。「ばばちゃん先生」と眠ると、みんな決まって、共通した夢を見る。そこには不思議な姿をした動物が出てきたり、死んだはずの犬や、津波で亡くなった身障者の少女が出てくるという……。

 その動物は、地元で「権現さま」と呼ばれる獅子舞の獅子頭であり、園児たちは「ばばちゃん先生」の夢を共有していたのだ!

 獅子頭をかぶった1人の園児(そんな子、園児の中にいたっけ?)に先導されて、子供たちは園の屋上に置かれた不可視の大凧に乗って天空に遊び、そして「ばばちゃん先生」も……。

 

 こ、これは一体、どんな話なのだ!?

 まるで「風の又三郎」ではないか? さすがは本場・東北!

 

 他の収録作も、いやあ泣かせること泣かせること。もう涙腺大決壊だった。「盛岡在住の語り部」かときちどんぐりちゃんに注目せよ! ちなみに氏の本業は「音楽療法士」だそうな。

 

 ある日突然、英国ロンドン近郊の田舎町で不思議な騒動が起きる。巡回動物園から1頭の雌ライオンが逃げ出したのだ!

 ところがドッコイ、それはこの奇妙奇天烈なる「神学的スリラー」にして「形而上学的ショッカー」と銘打たれた本書、『ライオンの場所』チャールズ・ウィリアムズ著、横山茂雄訳、国書刊行会)の、ほんの序章にしか過ぎなかった。突如、威風堂々と出現する雄ライオン、モスラさながら出没する巨大な蝶、翼竜さながらの怪鳥、さらには奇怪な「天使」たち……どうやらそれらは、理想の「元型」が現実世界へ侵攻を開始する、恐るべき前触れであるらしい……。

 

 なるほどこれは、たとえ思いついたとしても、普通ならば「言語化不可能」と諦められても可笑しくない、不思議な物語だろう。それを曲がりなりにも1編の首尾一貫した長篇作品に仕立て上げた、作者の恐るべき(驚天動地の)膂力には真に敬服のほかはない。なるほど、ところどころ物語は難解を極め、ハッキリ言ってワケが分からなくなる部分もあるけれど、(屋内に唐突に出現する断崖絶壁とかね)「語りえぬモノ」を敢えて語ろうとする作者の心意気に感じて読み進めるうち、未曾有の読書体験を得ることができる。

 

 ああ、しかし……雑誌「幻想文学」の第12号「インクリングズ」特集に本書の部分訳「家のなかのあな」が掲載されて以来、実に40年ぶりに実現した、このたびの完訳版には当時の編集長として、翻訳者の横山茂雄さんに、ただただ「お疲れさまでした」とこうべを垂れるほかはない。幻想文学という「本来、語りえないものを物語る」行為の原点を顧みるうえでも、一度は体感していただきたい不朽の名作である。

 

 このところ、何故か同時多発的に出現している、現代版の「人魚」物語を、面白く読んでいたら、今度はノンフィクションまで登場した。髙橋大輔『日本の人魚伝説』(草思社)は、従来の類書とは異なる角度から、この謎多き存在の真実に迫った力作である。

 

「伝説」の現場に身を置くことで、そのリアルを実感しようとする著者は、やれジュゴンだのアザラシ・アシカだの、リュウグウノツカイだの、オオサンショウウオだのといったモデルとされる動物たちの所説を検証して、グイグイとその真相に迫ってゆく。最後にアッと驚くタネ明かしが控えているが、これは「今」だからこそ書き得た貴重なルポルタージュだろう。UMA=滅びゆく存在への警鐘としても興味津々の、まことに鮮やかな一書となっている。