今月のベスト・ブック
『ビロードの耳あて イーディス・ウォートン綺譚集』
イーディス・ウォートン 著
中野善夫 編訳
国書刊行会
定価 5,280円(税込)
最初に読んだ作品の印象が、あまりに強烈で、以後永らく「誰それといえば……某作の著者だ!」と、否応なく初体験作品を想起してしまう作家がいる。
私にとっては、米国出身の人気女性作家イーディス・ウォートンなどその代表格で、ウォートンといえば、幽霊小説の名品「あとになって」が、真っ先に懐かしくも思い出される。
ウォートンには『イーサン・フロム』をはじめとする長篇普通小説の代表作が日本でもかつてはそれなりに知られていたけれども、私にとってウォートンといえば、創元推理文庫の『怪奇小説傑作集』第3巻に収録されていた佳品「あとになって」の印象が何より鮮烈だった。
これは「幽霊好き」の米国人夫婦が、ひょんなことから資産に恵まれ、それこそ幽霊の出そうな英国の片田舎に移住する話。地元民に「確かに幽霊は出るけれど、それはあとにならないと幽霊だとは決して分からない……と教えられ、実際そのとおりの結末を迎えることになる……という、ミステリアスで怖ろしい話である。
ウォートンは、如何にも理知的な女性作家らしい細やかな筆遣いで、ともすればややこしくなりがちな事の顛末を、実にテキパキと描き出していて、英国の伝統的な幽霊譚など縁遠いはずのわれわれ日本の読者(要するに私のことだが……当時、小学校6年生)も、思わず話の流れにグイグイと引き込まれてしまったのだった。
これまでヴァーノン・リーやマクラウド&シャープなどの充実した幻想小説集を手掛けてきた中野善夫氏の編訳15作品から成る『イーディス・ウォートン綺譚集』が、このほど国書刊行会から上梓された。
もちろん、右の「あとになって」や「眼」「惑わされて」など既訳のある幽霊譚の代表作も抜かりなく収録されているのだが(ウォートンの怪奇小説を蒐めた作品集は、米本国などでも出版され、現在も愛読されているようだ)、中野氏は「訳者あとがき」で次のように述べている。
さらに、未訳の作品に優れた幽霊小説がまだいくつもある。そういう作品をまとめて1冊にすれば、ウォートンの幽霊小説をまた新たな読者に提供できるに違いないと思って準備を始めたところ、幻想でも怪奇でもない、変わった味わいの作品が多いと気づいて収録対象の範囲を広げることにして、このような作品集になった次第である。
この方針は、私のようなややすれっからしの怪奇読者にとっては、大いに歓迎すべき趣向であり(ありていに言えば、現在の自分の年齢に見合っているというべきか……)、ついつい(自分の純粋な愉しみの読書のために)例えば神吉拓郎のような、それこそ「幻想でも怪奇でもない」短篇集に手を伸ばしてしまう読者にとっては(笑)、まことにお誂え向きの趣向であったと思う。
しかもウォートンの場合、こうした幽霊の出ないような「変わった味わいの作品」に、とんでもない傑作が含まれていることがこのほど本書によって実証されて、大いに我が意を強くする結果となった。
砂漠の中の異教徒の廃墟で好んで暮らす、奇矯な英国人研究家に招かれて異国の地にやってきた同胞青年が孤独の裡に見舞われる、世にも怖ろしい出来事を描き出すハイレベルな恐怖譚「一瓶のペリエ」など、まさにその典型だろう(この物語、とある「井戸」が重要なモチーフとなっている点、『皿屋敷』から『山海評判記』を経て『リング』に至る、本朝怪異譚の系譜とも微妙にリンクしていて、興味深いこと、このうえない!)。
ほかにも表題作の「ビロードの耳あて」や「満ち足りた人生」など、読了するまで話がどこに転ぶか分からない(!)、なるほど「幻想でも怪奇でもない」逸品(しかし広義の幻想文学作品ではあると思う)が連なっていて、圧巻であった。小説を読むことが三度の飯よりも好きなタイプの皆さんにこそ、じっくり腰を据えて堪能していただきたい、まことに重厚濃厚な1冊である。
今月は国書刊行会からもう1冊、やや異色の海外文学作品が訳出されているので、忘れずに紹介しておきたい。昨年度のノーベル文学賞を受賞したノルウェーの作家ヨン・フォッセの長篇『朝と夕』(伊達朱実訳)だ。「使用人口の少ない公用語ニーノシュクで執筆する作家としては」史上初となる受賞とのこと。そして(わざわざ私が本欄で取り上げていることからもお分かりのように!)本書(のとりわけ長大な第2部を占める「死」)は、堂々たる幻想文学作品なのであった。
日本では無名に近いフォッセだが、現代演劇方面に明るい方ならば、代表作のひとつでサミュエル・ベケット作品と比較されることも多い『だれか、来る』が、すでに邦訳されていることを御存知かも知れない。
本書の帯ウラにも「言葉にすることはできない、それは言葉より哀しみに近いものだから」とあるが、ノルウェーの某老漁師の「特別な一日」を活写した本書に、私は日本幻想文学研究の先覚者・伊藤整の名作「幽鬼の街」に一脈通ずる趣向を見出して、とても面白く感じた次第である。