今月のベスト・ブック

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装画=風海

『此の世の果ての殺人』
荒木あかね 著
講談社
定価1,815円(税込)

 

 元総理の国葬問題で世間が揺れる中、我が老母と同い年の英国女王の訃報とともに飛び込んできた、この人は自分より長生きすると固く信じていた知人の突然の死に動揺が収まらない。還暦を過ぎ、この手のドッキリにも少しは耐性ができたかと思いきや、まだまだハードボイルド修行が足りない小生である。

 というわけで今月のベストミステリー候補の1発目は伊兼源太郎『祈りも涙も忘れていた』(早川書房)。物語は回想譚形式で、主人公甲斐彰太郎が26歳で管内の犯罪認知件数が全国ワースト5に入るV県警捜査一課の新人キャリア管理官に就くところから開幕。彼はさっそく放火事件捜査の陣頭指揮を執るが、実地経験のなさをノンキャリア連中に冷笑され、特殊係放火班班長・岩久保の姦計にはまっていく……。

 ジャンルでいえば警察ハードボイルドか。もっとも犯罪捜査の方はなかなか進展せず、まずは捜査一課内の権力闘争劇から始まる。本筋の、警察官殺しの黒幕の容疑がかかる実業家・飯島をめぐる捜査は第2章以降で、早い展開を望まれる向きにはちょっと辛いかも。一方、放火現場で出会った美女、名前のあやふやなバー、そこで見つけた架空の名作ミステリーからの引用等々、多彩なハードボイルド趣向が前半から炸裂。この手のファンを喜ばせよう。著者が早い展開を犠牲にしてまで描きたかったのは、神浜という架空の街(モデルは横浜)を生きる人間模様にあり、もしかしたらエルロイの暗黒のLA4部作の向こうを張る意図もあるのかも。なるほどドラマは後半に深みを増していく。このジャンルのニュースタンダードを構築しようとする野心作であり、ファンには読み逃せない1冊だ。

 夕木春央『方舟』(講談社)は一見ありがちなパニックものを思わせる設定だが、その実トロッコ問題的な倫理劇を織り込んだロジカルな謎解きサスペンスに仕上がっている。

 僕こと越野柊一は大学時代の登山サークルの仲間に従兄の篠田翔太郎を加えた7人で、長野県の山間にある謎めいた地下建築を訪れる。そこは天然の空洞を活用した、多くの個室を備えた3階建てになっており(地下3階はすでに水没していた)、機械室で見つけた館内図には「方舟」と記されていた。程なく一行に、キノコ狩りにきて道に迷ったという3人家族が加わり、その夜彼らはそこで1泊することに。だが深夜、地震に襲われ、地上への扉はバリケード用の大岩にふさがれてしまう。それは巻き上げ機を使ってどかすことが出来るが、操作した者は犠牲にならざるを得ない。また、地下3階の水が増えており、地下建築はおっつけ水没することが判明。さらに仲間の1人が他殺死体で発見された!

 この序盤の畳みかけは素晴らしい。『屍人荘の殺人』に始まる今村昌弘のシリーズにインスパイアされたようにも思われるが、こちらは特殊設定というほど特殊ではないし、何だか似たような廃墟って日本のあちこちにありそうではないか。それに水没までのタイムリミットに動機不明の殺人犯を犠牲にするという非情のアイデアをプラスしたサスペンス演出の妙。もちろん殺人も1件では終わらないのだ。そして並みのどんでん返し技を超越した戦慄のラストシーン。これで終わりなのかと油断していると、ホラーより怖ろしい結末が待っておりまするぞ。

 今月の3冊目は江戸川乱歩賞受賞作。荒木あかね『此の世の果ての殺人』(講談社)。こちらは正真正銘、特殊設定ものである。

 2022年12月30日、小春は太宰府自動車学校のイサガワ先生と路上教習に出る。彼女はお喋りなイサガワが苦手だが、先生は人の家庭事情にも平気で首を突っ込んでくる。小春の父は一昨日自殺していた。不穏な空気は教習先の北谷ダムにも立ち込めていた。何と車に男が落ちてきたのだ。大木で首を括った死体だった。近くの林ではさらに数十人が首を括っていた。『方舟』以上の異様な出だしであるが、それもそのはず、翌年3月に小惑星テロスが阿蘇に衝突、日本はもとより世界が壊滅的被害を受けることが明かされる。4ヵ月前にそれが公表されて以来、日本は騒乱状態に陥り、国外脱出者や自殺者が後を絶たず、今や九州に残る者はほとんどいない。小春の家も母が失踪、父も死に、今や17歳の弟セイゴとの2人だけになった。

 翌日、教習所に向かった小春を待ち受けていたのは教習車のトランクに押し込まれた女の惨殺死体だった。小春は何故か犯人逮捕に燃えるイサガワとともに警察に赴き、そこでイサガワの元後輩でキャリア警官の市村から、博多や糸島でも同様の他殺死体が発見されていることを知らされる。2人はまだ開業中の医者に立ち寄り検視を要請、被害者が弁護士であったことを知る。彼女はNARUという人物と連絡を取り合っていたが……。

 その後2人は博多へ向かい、数奇な運命を背負った兄弟やら邪悪な亡者へと変貌した被害者少年の母親と会ったりしつつ推理を深めていく。本書は確かに特殊設定ものだが、それは小惑星衝突という1点のみで、読み所は他にも多々あり。まずは主役2人の異色のバディぶり。特に狂気の正義漢(!?)イサガワの造形に注目。むろん連続殺人の謎も興味深いが、彼女たちの出会いのドラマもじっくり味わっていただきたい。その筆致には、なるほど乱歩賞史上最年少で受賞するだけのことはある、ということで今月はこれにて決定。