今月のベスト・ブック

装幀=山田英春

『人狼ヴァグナー』
ジョージ・W・M・レノルズ 著/夏来健次 訳
国書刊行会
本体5,280円(税込)

 

 前回、ちくま文庫の〈文豪怪談傑作選〉の話から始めたけれども、実は今回も最初に同叢書の話題を振らねばならない。というのもこのほど双葉文庫の〈文豪怪奇コレクション〉シリーズから上梓された『耽美と憧憬の泉鏡花 小説篇』は、二〇〇六年にちくま文庫から出た『文豪怪談傑作選 泉鏡花集 黒壁』の待望久しき復刊だからだ。前書は第四刷まで増刷したものの、遺憾ながら絶版になっていたのである。

 実に初刊から十五年ぶりの復刊ということで、編者としては歓びに堪えない。というのも本書のセレクションは、編者のマイ・フェイヴァリット・鏡花作品にして、すべて初文庫化作品……という仕掛けを含んだものだからだ。近年、某岩波文庫さんの頑張り(まあ実質的には泉鏡花研究会さんの頑張り、だけれども)によって、かなり改善されたとはいえ、鏡花の文庫化といえば『高野聖』か『婦系図』か『歌行燈』の時代が、永らく続いたのだった。特に超自然性が前面に出た傾向の作品ほど、鏡花本来の持ち味にも拘わらず、不当に等閑視されてきた感は否めない。

 本書は、前半に鏡花流モダン・ホラーというべき不気味なタイプの作品を、後半には故郷金沢などを舞台とする懐旧趣味の作品を、それぞれ収録している。とりわけ冒頭の「高桟敷」は、かつて都内随一の暗黒街(狭い谷間に低所得層が肩寄せ合って暮らす貧民街)として知られた、四谷の谷町付近を舞台とする〈幻影の街角〉の物語で、数ある鏡花作品の中でも、我が鍾愛の一篇といってよい。

 卒塔婆が夜風に揺れる、妖しい谷底の街の風光に、柳亭種彦の読本『逢州執着譚』ゆずりの風情──木の間隠れの怪音、蛇獲り人、謎めく美女──が重ね合わされる怪美な趣向には、何度読んでも唸らされる。

 一方、鏡花初の怪談小説「黒壁」や、その名も「遺稿」と題された事実上の絶筆作品における、謎めいた風趣もまた、味わい深い。多彩な「読み」を可能にする一巻として、今後も読み継がれて欲しいと願ってやまない。

 そんなこんなで、久方ぶりに種彦の『逢州執着譚』にうつつを抜かし、次に手に取ったのが、このほど国書刊行会から上梓されたジョージ・W・M・レノルズの大長篇『人狼ヴァグナー』(夏来健次訳)だったのだが、この並びで読むと、まさしくこれは、荒俣宏が同書の推薦帯文で謳う〈日本でいうなら、まさしく、山東京伝の黄表紙・曲亭馬琴の合巻にあたる〉英国ペニー・ドレッドフルの怪奇残虐色恋陰謀世界! であることを実感。

 冒頭いきなり〈嵐含みの暗い夜、四方で雷鳴がとどろき、稲妻が短い間合でまたたき光り、風は突発的断続的に荒々しく吹きすさぶ〉云々と、まことに由緒ただしきドレッドフルな味わいに始まり、人狼誕生秘話が語り出されるかと思えば、次章では舞台はガラリ変わって、メディチ家ゆかりのフィレンツェに移り、高貴な御家騒動の一幕となる……。

 人狼小説の一嚆矢と目されながら、二十一世紀に至るまで、なぜか正当に評価されることもなく埋もれていたこの大著に目を留め、膨大な原著邦訳の労を執り、あまつさえ自ら国書刊行会に持ち込み売り込むという、訳者夏来氏の無償(に等しい!?)の努力に、大いに敬意を表する次第。また、右の引用部分をみても明らかなように、その訳文は平明で、現代日本の読者にも、抵抗感なく受け容れられることと思われる。

 しかしまあ偶然とはいえ、本書に続いて、ラドクリフの鬱然たる大著『ユードルフォ』が訳出されるとは! つくづく恐ろしい時代になったものである……ゴシック叢書の悪夢よ、ふたたび……桑原桑原。

 二〇二一年五月十五日、須永朝彦氏没。享年七十五──永らく体調が優れず、周囲の人間を心配させていた須永朝彦氏が、とうとう帰らぬ人となった。その晩年、担当編集者として有形無形の援助を惜しまなかった国書刊行会のI元局長氏から、いきなりかかってきた携帯電話で突然の訃報を知らされた私は、事態の余りの急展開に言葉もなかった。

 なにぶん蟄居先が遠方のため(長野県千曲市)、詳しい事情が判明するまで時間がかかったが、追悼の意をこめた雑誌特集と文庫版小説集が、思いのほか速やかに上梓されることとなったのは、せめてもの幸いであった。

 すなわち──『ユリイカ 二〇二一年十月臨時増刊号 総特集 須永朝彦1946-2021』(青土社)および、山尾悠子編『須永朝彦小説選』(ちくま文庫)である。

『ユリイカ』の増刊特集は、生前の須永氏と関わりのあった方々を中心に、もっぱら韻文系の書き手が多い印象。私も毎回顔を出していた〈俱楽部トランシルヴァニア〉の常連陣が(かつては月イチ・ペースで、明石町のマンションに集まっていたのだ……大の男が幾人も!)、揃って寄稿しているのは、一種の奇観だろう。吉村さん服部さん、なんでふ氏らの文章に、素顔の須永朝彦がくっきりと立ち現われて印象深い。最初期の須永さんを御存じの高橋睦郎さんのインタビューも、なかなかに味わい深い。『須永朝彦小説選』は、『就眠儀式』や『天使』『悪霊の館』といった作品集から数篇ずつ、代表作を選ぶとともに、晩年、御当人が単行本化を望んで果たせなかったという『聖家族』連作も初めて文庫収録されている。『幻想文学』の乱歩特集に掲載の奇作「青い箱と銀色のお化け」も。