今月のベスト・ブック

『押川春浪幽霊小説集』
押川春浪 著
国書刊行会
定価2,640円(税込)

 

 怪談専門誌「幽」の編集長を拝命するまでは、怪談のヒガシさん、じゃなくて、季刊雑誌「幻想文学」のヒガシさん、と呼ばれていたワタクシですが(なにせ超マイナー誌にも拘らず、えんえん21年間、続いたのだった……いや我ながら気の長い話/笑)、当時は日本幻想文学史の再構築に、わりと本気で取り組んでいて、特に明治期の、今ではなかば忘れられた文学者のことも、再々、誌面で取り上げていた。

 その筆頭格のひとりが、押川春浪──今では東宝特撮映画の名作『海底軍艦』の原作者として知られるが、往時にあっては、明治の「ムー」とも称される人気雑誌「冒険世界」さらに「武侠世界」の主筆として活躍、文学とスポーツの両面で後進の育成に努めた。

 春浪というと、冒険SFの開祖というイメージが強いが(大河ドラマ・ファンなら『いだてん』のバンカラ集団「天狗倶楽部」を想起するかも……)、実はオカルト怪奇系の開祖でもある。あの海洋怪奇小説の鬼W・H・ホジスンの短篇を、いち早く紹介した先覚者でもあるのだ。そのへんのことは、「幻想文学」18号の明治幻想文学特集などでも紹介していて、春浪の海外ネタの怪奇小説を1冊にまとめた本を作ればいいのに、とっくに版権も切れてるんだし……などと勝手に夢想したものだが、このほどようやく、『押川春浪幽霊小説集』として、年来の夢が実現することになった。やれ、めでたやな!

 内容は、春浪先生の世界ゴースト巡りといった趣もある名著「万国幽霊怪話」を巻頭に「幽霊旅館」「黄金の腕環」「南極の怪事」「幽霊小家」の全五篇に、大町桂月「酒に死せる押川春浪」、横山健堂「余の見たる押川春浪」という追悼文2篇を併せ収め、巻末には春浪関係年譜を付すという、充実の布陣。日下三蔵氏あたりが編みそうな本だが、編著者はどなた……と探したが、特に記載はなくて、国書刊行会のクレジットのみだった。

 まあ、今から原本を探して購入するとなったら、えらい手間暇資金が要ることゆえ、このたびの復刊は、まことに悦ばしい。近来めずらしき怪事、じゃなかった快事なり、と申し上げておこう。

 天狗倶楽部といえば、過日、ひさかたぶりに『伝奇ノ匣4 村山槐多 耽美怪奇全集』を読み返していたら、あの駆け抜けるようにして短い一生を終えた槐多が、天狗倶楽部一行の旅行に同行し、挿画付きの紀行文を残していたことに気づいて、しばし黙然。そういえば春浪も38歳の若さで早世していたな、槐多も春浪も若い身空で……ちなみに槐多の出世作となった怪奇小説「悪魔の舌」の初出は「武侠世界」なのだった……。

「天狗」といえば、こちらの新刊も、天狗絡み。東郷隆の長篇『妖変未来記』(出版芸術社)は、かの聖徳太子が著したとされる、日本最古の伝説の予言書『未来記』をめぐり、鎌倉末期の京の都で、公家方、武家方入り乱れての奇怪な争奪戦が繰り広げられる物語。主人公の「犬飼い」の少年、通称・二郎は、ひょんなことから、異国から渡って来た大天狗「是害坊日羅ぜがいぼうにちら」に師事することになる。

 やはり是害を師と仰ぐ修験者の千日坊や怪僧・文観もんかん、後醍醐帝と愛妃・阿野廉子あのれんし、さらには名将・楠木正成までが参戦して、虚々実々の争奪戦が繰り広げられてゆく……。

 先日、大団円を迎えた大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をご覧になっていた方ならば、鎌倉幕府の草創期と衰退期を、合わせ鏡のように重ね合わせた作者の奇計に、お気づきになることだろう。そして随所に差しはさまれる作者ならではの濃厚なオカルト風味……天狗由来の幻術や、やがて「能楽」へ収斂してゆく非農耕民たちの妖術、なにより、稀代の魔道書(と呼んでもおかしくない傍若無人っぷりなのだ!)『未来記』そのものの不思議さに、興趣は尽きないことだろう。

 山尾悠子『迷宮遊覧飛行』(国書刊行会)は、500ページにわたる大著だが、これが意外や初のエッセー集。

「何しろ、20代から60代までに書いた小説以外の文を(強引にも)1冊にまとめた訳であって、途中の30代から40代半ばまでは休筆期間で空白。このような内容・構成のエッセイ集というのも滅多にないことと思います」と、著者みずから「後記」で開き直って(あ、いや、付言されて)いるのだから。時系列に沿った配列ではなく、おおむね「新」(休筆から復帰後)から「旧」の順となっている。

 しかし、改めてこうして作者の文章を眺めてみると、つくづく耐用年数が長いというのか、歳を取らない(もしくは最初から老成していた!?)作家なのだなあ……という感慨を深くする。小生とは、ほぼ同世代ということもあって、赤江瀑や澁澤龍彦など、今は亡き方々をめぐる文章の類が、やはり、じんわり沁みる。とりわけ最終盤におかれた、澁澤さん(および奇しくも、ほぼ同時期に亡くなられた著者の御尊父をめぐる回想)に関する一連の文章には、しばし暗然……。

「綺羅の海峡」から、一部を引用する。

 下関の一夜でも、鏡花の「天守物語」がしきりに話題に上っていた記憶がある。(略)魔族の跳梁はより絢爛に、心は人恋しく懐かしく。/下関での別れ際、みずから握手を求めて差し出してくださった手は、とても暖かかったと記憶する。