今月のベスト・ブック

カバー写真=Matan/Adobe Stock
装幀=bookwall

『首木の民』
誉田哲也 著
双葉社
定価 1,980円(税込)

 

 7月の東京都知事選挙は久しぶりにスリリングな展開で楽しめた。現職優勢といわれる中、若手無所属候補の猛追や小説家でもあるAI起業家の善戦もあって、もしかして逆転勝利も起こるのではと思われた。結果はまあ現職の圧勝に終わったわけだが、SNS等、新たな時代の波は確実に押し寄せていて、それは選挙後の感想戦にも表れていよう。

 今月のベストミステリー選びにもそれは及んでいるのだが、結論をいう前に短篇集を2冊取り上げたい。まず、今村昌弘『明智恭介の奔走』(東京創元社)はデビュー作『屍人荘の殺人』以前の神紅大学ミステリ愛好会会長が遭遇した事件から5篇を収めた作品集だ。

 明智はミステリー愛が強すぎて読んだり書いたりするのでは飽き足らず、S・ホームズのような探偵に憧れ、日々名刺を配り情報収集に努めているトラブルメーカーすれすれの三回生。ミステリ愛好会──通称ミス愛は一回生の「俺」こと葉村譲と2人だけの非公認サークルで、ワトソン役の葉村は明智に振り回される役も務めているが、大学のサークル棟で起きたコスプレ研の盗難騒ぎの顛末を描いた第1話から、昭和の香り漂う商店街で何の得にもならないボロビルが高値で買い取られたという日常の謎へ転じる第2話、さらに泥酔した明智がパンツを脱ぎ捨てて切り裂き、玄関に捨てたあとズボンをはいて再び寝込んだらしい事件の謎を描くバカミス系の第3話へと、1話ごとに工夫が凝らされている。

 第4話では屍人荘の事件に至る夏休み直前に起きた試験問題漏洩事件の顛末が描かれるが、ここでは一転して古典ミステリーへのオマージュが捧げられ、最終話では明智の1回生時代まで遡って、田沼探偵事務所でバイトを始めた当時の事件が描かれる。ホント、キャラクターの魅力と謎解きの切れ味に加えて、作風のバランスがいいんだよな。「シリーズ累計130万部突破!」という売れっ子ぶりもむべなるかな。続篇に期待。

 続いて結城真一郎『難問の多い料理店』(集英社)はコロナ禍をきっかけにすっかり街の景色となったウーバーイーツを始めとする料理の宅配を題材にした連作ミステリー。全6篇収録。

 第1話はウーバーイーツならぬビーバーイーツの配達員である大学生の「僕」が六本木の“店”でオーナーシェフに京王井の頭線沿線の木造アパートで起きた火事の仔細を報告する場面から始まる。この店では、デリバリー専門で料理を提供するほか謎解きのオーダーも出来る。受注した配達員はその場で相談内容を聴取、聞き終えたら店へ帰って報告、場合により追加で“宿題”が出ることもある、という探偵屋も兼ねているのだ。ただし、このことを口外したら、命はないと言われ──。

 第1話では、火災現場から住人の元交際相手の焼死体が見つかっていたが、近隣住民の多くが現場に入っていく女を見ていた。その女は直前に「ざまあみろ」と呟いていたという……。1話ごとに語り手の配達員が代わり、第2話では中年の妻帯者が交通事故死した男の指が2本欠落していた謎を報告、第3話ではシングルマザーが空き巣に入り取り押さえられた男が「嵌められた」と漏らしていた謎を報告といった塩梅。

 まさに現代版安楽椅子探偵ものといった体であるが、当然ながら、配達員の中には、超クールで超二枚目でもあるオーナーシェフの素性についていぶかしむ向きもある。第4話以降はそちらのサスペンス色も高まっていき、最終話のラストでは慄然とさせられること請け合い。まずは必読の1冊といっておく。

 というところで、都知事選に後押しされた今月のBMに戻ると、すでに前号で紹介されている誉田哲也『首木の民』(双葉社)がそれである。

 幕開けは警視庁志村警察署強行犯捜査係の係長・佐久間龍平の平和な朝の目覚めから。その日彼が取り調べることになった久和秀昭という64歳の大学教授の容疑は、前夜職務質問した際に車から血の付いた他人の財布が見つかったというものだったが、そう大した事件になるとは思えなかった。しかしいざ当人に会ってみると、自分はありとあらゆる公務員を信用しない。今回逮捕された件に関して、一切の供述をしない、というのだった。ただ公務員を信用しない理由を話すのはやぶさかではない、と。佐久間相手に話し始めたそれは、経済学講義ともいうべきものだった。

 一方、志村署強行犯係の中田三都と水沢晃は財布の持ち主であるライター菊池創の身辺捜査を担当、程なく彼が以前久和を取材していたことを突き止めるが……。

 物語にはさらに、国税専門官の父から幼少時より大蔵省入りを命じられて育った「私」の一人称語りの章が随時挿入されていくが、大筋は久和の経済学講義と中田刑事たちの菊池創の軌跡をたどる地道な捜査の2本だろう。前者については、何よりもまず著者の猛勉強ぶりに頭が下がる思いだ。いや、これくらいはいつものことですよといわれそうだが、日本の経済システムの基本を概観したうえで、それを司っている組織の欺瞞に鋭く切り込んで見せた姿勢は同時期の森永卓郎のベストセラーのそれに優るとも劣らない。そこに、これまでにない軽妙な警察捜査小説の妙まで加わるともなればなおさらだ。

 そう、社会も経済も、ミステリーも窮屈な首木は外して新たな日本を動かそう!