今月のベスト・ブック

装幀=新潮社装幀室
『失われた貌』
櫻田智也 著
新潮社
定価 1,980円(税込)
猛暑である。故郷の隣町桐生が最高気温を更新した(41・8度)。エアコンレスの生活に慣れた身とはいえ、さすがに寄る年波には勝てず、グロッキー気味の最近の小生である。ミステリーなんか読んでいる場合ではない。いやいや、どんな場合でもミステリーだけは手放せないと錯乱気味であるが、こういうときは読み慣れた作品から読み進めるべしというのが鉄則だろう。
というわけで、今月のベストミステリー選びも、お馴染み法医昆虫学捜査官シリーズの最新作、川瀬七緒『18マイルの境界線 法医昆虫学捜査官』(講談社)から。
夏日が続く多摩の稲城カントリークラブで中高年の女性の遺体が発見される。遺体は顔がわからないよう潰されたうえで焼かれており、歯もすべて抜き取られていた。警視庁の岩楯祐也警部補と深水彰巡査部長も捜査に参加、法医昆虫学捜査官の協力も仰ぐこととなり、赤堀涼子のもとへ。彼女の調べでは、遺体から見つかった虫で共通する五種はどれもキノコを食害するものばかりだというがそれ以上のことは不明。岩楯たちは岩楯たちでゴルフ客や近隣の農家に聞き込みに回るが、確証は得られない。そうこうしているうちに第二のホトケが出たとの報告が。相模原の解体スクラップヤードで見つかった遺体が、ゴルフ場の遺体と同じように損壊されていたのだ。
いつものことながらグロテスクな出だしにのけぞる向きもあろうが、それが本シリーズの持ち味でもあるし、赤堀女史の奇人キャラと同様、そのうち馴れます。物語の基本は丹念な捜査にあり、岩楯たちのオーソドックスな聞き込みと赤堀の独自の調査研究の二刀流でじわじわと真相に迫っていくというのがパターン。前作からは、赤堀も捜査分析支援センターの所属となり、チームを組むことになった。本書でも後半、そのメンバーとコラボするが、彼女たちに新たな活躍を期待した向きにはちょっと肩透かしだったかも。それだけ警察組織の保守的体質は堅固ということで、彼女たちがチームで活躍する話はもう少し先になりそうだ。
もっとも終盤のサスペンスの畳みかけはそうした不満を吹き飛ばしてくれるに違いない。赤堀さんの同僚・波多野さんの鮮やかな逮捕術に拍手。というわけで、今回も存分に堪能させてくれた法医昆虫学捜査官シリーズ、久しぶりに一本勝負でいこうかとも思ったが、読んでしまいました、ぐっとくる作品を。
櫻田智也『失われた貌』(新潮社)がそれだ。櫻田といえば、日本推理作家協会賞を受賞した『蟬かえる』を始めとする魞沢泉の シリーズで知られる本格ミステリー作家だが、本書は初の長篇警察小説である。
6月末、J県媛上市北西部の峠道で中年男性の遺体が発見される。遺体は顔が叩き潰され、両腕とも手首から先が切断されていた。犯人が身元の隠ぺい工作を謀ったらしい。媛上署捜査係長・日野雪彦も捜査に乗り出すが、遺体発見者のゴミ不法投棄者はシロのようだった。同時期に地方紙北光ウィークリーで媛上署に苦言を呈する投書がなされており、日野はそちらにも気を配らねばならなかった。
翌日、隣町のアパートのオーナーが変死体で見つかった事件で、現場となった部屋の住人・八木辰夫がどうやら身元不明遺体と合致すると判明。そこへ身元不明遺体は知り合いの夫・オヌマケンではないかと北光ウィークリーへの投書人・上村杏子が媛上署に訪ねてくる。さらには、オヌマケンの小学4年生の息子ハヤトまでもやってくる。八木は元私立探偵で、依頼人の弱みを握っては恐喝を繰り返すような小悪党だったというのだが……。
『18マイルの境界線』と同様、いかにも猟奇殺人ものっぽい出だしだが、話が進むにつれ複雑な人間関係が見え隠れし始める。単に猟奇殺人犯が暴れまわる話ではないし、八木という恐喝犯をめぐるストレートな復讐譚でもない。それどころか10年にわたる謀りごとの顚末が明かされていくのである。
警察小説としてはちょっと地味かなと思わないでもない。いくら何でも、プルーフにあった「地方が舞台の警察小説ながら、読後の印象はロス・マクドナルドだ。千街晶之(ミステリ評論家)」、「本格ミステリファンにも熱烈に推せる警察捜査小説として、ヒラリー・ウォー作品と並べたいレベル! 宇田川拓也(書店員)」は持ち上げ過ぎじゃないんかいと当初は思ったけれども、読み進めるにつれじわじわと染み込んでいき、説得させられた。うむ、あなた方のおっしゃる通りだ。
伊坂幸太郎によれば、「主人公の日野は非情な私立探偵のようだ」とのことだが、非情な私立探偵というよりリュウ・アーチャー的というか。日野と同期の羽幌警部はむしろハードボイルドに徹しようとして徹しきれない弱みを抱えていることを互いに知っているキャラとして切磋琢磨し合えるよき間柄なのではないか。
ハードボイルドなキャラといえば、検視官の鷹宮警視や日野の部下である入江文乃巡査部長にそれらしい線の太さを感じるが、本書の売りは「本物の『伏線回収』と『どんでん返し』をお見せしましょう」(担当編集者)とのことだし、前半がちょっと地味でも、中盤以降の展開の妙にご注目いただきたい。本格ミステリーの醍醐味を味わえること必至。ということで、今月のBMもこれにて決定!