今月のベスト・ブック

装画= POOL
装幀=岡本歌織

『深淵のテレパス』
上條一輝 著
東京創元社
定価 1,650円(税込)

 

 東京創元社といえば、海外ミステリー出版の老舗として、本欄をご覧の方なら先刻御承知だろう。まあ本欄では、ミステリーよりも怪奇幻想文学系の作品をレビューするほうが圧倒的に多いのだが。こちらの分野でも、創元さんは揺るぎない地歩を固めている。かく申す私もまた、創元推理文庫の帆船マーク(=怪奇・冒険ジャンル)純粋培養世代である。まだ日本に「ホラー」という分野が根付くはるか以前から、『吸血鬼ドラキュラ』や〈怪奇小説傑作集〉を出して啓蒙に努めてきた功績は、まことに多大といえよう。

 さて、そんな東京創元社が、「創元ホラー長編賞」と銘打って、ホラー小説分野への本格参入を宣言したのは、一昨年のこと。しかも、最終選考委員の1人に、あろうことか、小生の名前が挙がっていたではないか!(もうお一方は、いまや人気絶頂の作家・澤村伊智さん)選考委員の任をありがたく拝命したことは、申すまでもない。
 そんな東京創元さんの、ホラー初公募となる新人賞とあって、いかなる応募作が寄せられるか興味深々だったが、果たして、厳しい予備選を勝ち残った作品群は、どれも一癖も二癖もある力作揃い……日本ホラーの未来に希望を抱かせる結果となった。そして遂にこのほど、私と澤村氏、そして創元社の諸賢によって満場一致で選び出された受賞作、新鋭・上條一輝『深淵のテレパス』(東京創元社)が、晴れて刊行の運びとなった。
「変な怪談を聞きに行きませんか?」
 そんな誘い言葉に乗せられて、とある怪談会に参加した日を境に、高山カレンの日常は怪しい現象に刻々と浸食されていった。異音や異臭、そして汚水……なぜか「水」と縁のある怪異の数々。理由の分からない恐怖に追い詰められた彼女は、超常現象の調査を掲げる奇妙な2人組に助けを求めるのだが……被害者を苛む超常現象の謎めいたつるべ打ち、浅草の地下街や某巨大団地のどこか後ろ暗い雰囲気。そして物語は急転直下、巨大な地下空間へと迷い込み……「老練なガイドに暗い人生の日かげの迷路をこわごわ案内されていくようなスリルがあるのが」──これは創元推理文庫版『怪奇小説傑作集』第3巻に付された平井呈一翁の解説の印象的な一節だが、まさにこれと同様の「暗い人生の日かげの迷路をこわごわ案内されていくようなスリル」を、読者はたっぷりと本作から味わうことになるだろう。奇禍とすべきではなかろうか。

 巧緻な怪奇幻想譚で見事、第50回の泉鏡花文学賞を受賞した大濱普美子の新刊『三行怪々』(河出書房新社)は、アッと驚く「魅惑のショートショート集」だった。「『百文字病』を患った作家がやまいこうこうり、錬成し続けたのは、二百篇の『三行』幻想譚」とのことで、怪しげな「あとがき」を見るに、どうやら背後に北野勇作氏が居るらしい。
 なにしろ「三行幻想譚」ということで、しごく短いので、現物をお目にかけよう。
「いい子だね。隣に丸くなったタマを撫ぜる。ミャアと言う声に顔を上げると、猫は棚の上にいる。今抱いている毛の塊は、一体何だろう。」
 ……! 『怪奇小説傑作集』繋がりで言うと、これはM・R・ジェイムズ先生の名作怪談「ポインター氏の日録」と塁を摩するような話ではなかろうか?
 大濱普美子、おそるべし。

 最後は角川ホラー文庫の書き下ろしアンソロジー『堕ちる』を。
 ベテランから新進まで6人の作家による競作集ですな。
 何といっても圧巻は、巻末に収められた小池真理子「オンリー・ユー ──かけがえのないあなた」だろう。主人公は、司法書士事務所に勤務する若い女性。ワンマンな上司に命じられ、地方都市の別荘地にあるマンションに、住人の遺産整理に自家用車で向かうことになる。
 上司から勧められた暗い近道で、不思議な物言わぬ住人たちの「祭礼」に遭遇、怖い体験をしたものの、到着したマンションでは、管理人の中年男性一家から、思わぬ歓待を受ける。1年前に妻と死別した男性は、今は2人の連れ子を伴い新たに再婚した若妻と、幸せな家庭を築いていたのだが、実は……。
 予想される暗澹たる結末へ向けて(ホラーだからね、仕方ない)、丁寧に細部が書き込まれた緻密な構成は、いつもながら唸らされる。とりわけ、マンションの駐車場でヒロインがたまさか耳にする猫の鳴き声たるや! ああ、怖ろしい……。
 小池作品に負けず劣らず、背筋をゾクリとさせるのが、こちらも歴戦の手練れ、宮部みゆきの「あなたを連れてゆく」だろう。
 家庭の事情で、初対面の叔母の家で、夏季休暇を過ごさねばならなくなった、小学生の主人公。母子家庭であるその海辺の家には、少し年長の美しい従妹が、いた。ミステリアスな雰囲気の従妹に、恐れつつも惹かれてゆく少年。実はその従妹には、秘められた超自然的特性があって……いかにも宮部作品らしく、怖いけれど、好日的な幕切れになっているのが、好ましい。

 角川ホラー文庫の発足当時、『かなわぬ想い 惨劇で祝う五つの記念日』をはじめとする書き下ろし競作集が企画・刊行されていたことを彷彿させる好著である。若手作家では内藤了「函」が面白かった。