今月のベスト・ブック

装画・ブックデザイン=鈴木成一デザイン室

わざわい
小田雅久仁 著
新潮社
定価1,870円(税込)

 

 最初に、前号の訂正から……。

 皆川博子さんの掌篇『香妃』に関する話題のところで、同作と併称されて然るべき、初期傑作掌篇のタイトルを、うっかりして私、「庭」と書いてしまいましたが、正しくは「風」でした。私が編纂した皆川アンソロジー『皆川博子作品精華 幻妖』の巻頭を飾る作品でもあったのに……謹んで訂正し、お詫び申し上げます。


 さて、「小説推理」掲載の傑作連作『残月記』で先般、見事、日本SF大賞を射止めた小田雅久仁が、デビューの直後から「小説新潮」に折にふれ発表してきた作品をまとめた短篇集『禍』(新潮社)が、ついに1冊となって上梓された。

「ここは、物語のなれのはて」というキャッチ・コピーも、かなり「キテ」いるが、収録された全7篇のいずれも、コピーに負けず劣らず、読む者の胸奥にスルリと忍び込み、当惑させ、驚嘆させ、いつしか滑り出しとは似ても似つかない驚天動地の時空へ読者を拉致したあげく、ポイと無慈悲にも放り出す……恐怖と驚愕の「怪奇小説集」である。

 たとえば、発表当初は「灰色の獣たち」と題されていた「喪色記」は、〈夢幻石〉と呼ばれる聖なる石を崇める人々を、刻々と滅ぼそうとする魔獣たちから守り、遥かな異界の地へと導く〈眼人〉の末裔たる少年と少女の物語で、『残月記』収録作品の番外篇とも見做しうるものだが、意表を突く展開の妙に、不意を打たれるに違いない。

 総じて、本書に所収の物語には、〈この世の地獄〉に直面し当惑する人々や、〈終末に瀕した世界〉に翻弄され、途方にくれる人々を、これでもかとばかり活写した作品が多い。最初期の作品のひとつ、「耳もぐり」(なんとも秀逸なタイトル!)などは、他人の耳の穴から、自在に体内に潜り込む奇怪な術を会得した男の物語で、三橋一夫の再来か令和のシャミッソーか、と見紛うばかり。

 まさに現代における怪奇小説絵巻と呼んで然るべき、卓越した作品集であると思う。

 近年、エルビラ・ナバロとかマリアーナ・エンリケスなど、「スパニッシュ・ホラー文芸」と銘打たれた分野に、妙に力を入れている国書刊行会から、バリェ=インクランの古典的名著『暗い庭 聖人と亡霊、魔物と盗賊の物語』(花方寿行訳)が上梓された。ピラネージの廃墟画で装われた瀟洒な造りで、内容はサブタイトルにあるとおり、クラシカルな秘蹟譚の流れを汲む、聖人と悪魔と亡霊たちが綾なす物語集の全訳版である。

 かつて白水社のuブックスから、なかば奇跡的に刊行された『スペイン幻想小説傑作集』にも、本書から「ベアトリス」「神秘について」の2篇が採録されていたことを、御記憶されている向きもあるかもしれない。いかにも19世紀末文学的な……たとえば〈悪魔憑き〉という言葉が、ある種のリアリティをもって受け止められていた時代の息吹きと地方臭を感じさせる作品集だ。

 岩波文庫にも収録されているベッケルの短篇集や、先ごろ完訳版が刊行されて(これまた岩波文庫でしたな……)話題の『サラゴサ手稿』のポトツキ(出身はポーランド)など、意外に我々日本人にも馴染みの深い怪奇幻想作家たちを擁するスペイン。リアリズム偏重の旧来の文学観が更新され、新たな文学史が浮上する日も、案外近いかも知れない。

「これらの純心で悲劇的な神秘の物語は、我が幼年時代の歳月を通して夜になると私を震え上がらせたもので、だからこそ忘れられずにいる。今でも時折私の記憶の中で起き上がり、あたかも静かで冷たい風が上を通り過ぎるかのように、枯葉の如き長い囁き声を立てる。打ち棄てられた古き庭、暗い庭の囁きを!」……これは本書の序文に見える印象的な一節だが(ブラッドベリ『10月はたそがれの国』の有名な序詞の一節を、ゆくりなくも連想した私です)、こういうくだりに、ああ、いいなあ、と思わず陶然としてしまうような向きには、御一読を強くお勧めしておきたい、古雅なる1冊である。

 続いては新鋭・遠藤由実子の、奄美大島を舞台にした、ジュブナイル・ゴースト・ストーリー『夜光貝のひかり』(文研出版)を。サッカー選手になる夢をいったん阻まれ、夏休みを利用して奄美の知人宅にやって来た主人公の少年・彼方は、美しい浜辺で制服姿の少女と出逢う。しかし少女は、実はこの世の人ではなく、この浜辺から出ることも出来ないのだという。

 このくだりを読んで、私がすぐさま連想したのは、高木道郎の怪談実話集『海之怪』だった。そこに収められた幾つかの話には、やはり、ある理由によって、海辺の土地から離れることのできない霊にまつわる物語が採録されていたからだ。

 さて、ルリと名のる少女の幽霊は、唯一、彼女の姿が見え、会話もできる相手である彼方と関わることで、失われた記憶を取り戻せるかも知れないと考える。やがて明かされてゆく、ルリの記憶……それは戦争の時代、とりわけ長崎の原爆にまつわる、悲惨なものだった。

 風光明媚な奄美の大自然を背景に、少年と少女の、時空を超えた、ひと夏のジェントル・ゴースト・ストーリーが綴られてゆく。哀切な島唄に乗せて……。