今月のベスト・ブック

装幀=坂野公一+吉田友美(welle design)
『怪談ルポ 死の名所を歩く』
花房観音 著
二見書房
定価 1,760円(税込)
正直言って、近年の新作怪談本、とりわけ「実話」ものに関しては、どれもまあ~見事に似たり寄ったりで、困ったものだな、と思っていたのだが(笑)、花房観音の新刊『怪談ルポ 死の名所を歩く』(二見書房)は、さすがに一味も二味も違った面白さで惹きつけられた。
その「まえがき」に曰く……あるとき、某繁華街を歩いていた著者は、胸部に只ならぬ異変を感じて、救急車を呼んでもらい病院へ直行、「心不全」のため、一時は心臓がほぼ機能停止状態(!)に陥っていたという。幸いにも処置が迅速だったため、一命をとりとめて、「死にかけ」から一転、こうして怪談系の新刊まで刊行するに至ったのだから、まずは目出たいといえるだろう。
実は花房さんの奇禍から数か月後、かく申す私自身(60代後半)が「心筋梗塞」で、救急車のお世話になる事態に陥ったのだ。全くもって他人事ではなかったのである。
夜間、某誌の編集者と電話で打ち合わせ中、尋常でない胸苦しさに見舞われた私は、相手に現状を報告。仕事柄、こうした事例に慣れているらしい編集さんの機転で救急車を呼んでもらい、何とか、事なきを得たのだった(救急車で急遽、運ばれた「聖路加」は一度、実地に見物してみたいと思っていた病院だったしなあ)。
実は心臓疾患の数か月前に「脳内出血」、数か月後に「下腹部疾患」を患うという惨状で、医師に「患部がヤバければアンタ、3回死んでたよ」と呆れられる始末。いやあ、中高年の皆さん、体調管理には、くれぐれも気をつけましょうね!
さて『死の名所を歩く』の話に戻るが、これは和歌山の「三段壁」や福井の「東尋坊」など、自殺の名所として有名な観光地や、池袋や高島平など、これまた自殺者続出でかつて話題になった曰く付きの場所を、著者が自身の足で歩いたルポルタージュ。
実際には、そんなに「怖い」リアルなエピソードが続出するわけではなくて、むしろ、「私は、若い頃にずっと死にたい、死にたいと願っていて、結局死にきれず、またコロナ禍でさまざまなことが重なって、再びうっすらと『死んでもいいかな』なんて考えがわき上がっていたところ──心不全で死にかけてしまった。死を選択する前に、死に選択されてしまった」
……という著者の酷烈な「希死念慮」のほうが怖ろしいと思うのだが、「自殺の名所」の意外な現在を知る上にも一読をお勧めしたい好著である。
幽霊の次は妖怪系を。こちらは、ヴィジュアルな豪華本である。
近世文学の研究者として活躍している近藤瑞木編著の『筑前化物絵巻』(河出書房新社)だ。福岡の旧家で発見された珍しい妖怪絵巻の初書籍化で、40体以上の新種妖怪を収録。テレビの「開運! なんでも鑑定団」で紹介され、お化け好きの間で話題となった。
一見すると「怪獣図鑑か?」と早合点するような、見たこともない異形のもののオンパレード! いやあ、これは眼福。編者による詳しい本文の翻刻が添えられているのも、良い。短い帯文を寄せている京極夏彦の「化け物か、奇譚か」に、全てが尽くされていると言えるだろう。
一風変わったヴィジュアル本を、もう1冊、御紹介しよう。
丸田祥三『廃線だけ 平成・令和の棄景』(実業之日本社)は、廃線(廃止された鉄道線路)の撮影に、尋常ならざる執念を燃やしてきた、異色の写真家による久々の新刊。
これまた「妖怪」や「自死者」と同じく、気がつけば消えて無くなってしまうような、廃棄された線路や駅の痕跡を辿った写真集だ。一度は栄華を謳歌しながら、ふたたび自然の中に埋没しようとする廃路線の「断末魔」を、著者は渾身の配慮のもと、記録に留めようとする。その背後に秘められた、無償の情熱に打たれてやまない。
最後は、近未来の「もうひとつの」現実と不思議な異世界を往還して繰り広げられる、翻訳小説を。
SF・サイードの『タイガー』(杉田七重訳/東京創元社)は、「ブリティッシュ・ブック・アワード」の最優秀児童書賞を受賞した長篇で、全編にわたり英国の奇才デイヴ・マッキーンのイマジナテイヴな装画全点が収められている。
なぜ横組みの本? と思ったのだが、嗚呼そういうことね!
舞台は21世紀の英国。いまだに「大英帝国」が続いている、重苦しい閉塞状況下にあるこの国の陋巷で、「アダム」という名の少年が、遠い昔に絶滅したはずの一頭の動物「タイガー(トラ)」と出逢う。
ロンドンに隠れ潜む虎は、少年に、世界の秘密に通ずる「鍵」となる「扉=物語」を啓示するのだが……。
やがて少年は、ひとりの少女「ザディー」と出逢い、傷ついた虎を癒し、「ガーディアン」となって、敵対する恐るべき勢力と対峙することを誓うのだった。
不思議なテイストの、マッキーンの影絵風な装画の数々も、今世紀のロンドンでありながらロンドンではない、奇妙な世界の消息を、うまく伝えているように思われる。