今月のベスト・ブック
『そして誰かがいなくなる』
下村敦史 著
中央公論新社
定価 1,980円(税込)
帰省したとき新聞の折込に地元の県立高校の入試問題解答付が入っていたので、試しに国語問題をやってみると、これが出来ない。問題が難しいのか、小生の頭が劣化しているのか、たぶん後者だろうが、前者のせいだと思いたい今日この頃の小生である。
というわけで、今月のベストミステリー選びもまずは学業不振の主人公が奮闘する話から。第二回警察小説新人賞を受賞した水村舟『県警の守護神 警務部監察課訟務係』(小学館)のヒロイン、桐嶋千隼は新米の交番警察官。両親共に警察官で警察官に憧れるも、学科試験に落ち一度は夢破れたが、優れた自転車競技者である彼女は五輪で銅メダルを取るなど活躍、その後再チャレンジして警察官の職に就いた。だが26歳になったクリスマスの朝、バイクの自損事故現場でひき逃げに遭い、病院で目覚めるとバイクの少年は死亡、彼女はその責任をめぐる訴訟を起こされる。
さてそこで登場するのが“県警の守護神”と呼ばれる裁判官出身で弁護士資格を持つ警察官、県警警務部監察課訟務係の荒城勇樹なのだが、この男、千隼の味方に付くのかと思いきや、ちょっと違う。裁判に勝つためなら手段を選ばないというか、嘘をつくことも厭わぬ男だったのだ。正義の味方というより、悪役なのだ。事実を曲げられた千隼はどう対処するのか──というと、これが本筋のようだけど、本筋はそれに続く千隼の先輩女性警察官の発砲事案のほう。その後あろうことか、荒城とタッグを組むことになる千隼は彼女独自のやり方で真実に迫ろうとするが……。
選考委員諸氏が絶讃した訟務係もののパイオニアとしてまず拍手。単純な師弟相棒ものではないヒネリが効いているし、ヒロインの成長譚としても読み応えあり。後半の脇役国田リオにはアクションもののスピンオフも望めそうだし、大型新人と呼ぶにふさわしい力作である。
伊吹亜門『帝国妖人伝』(小学館)は尾崎紅葉に師事したという作家・那珂川二坊が、明治時代から第二次世界大戦後にかけて出逢った5つの事件を描いた連作集。第1話は三文記事ばかり書かされている二坊が簡易食堂で取材中、前夜徳川公爵邸に入ったものの、大した被害もなく盗人は塀から落ちて死んだという一件に出くわした当人から話を聞くことに。だが推理を交えたその話に異議を唱える声あり──。第2話はそれから10年余りのち、京都府木津町から奈良へと抜ける法螺吹峠で雨宿りをした二坊が殺人事件に巻き込まれる。第3話は大正12年、出版社の依頼で欧州の視察旅行に出た二坊が、ベルリンで一人の日本びいきの老人と仲良くなるが、その関係を批判するドイツ人青年とさらにそこに横やりを入れてきた日本軍人との間で論争が始まる。青年は、日本人には臆病者はいないというが、在独の高名な日本人将軍が自殺したのをご存じかという。日本軍人はそれは自殺ではなく殺されたのだと主張するが……。
という具合に、残り2話も二坊が探偵役を演じるわけではなく、どの話でも必ず話の間に入ってくるキャラがいて、それすなわち名探偵であり「妖人」なのである。“探偵は誰だ”趣向を生かしつつ、「一人の作家の生涯と帝国の興亡を描き切った」歴史・時代ミステリーの佳作である。
下村敦史『そして誰かがいなくなる』(中央公論新社)は表題からもお分かりのようにA・クリスティーの名作へのオマージュであるが、それ以上に自ら建てた邸に捧げた1冊といえようか。そう、本書は「実在する自邸を舞台にした著者初の本格ミステリー」なのだ。
M市の郊外、人里離れた森の中にたたずむ人気作家・御津島磨朱李の新邸は西欧趣味の粋を凝らした洋館だった。大雪のある日、そのお披露目会が催されることとなり、客が招待される。推理作家の林原凜、同じく錦野光一、藍川奈那子とその娘の美々、コンビ作家の片割れ・獅子川正、御津島担当の編集者・安藤友樹、文芸評論家の山伏大悟、老執事の高部、そして名探偵・天童寺琉。御津島は覆面作家だったが、一同の前に姿を現すと宣言する。「私は今夜、あるベストセラー作品が盗作であることを公表しようと思う」。
その言葉に疑心暗鬼に駆られていく一同。御津島は皆を煽るような言葉を重ねていく。登場人物は皆ミステリーのエキスパート、当然ながら『そして誰もいなくなった』のパターンを熟知しているというところがミソだ。
中盤、お約束の悲鳴が邸内に響き渡るが、被害者がなかなか見つからないあたりからは一気呵成。著者のマジックにただただ乗せられていくばかりである。それにしても──
前から著者が西欧趣味を凝らした洋館を建てたことは知っていたが、それが活かされた本書の装丁を見て、著者の本気ぶりに改めて感心することしきり。シャンデリアや燭台に至るまでの細部はもちろん、狂気さえ感じるのは隠し部屋と思しき部屋の禍々しい様子。本書はその隠し部屋と思しき地下室における御津島の殺害シーンから始まるが、そこに「まるでファンタジーゲームの拷問部屋のようですね」という一文が出てくる。そういうスペースを自邸の一角に設けてしまうところが尋常じゃない。
終盤には二転三転のどんでん返しも炸裂するが、本書の主役はやはり実在する下村邸というべきか。今月のBMもこれにて決定。